全盲の私が街中で声をかけてほしいのはどんなとき?
1 1
2022.3.10
全盲の私は街中で声をかけていただく機会が多い。そうは言っても、いつだって困っているというわけではない。では、いったいどんなときに声をかけていただけたら嬉しいのか。改めて考えてみたい。
執筆:山田 菜深子
全盲で方向音痴の私は、1人で外を歩くとよく迷子になる。そういうときはいつも、声をかけてくださる親切な方々に助けられている。本当にありがたいことだ。
そうは言っても、いつだって困っているというわけではない。助けがなくても大丈夫、ということも多い。
では、いったいどんなときに声をかけていただけたら嬉しいのか。改めて考えてみたい。
感謝の日々
忘れもしない、高校生のときのこと。白杖をつきながら1人で歩いていた私は、大ピンチに直面した。
駅に向かおうとしているのに、駅がどこにあるのかわからない。今自分がどこにいるのかもわからない。誰かに助けを求めなければいけないと思いつつ、その勇気はない。どうすることもできず、何か手がかりはないかとただただ歩を進めるばかりだった。
しばらくして、足元の感覚がおかしくなったことに気が付いた。金属を踏んでいるような感じがする。何だこれは。状況が呑み込めない。
「危ない!」と誰かに引っ張られたのはそのときだった。
安全な場所まで来たところで、驚きの事実を知った。その女性によると、どうやら私は線路に迷い込んでいたらしい。私の後ろには電車が止まっていたのだという。この方に出会っていなかったらいったいどうなっていただろう。今思い出しても背筋の凍る話だ。
思えばこんなふうに、私は何度となく見知らぬ方々に助けられている。その天使のような方々のおかげで今もここにいられるのだ。感謝してもし切れない。
困ってないときもある
そんな私だが、街中で声をかけていただく機会には人一倍恵まれているようなのだ。「私ってもしかして人気者?」とはしゃぎたくなるほど。アイドル気分。もちろんそんなのは錯覚なのだけれど。
では、どうして人一倍恵まれているのか。それはたぶん、私が白杖を持っている上に「困ってるオーラ」を出しすぎているせいだ。
昔、盲学校の先輩が教えてくださった。「白杖持ってても自信満々で歩いていれば声をかけられることなんてないよ」と。
私には自信なんてかけらも見当たらないのだろう。
ただそんな私も、困ってばかりいるわけではない。むしろ困っていないときのほうが多い。それなのにいつも困っているオーラは全開。そのせいで周囲を振り回してしまう、というのが悩みの種になっている。
特にそれを感じるのは待ち合わせをするとき。人を待っているだけなのに、道に迷って立ち止まっているのではないかと心配されることが多いからだ。
そうなっては申し訳ないので「自信満々ですよ」という顔でもしておきたいところなのだが、あいにくそんな顔の作り方は知らない。仕方がないのでこれ見よがしにスマホをチェックするなどして、「困ってないですよ」アピールにいそしむことになるのである。
声をかけてほしいのはどんなときなのか
見えない私たちが1人で外を歩くのはとても大変なこと。だから、「街中で困っているときには声をかけてもらえると嬉しいです」と発信することがよくある。
ただそれを強調しすぎるあまり、「声かけなきゃ」という印象を過剰に与えてしまっているような気もする。「そこまで気にしなくていいんですよー」と言うべきかもしれない。
そもそも知らない人に声をかけるというのは相当ハードルの高い作業のはずだ。白杖を持つ人の中にも不審者がまぎれている可能性は充分にある。逆に親切のつもりで話しかけているのに不審者扱いされることもある。
「ランドセルのふたが開いてるよ」と教えてあげるだけでも怪しまれるような時代なのだ。不用意に知らない人と関わるのは避けたいところだろう。「困ってるかもしれない人を見ないふりして通り過ぎるなんて冷たい」などとは言えない。
それでも、やはり本当に困っているときや危ないときには声をかけていただきたい。と言いたいのだけれど、そこで1つ問題にぶつかる。「本当に困っているとき」とはどういうときなのか、である。
困っているのかいないのかを正確に伝えること、それはとても難しい。
助けを求めたいなら「すみませーん!」などと大きな声で叫ぶのが一番いいのだけれど、超小心者の私には抵抗がある。反応があるかどうか、いるかどうかすら怪しい誰かを呼ぶなんて、どうしてそんなことができるのだろう(よく迷子になるくせにこうして文句ばかり言っている)。
わがままかもしれないけれど、助けをさりげなく求めたい。例えば便利グッズやアプリを使って「ちょっと手を貸してください」と伝えるなど。そのほうが気が楽だし、助けてくださる方も安心できるのではないだろうか。
もっと気軽に
見えているかいないかにかかわらず、誰にでも街中で困ることはある。そんなとき、ためらわず助けを求める。少し余裕のある人が「お手伝いしましょうか?」などと声をかける。そういうことが気軽にできる社会を目指したい、と私は思う。