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笑いと差別と障害と

~アカデミー賞授賞式での事件を受けて

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2022.5.9

今年3月28日、俳優のウィル・スミスさんがコメディアンの男性を平手打ちした事件は大きな話題となりました。背景にはスミスさんの妻が脱毛症であるところ、それを揶揄するようなジョークをコメディアンが放ったことにあるそうです。

笑いと差別と障害。

この3つはかねて議論されています。
今回は『差別はたいてい悪意のない人がする』(キム・ジヘ著、大月書店)の中から、笑いと差別に関する章を参照しながら、この点について私が考えたことをお伝えしたいです。

執筆:大河内 光明 Komei Okouchi

人が笑う理由

まず、私たち人間が「笑う」のはなぜでしょうか。

プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、不器用さを見ると喜ぶと述べた。笑いは、かれらに対する一種の嘲弄の表現だと考えたのだ。このような観点を優越理論(superiority theory)という。(本書p92)

トマス・フォード(2015)らは、人を侮蔑するユーモアが心の中に潜んでいた偏見を外へ解き放つと説明する。人は、たとえ特定の集団にネガティブな偏見を持っていたとしても、普段社会の規範を意識するため、表には出さない。しかし、だれかが差別的な冗談を投げかけると、差別を気軽に扱ってもいいという雰囲気がつくられる。(中略)これを偏見にもとづく規範理論(prejudiced norm theory)と呼ぶ。(本書pp93-94)

引用元:『差別はたいてい悪意のない人がする』(キム・ジヘ著、大月書店)

この本の中では、「差別は“内”と“外”、“わたしたち”、“あなたたち”」という感覚から生ずるということを一貫して述べています。つまり、笑いは基本的には「自分とは違うもの」に対してのみ起こりうる現象なのです。

アカデミー賞授賞式でのジョークは正当だったか

アカデミー賞授賞式での事件をふまえ、日本のワイドショーのコメンテーターがこのような趣旨のことをいっていました。

「アカデミー賞授賞式に登壇する人は“社会の成功者”。コメディアンの男性はその人たちをジョークの種にすることで、社会的地位を覆すジョークをしたかったのではないか」。

このコメントに、私は少々違和感を持ちました。

人は一つの属性から成り立つものではありません。今回ジョークの対象にされたスミスさんの妻ジェイダさんは、「成功した俳優、ウィル・スミスの妻」であり「脱毛症の当事者」であり「黒人女性」であり……数え上げたらきりがないほどの属性を持っているでしょう。

先に紹介した本では、地位が上→下にする侮蔑的ジョークと、下→上にする侮蔑的ジョークを峻別して論じています。前者は「侮蔑される人の実生活に重大な影響を及ぼす」と、後者は「私もあなたをわらうことができるというカタルシス効果をもたらす」といいます(pp102-103)。

今回、コメディアンの男性が狙った笑いは後者だったのでしょう。会場でそうした地位ある人々をこき下ろすネタを披露することで、一般の市民に対するカタルシス効果が得られると思ったのではないでしょうか。しかし、ジョークの種にする対象を間違え、個人の中に内在するマイノリティ性を揶揄する形になってしまいました。
コメディアンの男性自身にも障害があるとの報道も一部ありましたが、それだからこそ、この点は気を付けるべきだったでしょう。

それでは、そうした笑いに遭遇したとき、観客である私たちはどう反応すればいいのでしょうか。

本書では「反応しない」ということを対抗策にあげています。
反応しないということで、「そのジョークは笑えない」という明確なメッセージを送ることができるのです(pp105-106)。

障害者自身が障害を「笑い」の種にすることについて

今回この話題が取り上げられるようになった際、私が思い出した一人の盲目の漫才師の方がいます。2018年にとある漫才師コンテストで王者となった男性です。

「芸人目指してから、目どころか自分の将来も見えなくなりましてね」
「こんなやついたら、私は目見えてないですけど目をそらしますね」

これらが彼の得意とする「掴み」です。私たちはこの「笑い」を、私たちはどう受け止めればいいのでしょうか。

実際、障害者に対する配慮の進む2022年現在、いくら当事者といえど、この漫才を彼が公の場所で披露することには賛否がありそうです。

しかし、彼自身は障害を「お前、ほんまは目が見えてるやろ!」というふうに「イジリ」に使われることにも、抵抗がありません。自分はあくまで漫才がやりたいのであって、「講演会」がしたいのではない、と福祉系の仕事も抑えているとのこと。

障害をなかったことにせず、「茶化して」いく姿勢。

笑いには「分離」「客体化」の作用があります。
そうなのだとすれば、「一人の人間、漫才師」としての自分から、「障害」という部分を切り離して笑いの種に使うことは、十分可能性があることなのではないかと思います。

たとえば、眼鏡を付けていることをキャラクターに売り出すこと。豊かな体格を活かして体を張った仕事をもらうこと。そういった延長線上に、障害を個性として捉えていくこともできるような気もするのです。

最後に

ポリティカル・コレクトネス(※1)が求められるようになる世の中で、これから私たちは様々な場面で「これは差別ではないか」と笑うことをためらう場面に遭遇するでしょう。今回のアカデミー賞授賞式の件はそれを象徴しているように思いました。

これから先、「笑う」という行為は、「怒る」「泣く」といった感情表現以上に、公的な場所で憚られるようになっていくかもしれません。代わりに提供される話題は、環境問題や格差是正などの公的でまじめなものになり、ひたすらに神妙な顔でうなずくことが新たなマナーになる……そんな未来もあるのかなと思っています。

一方で、最後に挙げたような、障害を積極的に笑いの種にしていこうという最前線のエンターテイナーもいます。

笑いと差別と障害。

とても難しいテーマですが、これから先の社会がどのように、これらの矛盾する問題を調和させていくのかとても気になるところです。

今回参考に挙げた本はとてもいい著作でした。今回のアカデミー賞授賞式の一件が気になった方は、ぜひ手に取ってご一読ください。


※1 ポリティカル・コレクトネス…人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること(デジタル大辞泉より)

参考URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/b601d713e778f0ad774b4f00bfd708a275db4a89?page=1

1994年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、web出版社、裁判所職員を経てライター。発達障害(ADD、ASD)当事者。

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