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コロナ禍まもなく3年目。身体障害者の暮らしはどう変わったか?

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2022.2.22

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。コロナ禍も間もなく丸2年を迎えるという中で、身体障害者の暮らしは良いことも悪いことも含め、さまざまな変化があった。このタイミングを、障害とはなにか、福祉とはなにか、考えを深める機会としたい。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

新型コロナウィルスが確認されて2年。最初こそ、そのうち収束するだろうとなんとなく高を括っていたが、今年1月からは第6波に突入。感染拡大は留まることを知らず、仕事や生活に影響を及ぼし続けている。

重度障害を負っていて、麻痺によって呼吸筋力が低下している身としては「ウィズコロナ」なんてとんでもないと思ってはいるのだが、介助が必要な手前、ソーシャルディスタンスを保ったままでは生活できないし、実際のところお金を稼いで生活していかなければならない。

今回はここ2年間でコロナによって変わった暮らしについて書こうと思う。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


コロナが流行り始めた当時、メディアの出演依頼がぱったりと来なくなった。

ちょうど予定されていた講演会も泣く泣く中止。生活の支えの一部となっていた文芸同人誌即売会も軒並み中止となる。代わりにウェブからの注文がいくらか増えたが、対面での販売には及ばない。下請けの仕事の依頼も一切来なくなった。

ほとんど失業状態である。

障害者年金といくらかの預金はあったが、それも持って数か月という感じだった。

社会福祉協議会に連絡し、緊急小口資金を申請、20万円の貸付を受けた。その後、持続化給付金の存在を知って給付を受け、半年以上仕事のない生活が続いたが、金銭的にはどうにかなった。

毎日朝晩利用しているホームヘルパーも、万が一の感染を防ぐため、30分時間を短縮し、接触を減らすよう心がけた。私の場合、身体的なことも時間をかけて頑張ればある程度どうにかはなるため、日常生活では大きな不便はなかった(生活の多くをヘルパーに頼っている重度障害者の中には死活問題になる人もいる)。

今後の先行きや感染の不安はあったものの、正直なところ、そもそもコロナ以前から仕事はほとんど無いに等しかったし、言ってしまえば望んではいないものの引きこもりのような生活を送っていた。そういった意味で生活に変わりはなかった。

変な話、今までバリアがあって行けなかった飲食店の食べ物をテイクアウトやデリバリーしてもらえるようになったし、移動手段がなくて参加を諦めていたイベントがリモート配信によって手軽に参加できるようになったなど、ステイホームはむしろプラスに働いた部分もある。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


リモートワークが浸透してきた頃、徐々に仕事の依頼が増えてきた。就労継続支援B型の在宅ワークが認められ、少ない工賃ながらもそれでも自宅で仕事ができるようになったのはありがたく、少しでも稼ごうと利用を始めた。

何よりも大きかったのは、都市部からの仕事が増えたことである。

私は地方在住だが、そもそも地元では障害者雇用が少ない。ハローワークで求職したり、市が開催している障害者就職面接会に参加したりしたこともあるが、ほとんどが軽度の知的・精神障害者向けのものばかりで、内容も荷物の運搬や清掃といった体を使うものが多かった。

車いすの人に対応していている職場もわずかにはあったものの、四肢麻痺で移動やトイレに困難がある私には難しかった。

※地方の障害者雇用の問題についてはマーチンさんが自身の体験を元に記事を書かれているので、ぜひ読んでください。



リモートワークの普及によって、仕事のすべてが自宅で、パソコン一台で完結することが出来るようになった。

打ち合わせのために出かける必要もない。外出は嫌いではないが、出かける準備には時間がかかるし、移動の方法や気候、トイレの心配はいつも付きまとう。地味にプレッシャーになっていたのだなあとリモートでの打ち合わせが当たり前になってから気がついた。画面越しでしか会ったことのない人と仕事をするのは不思議な感じがするものの、障害を意識することなく、リラックスして仕事に打ち込めるようになった。

「仕事は毎日通勤するもの」という社会通念が変化しただけで、私の障害の一部はなくなったとも言えた。まさに障害とは社会が作り出しているものなのだと思った。

今まで長い間、障害当事者からオンライン授業や在宅ワークを望む声があったが、それらはほとんど黙殺されてきた。コロナ禍に陥ってからの社会の変わりようになにか複雑なものを感じなくはないが、今後さらに障害者雇用の機会、活躍の場が増えていくことに期待せずにはいられない。



コロナ禍2年目、地元でPCR検査が無料で受けられるようになり、出張の機会も増えた。感染の不安を抱えながらも、感染対策を徹底しつつ県外へ。出張後すぐにPCR検査を受け、陰性を確認。

ヘルパー事業所に連絡し、明日から支援に入ってほしいと頼むと、「一週間は支援に入れない」との回答。どうにかならないかと交渉したが、「4日経って再検査を受けて、陰性ならその次の日から支援に入るようにする。その間は一切の支援はできない」と言われる。なんじゃそりゃ、とひっくり返りそうになった。

確かに万が一ヘルパーに感染してしまったときのリスクは、言わずもがな、理解できるが、仮にもし利用者が陽性になってしまったら、ただでさえ医療体制が逼迫している中、重度障害者が入院するとなると受け入れ自体難しいことも多いだろう。自宅療養の可能性は十分ある。そのとき一体誰が利用者の生活を支えるのだろう。まさか放置というわけにもいかないと思うのだが、その際の対策などは考えているのだろうかと純粋に疑問だった。

そもそも、ウィルスを持ち込む可能性はあちこちの家に出入りしているヘルパーも十分に高いはずだ。感染リスクは利用者も負った上で利用しているのである。ヘルパーがいなければ生活が成り立たないから利用しているのに、肝心なときに使えないなんて。

せめて買い物だけはしてもらって玄関に置いておいてもらうとか、身体接触のないように家事支援だけ入ってもらうとか、感染リスクを避けつつ支援を行うにはいろんなやり方があったと思う。責任者に合理的配慮を求めたが、その後一方的に契約を切られてしまった。

もちろん、感染の疑いのある者・感染者の介助を積極的に行いたくない事業所の考えもよく分かる。なかなか大きく取り上げられることがないが、陽性者に対して介助を行っても、看護師や医者には加算手当がつくが、ヘルパーには手当がないのだという。そんな不公平も放置されたままだ。

今はその時々のコロナの状況によって相談し対応してもらえる事業所と契約することが出来て事なきを得たが、要は、コロナ対応は各事業所任せになっているということだろう。普段利用している社会福祉の脆弱性を垣間見た気がした。

コロナ禍の中、社会保障が少しずつ削られていく一方で、「ケア」というものに対して世間の関心のスポットがあたっているのも、福祉に生かされている人間としては興味深く思っている。障害者の立ち位置や線引きも変わっていくことだろう。

障害とはなにか、福祉とはなにか、考えを深める機会としたい。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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