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障害を乗り越え、50m泳いだ!

~自己紹介編3~小学校生活の思い出

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2022.3.21

こんにちは。車いすの元気配達人、柳岡克子です。

これまでのコラムでは、重度の障害をもって生まれた私の生い立ち、幼稚園、小学校入学までを書きました。

今回は小学校生活について書きます。
国語、算数、家庭科、音楽、お弁当の時間。
そして、いちばん大変だったのが体育でした。

これまでのコラムはこちら>>
はじめまして。車いすの元気配達人です。~自己紹介編1~
障害児が普通の小学校に行く!~自己紹介編2~両親の奮闘

執筆:柳岡 克子 yoshiko_yanaoka

小学校の授業は、楽しかったです。
国語の本は、
もらった日に全部読んでしまいました。

でも文字を書くのは、
指が曲がっていて
鉛筆を持つのが難しかったので
幼稚園に入る前に
一生懸命に練習しました。

特に右の親指を広げることができないので
グラグラして安定した文字が書けないのです。
へたくそでもお手本を見ながら
時間かかったけど何とか書けるようになりました。

家庭科の時間に編み物がありました。
担当の先生は、学習指導要領に照らし合わせ
刺繍に置き換えることができるとのことで
私の学年は、編み物ではなく刺繍でした。
それは私の指が曲がっていて
どんなに努力しても
難しかったからです。
刺繍なら何とかできました。

音楽の時間はリコーダーの
演奏がありましたが
小指が届きにくかったですが
皆の何倍も努力を重ね
できるようになりました。
ギターは祖父に買ってもらい自宅で練習しました。
Fのコードが届きにくかったけど
何とか弾けるようになりました。

算数は2年生で習う九九を1年生の時に覚えて
テストの点も良かったので
物足りないぐらいでした。

お弁当の時間は、
給食はなくほとんどの子が
自宅に食べに帰りましたが
家が遠い子と一緒に
教室で食べました。

お箸の持ち方が
皆と違うけど
幼稚園に入る前に
何度も練習して
やっとつかめるようになったので
持ち方を笑われたとしても
つかめたらいいという
考え方をしようと思い、
恥ずかしいと思わないことにしました。

そんな楽しい学校生活でしたが
行くのが嫌になる日がありました。
どんなに行きたくなくても
母が車の運転免許まで取って
私を送り迎えしてくれているのだから
行かないわけにはいきませんでした。
ですから少しぐらい熱があっても
夜更かしして眠くても
たたき起こされたのです。

母に送ってもらわなかった日もありました。
弟が生まれた日です。
7歳年下に弟が生まれ
しばらくの間は
母の代わりに父の弟に
送り迎えをお願いしました。
ですからそんな日は
わざわざ迎えてくださるのだから
休むこともできなかったのです。

さて、私が学校に行きたくない
日はどんな日だと思いますか?

それは

時間割に「体育」とある日です。

幼稚園の時は皆と一緒に
お遊戯もしていましたが
小学校では
「危ない」「できない」
という理由で
いつも見学でした。

見学の児童の場所は
風邪をひいている子が大勢座っていました。
私は、風邪をひいていないので
隣で「ゴホン!ゴホン!」と
咳き込むのから逃げながら
怪我をして見学している子の隣に移りました。

風邪や怪我で見学する子は
しばらくすると治って
体育の授業を受けられます。
でも私は毎回毎回見学です。

見学ノートや感想文を書かされます。
「○〇ちゃん、頑張っていた」など
毎回同じような内容になってしまいます。
いろいろな競技の中には、やってみたいのもありましたが
出来ないだろうと思いました。

ルールはすべて覚えました。
通知表は、「保健体育」の科目なので
ペーパー試験は、100点に近かったので
「1」は付かず「2」でした。

見学がつまらなかったので
一緒に見学をしていた友達と
廊下を走っていました。
教室では、他のクラスが授業をしていました。
大きな声を出したので
怒られました。

「騒ぐのならここで本でも読んでいなさい。」と
図書館のカギを開けてくれました。

それからは、見学せず図書館にいることにしました。
読みたい本がいっぱいありました。
読み切れなかった本は借りて家で読みました。

私が好んで読んだ本は
伝記やなぜなぜ事典でした。
野口英雄やキュリー夫人に関心を持ち
理科が好きになりました。
また、ヘレンケラーという人にも感動しました。

5年生になった夏の日でした。
「次の体育はプールだ。お前も泳げ」と体育の先生に言われました。
私は、家族で海水浴に行っても
浮き輪を使わなければ泳げません。
浮き輪は小学校では禁止です。
ですから
「無理」と答えました。
先生は
「着替えにはお母さんにも来てもらいましょう」
「えーっ!」
「浮き輪なしでも泳げるようになりましょう」
和歌山県御坊市は、昭和28年7月
水害で大きな被害を受けました。
それを経験した先生が
そんな時、泳げたら助かるからと
思ったそうです。

プールの授業の日
母は、着替えを手伝ってくれました。
そして一緒にプールに入ってくれました。
私は、先生の指導で
顔つけ、手の漕ぎ方
足のバタバタのしかた。
息の仕方
など教えてもらいながら
一生懸命に練習しました。

夏休みもプールの日は
休まず頑張りました。
そして、10メートル
泳いで帽子に黒いリボンを付けてもらいました。

25メートル泳げたときは、
2本目のリボンを付けてもらいました。

50メートル泳げたとき
クラスの皆や先生たちが
プルサイドで拍手や
「頑張れ、もう少し」と
励ましてくれました。

私はしんどくて
もう足をついてしまいそうになりましたが
最後まで泳ぎ切りました。

「おめでとう。やったー」
と皆が駆け寄ってくれました。

私は今でもその時のことは忘れられません。
頑張ったらできることもある。
達成感がにじみ出てきました。
これからも何でも最後まで
あきらめないで頑張ろうと思いました。

1964年生まれ。和歌山県御坊市出身。先天性四肢関節拘縮症。2歳半まで手術のため入院生活、歩けるようになる。地元の幼稚園に通い、母の送り迎えで養護学校ではなく健常児と同じ学校に通う。神戸学院大学卒業後、学習塾を経営する。御坊市身体障害者福祉協会の会長を10年し、現在公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長をしている。

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