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大人になってから分かった発達障害

家庭も仕事もあるのに…そんなときの心の持ち方

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2021.12.1

僕が発達障害と分かったのは、社会人2年目の夏のことだった。それからちょうど8年後の今、僕は結婚して一児のマイホームパパとなっている。

今思えば、あのタイミングで発達障害と分かって本当に良かった。当時の僕は独身で彼女もおらず、実家暮らしだったからだ。

執筆:マーチン Martin

母は僕が子供の頃から『どこか変わっている子』であることをよく分かっていたので、発達障害であると知って、どこかホッとしていた。僕が障害者雇用枠で再就職を目指していることを見守ってくれていたのは、本当にありがたかった。

その頃の僕は仕事のストレスで猛烈に顔中にヘルペスが出来たり、会社に行きたくない一心で、車で通勤途中に「程よいスピードで車を電柱にぶつければ、大ケガせずに会社が休めるなー」なんて危ない事を思うようになっていた。

これではイカンと、新卒で入社した農協を転職のアテも無く、とりあえず辞めて無事に(?)無職となった。

当時、お金や背負うものは何もなく、時間だけはあったので、障害者手帳が交付されるまでの間はリワーク講座や研修を受ける為に県の障害者職業センターへ通うことにした。

センターまではロードバイクで通っていた。体を動かすことでリフレッシュしつつ、ガソリン代節約の為に週4日雨だろうが雪だろうが片道20㎞近くかけて通っていた。そして、通いはじめて3か月後に精神福祉手帳を取得して、いよいよ就職活動を始めることにした。

皮肉にも、この頃が二十歳過ぎてから一番心身ともに健康体だったと思う(毎日22時に就寝+週4往復40㎞サイクリング+仕事のストレスから解放によるストレスフリー)。

就職活動中はハローワークで求人検索をするか、履歴書を書くか、面接に行く以外は、ひたすら押し入れから引っ張り出してきたスーパーファミコンで呑気に遊んでいた。

そんな感じだから30社近くの「今後のご健勝をお祈りいたします」で締めくくられる不採用通知が届いても、まだ平気でいられた。

障害の事情を伝えてない知り合いや後輩たちからは、結構チクチク言われたりもしたが、それは仕事のストレスと比べたらまだ耐えられた。

転職活動は結局3カ月続いた。
(現在も働く企業より内定)

気楽にやっていた障害者雇用での就職活動も、もし、結婚して妻子とマイホームがあって働いているときに、発達障害と診断を受けたとしたら、どうだっただろう?

たぶん、「すぐに仕事を辞めて障害者雇用で再出発しよう」とは思えないし、そんなことできない。

心配事は尽きないと思う。

それに、クローズ就労での転職はリスクが高すぎて、踏み出せない。

失業手当を受給することが出来るけど、そもそも受給期間内に再就職出来るのか?

仮に障害者枠で一から再就職出来たとしても、経済的に厳しくなる可能性が高く、ローンの支払いの不安や食費の切り詰めは待った無しになる。そうなれば、もちろん旅行や外食も当分厳しい。

子供にも将来に渡って色々と諦めたり、我慢させてしまうのだろう。奥さんのパートの負担が増えるだろうし、こんな夫・父親で苦労かけさせて、ホントに申し訳ない…

うーん。少し考えただけでも胃がムカムカしてしまう。想像でもこんな感じなので、30社からの「お祈り」なんて食らったら、とてもじゃないが耐えられない。

やはり、背負うものが圧倒的に違いすぎる。
20代独身実家暮らしの装備(精神的負担)が夏山のハイキングならば、住宅ローンにパートナーと子供がいるなんて冬山登山ぐらいに重い。重すぎる。

今の時代、共働きや妻が家計を支える家庭も当たり前にはなっているけど、退職による一時でも妻への経済的比重が大きくなってしまうことへの申し訳なさ、罪悪感は大きい。

家事育児で身動きが以前より簡単に出来ない。だからこそ、大人になって背負う物がたくさんある状態で発達障害と分かったら、遭難しない程度に軌道修正をしていくしかない。

偉そうなことを言っているけど、現在進行形で自分も今の仕事に悩んでいる。

ホントは「自分もそういう体験を乗り越えて今成功しています!」って、言えるのが一番良いが、まだ具体例が無く僕自身も探している途中なのだ(苦笑)。

でも、僕から言えるのは、ただでさえ心身共に負担のかかる軌道修正、短期集中で寝る間も惜しんで、転職の準備をするのはあまりお勧めできないということ。

寝ないと仕事から家事育児から全てボロボロになってしまう。しかも、夜中に気力振り絞って作った職務経歴書なんて、内容が誤字脱字だらけだったりする。

先ほどの遭難の話で例えるなら、体力を消耗しているのに、残り少ない食糧を全て食べ尽くして、その勢いでいかだを作って、一気に無人島から脱出しようとする位ハイリスクな行為。

そうじゃなくて、少しずつ食糧を食べて余力を残しながら、体調が良いときにいかだ作りをする方が生存率も上がると思う。

体を労りながら、この困難な状況から脱出する可能性を探ることが大事なのだ。

以前のコラムで発達障害からの一発逆転を狙わないことについては書いているけど、こんな状況であれば、なおさらだ。

まずは、時間と体力の余裕があるときに、履歴書と職務経歴書を少しずつ書いていき、各障害支援施設やハローワークやキャリアカウンセラーに相談。一つずつ可能性に当たることをオススメしたい。

疲れた日は無理せず、とにかくリフレッシュと休息に当てること。少し余裕が出来たら、また履歴書と職務経歴書を作っていけばいい。

緩やかでも、着実に前進。これが大事。

「きっと大丈夫!」なんて、僕の口から軽々しく無責任なことは言えない。登山やら無人島やらの例えを出したけど、人生は本当にサバイバルだと思う。

このコラムがあなたのサバイバルにとって、無人島に自生している果物の様な存在になれれば幸いです。

とにかくサバイブしましょう。そして、いつの日か、共にこの日々を笑って話せる日を迎えましょう!

1989年生まれの33歳、生粋の岐阜県民。社会人2年目の時に発達障害(ADHD/ASD)と診断され、障害者雇用にて再就職。8年間勤務後、障害者の就労支援職に従事している。2019年に居場所作りや情報共有の場として岐阜市にて発達障害当事者会「発達ワークスぎふ」を立ち上げ、私生活では二児の父として、色々しくじりながらも奮闘中!!

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