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インターセクショナリティとは?女性×障害者の生きづらさを考える③

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2022.4.12

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。NHK Eテレの番組「バリバラ」の収録で女性障害当事者の恋と性の悩みを語り合う座談会に参加した。障害があっても恋愛したり結婚したりしている当事者もいることは承知の上で、どうして恋愛がうまくいかないのか、インターセクショナリティの観点から考察したい。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

前回の記事で、NHK Eテレの番組「バリバラ」の収録で女性障害当事者の恋と性の悩みを語り合う座談会に参加したことを書いた。その座談会で、女性障害者はマッチングアプリで出会うことがなかなか出来ないという、なんとも衝撃的な事実を知った。

他にも、付き合うに至ってもセックスをすることがなく「妹にしか見えなくなってくる」と言われて振られた話や、ダメンズばかりと付き合ってしまう話など(これは私だ。本人の趣味の問題も多分に含まれているような気もするが、障害があることによる自己肯定感の低さも原因にあるように思う)、なかなかにディープな話題に溢れた会となった。

恋愛に関しては問題解決の糸口はとうとう見つからなかったものの、今まで理解されずにひとりで抱えていた悩みを吐き出し、似たような境遇の同世代の女性たちに聞いてもらえたことでなんだかスッキリしたし、元気をもらえた。

もちろん、障害があっても恋愛したり結婚したりしている当事者もいることは承知の上で、今回の記事では、どうして恋愛がうまくいかないのか、インターセクショナリティの観点から考察したい。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


「かわいいじゃなくて、きれいと言われたい」と、生まれつき身体の小さなアラサーの当事者女性は言った。大人っぽい服装にメイクにネイル。それでも、まるで子供のように扱われることがある、と。これは大なり小なり多くの女性障害者が経験していることではないだろうか。

一人前の大人の女性として扱ってもらえない。まともに意見を聞いてもらえなかったり、当事者のことなのに、当事者ではなく隣に立っている介助者に伝えられたり。

「純真無垢」「天使」という勝手なイメージの押し付けがあり(こういうのをマイクロアグレッションというらしい。マイノリティに対して向けられる偏見や先入観が些細に見える言動として現れたもののこと)、性的なものから遠ざけられたり、女性であることすら認めてもらえなかったり。

女性は男性よりも保護されるべき存在であるという固定的なジェンダーのイメージがあるが、障害があればなおさらだ。また前回の記事でも触れたが、女性は家事・育児・介護などケアをする役割を担うという規範があり、ケアを必要とする障害者は、それには当てはまりにくい。そうやって自分への自信や信頼を失いがちだ。



マッチングアプリでは、結婚、あるいは結婚を前提とした付き合いを求める人の利用が多いだろう。そのために年収や職種、学歴、子供がほしいか否かなどをプロフィールに書き込まなくてはならない。いわば市場の売り物として、自分に自分の価値をラベリングして陳列棚に並べるようなものだ。

車いすだとカミングアウトすると出会えないのは、そもそも出会いの目的があり、手段としてマッチングアプリを選択しているのは効率よく最も好条件の相手を探すためであり、結婚(あるいはセックス)するのに困難がある相手に会っても意味がない、時間がもったいないという価値観があるのかもしれない。

また、「妹にしか見えなくなってくる」ということも、結局のところ、「結婚ができない」「セックスの対象とならない」ということではないだろうか。

介助を常に必要とする重度障害者は、どうしても近くにいる人に介助を頼まざるをえない。パートナーとなれば必然的に負担は増えてしまう。日常的にプライベートゾーンに触れる機会も多くなってしまうことから、性的対象として捉えにくくなってしまうのかもしれない。

セックスがなくても人間関係は出来るが、結婚して子供がほしいという希望があるならば、セックスの対象にならないのは一つの困難となってしまう。

photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


今年の2月、1996年まで存在した旧優生保護法によって不妊手術を強制された障害者が損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が大阪高裁であり、大阪高裁は原告の訴えを一旦は退けた一般判決を取り消し、国に初の賠償命令が下した。旧法の強制不妊の規定は違憲と判断されたのだ。

しかし、国はこの判決を不服として、3月に最高裁に上告受理の申立を行ったらしい。

旧優生保護法には、「不良な子孫の出生防止」を目的に障害者本人の同意なしで不妊手術ができるという規定があり、1994年までの統計だけでも、16,520人が対象となり、そのうちの7割近くが女性の身体に行われた。

1998年には、国連自由権規約委員会が強制不妊の対象となった障害女性が補償を受ける権利を法律で規定するよう日本政府に勧告していたが、救済法が成立したのは2019年。旧法成立から71年も経ってのことだ。

この法律の存在によって、障害者は子供を生むべきでないという差別が助長され続けてきたのだろう。そして私たちはこの強制不妊手術を受けた当事者の実態や苦しみを知らず、声を聞かず、問題を認めず、解決しようとしてこなかった社会で暮らしてきた。それが一体どういうことであるかというのを、私は考えざるをえない。

婚活目的で利用されるマッチングアプリで女性障害者が出会えないのも、そのような社会であるから、と言い切ることは出来なくても、原因があるのではないか。

ここで書いたことは、すべての女性障害者が、あるいはすべての男性がそうだと限った話ではないし、インターセクショナリティによって社会運動や連帯が断片的になって力を失うことは、元も子もない話だ。

しかし、インターセクショナリティという概念によって社会の問題が可視化され、議題に上げることが出来るようになることは画期的なことだ。


※NHK Eテレ4月15日(金)22時半〜のバリバラ「女性障害者の体と性のなやみ」もぜひ観てください!


1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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