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地域で共に暮らすということ。共同体感覚と自己肯定感のつながり

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2022.5.17

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。コロナ禍によってリモートワークが普及し、東京からの仕事の依頼が増えたこともあり、上京を考えている。とはいえ、地方は地方で悪いところばかりではない。大分県別府市。今暮らしているこの街の居心地の良さは何だろう。地域で共に暮らす共同体感覚が自己肯定感に与えている影響とは?

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

上京を考えている。というのも、地方では障害者向けの仕事が極端に少ない。法定雇用率の罰則規定が適用されるような大きな企業が少ないことも影響はありそう。

まだまだバリアフリー化が進んでいないからか、仕事があったとしても、軽度の、身体がある程度動く障害者向けで、清掃や運搬など、やり甲斐や先行きが見えにくいものばかり。

車いすや重度障害者向けの仕事はほんの一握りか、就労継続支援A型・B型など福祉の枠組みのものが多い。公共交通機関は都会ほど整っておらず、車無しで生活するのは難しいが、車を得たり維持したりするだけの収入がない。

コロナ禍によってリモートワークが普及し、東京からの仕事の依頼が増えた。ならばむしろ、東京に住んだほうが便利がよく、やり甲斐を感じる仕事も増えるのではないか、と思っている。

リモートワークが増えたとはいえ、完全リモートワークはハードルが高い。自宅で仕事ができるからといって、それが楽だという訳ではない。自己管理を徹底しなければいけないし、働いている姿が見えないため、信頼関係を築くのに、どうしても成果主義的になってしまう。

とはいえ、地方は地方で悪いところばかりではない。

駅に近い物件でも家賃が安く、広さもある。車いすで生活している以上、部屋はある一定の広さが必要になる。物価も安い。そもそも仕事があったとしてもバリバリ働いて稼げる体ではないので、体調のことを考えれば、なるべく省エネ・倹約で、毎月もらっている年金の中でやりくりし、足りない部分をどうにか補うくらいが一番安心だ。

元々は高校生の頃、大学に行きたくて考え始めた上京だが、16歳の頃に受傷し障害者となってしまい、それどころではなくなってしまってからは、まずは何よりも生活を優先…と考え、いつかそのうち、と思いながら、思った以上に収入が上がらず、気がつけば地元から出ることは叶わないまま、十数年経ってしまった。

そして今、少しずつではあるが収入が増え始め、わずかながら貯金できるようになってきた。ある程度まとまったお金が出来たら上京したい……。そう思いながら、どうにも後ろ髪引かれる。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


選択肢がない中、障害者施設を転がり出てそのまま居着いたようなこの街・大分県別府市。

扇状地にあって坂だらけ、古い町並みも相まってバリアだらけの街ではあるものの、なぜだろう、気軽にサポートしてくれる気さくな人が多く、車いすであっても他の街ほどに人の視線が気にならない。長く暮らし、人付き合いが広く深くなっていく中で、街により愛着を持つようになった。

この居心地の良さはなんだろう?

観光地だからよそ者に親切なのだ、という理由だけでは物足りなさを感じる。「場は人を育てる」という言葉があるが、別府という街になにか特別なものがあるのではないか、と、郷土の歴史に少しだけ興味を持ったことがある。

湯けむり立ち上る温泉都市として知られる別府は、源泉数、湧出量ともに日本一なのは有名だが、その歴史は鎌倉時代まで遡り、一遍上人が地獄を鎮めて湯治場を開いたと伝えられる。元寇の役の戦傷者が保養に来た記録が残っており、多くの人々が病気や怪我を癒やすために別府に訪れたという。

明治・大正の頃には陸軍病院や海軍病院が建設され、戦後には別府原爆センターといって、原子爆弾被爆者の温泉療養を目的とした保養施設もあった。

昔から心身に傷を負った人が外部から訪れ、そのまま暮らしていたのだろう。別府はとにかく病院が多く、障害者の数も多い。

戦火を免れたために街並みは古く、特に線路より海側は、ぎゅっと凝縮されたように建物がひしめき合い、人々の生活の距離が近い。よって無理に車を持たなくても、徒歩圏内である程度生活に必要なものは揃ってしまう。

年々少なくなってしまって廃れつつあるが、共同浴場の文化があり、一階は温泉・二階は公民館というスタイルの建物が地区に存在する。地域の人達は文字通り裸の付き合いをしていて、心の距離感も近いと言えるのではないか。

戦後の別府はアメリカ進駐軍に占領され、接収された土地に「キャンプ・チッカマウガ」が建設された。別府へ行けばなんとかなるかもしれないと、街には、海外からの引揚者や戦災で家や家族を失った人たち、在日朝鮮人が住む場所や仕事を求めて溢れかえったという。

いわば別府は「避難所」となっていた。

歴史を知れば知るほど街に親近感が湧いた。この街は傷や痛みを背負った人たちの街なのだ。私は実のところ、仕事にはなかなかありつけず、暮らしは慎ましいものの、別府での生活で本当に困窮したことはない。

もし仮に今私が無一文になり、明日食べるものがなかったとしても、この街の人たちが手助けしてくれるだろうという根拠のない自信がある。これを共同体感覚というのだろうか。

すっかり街に馴染み、社会の構成員のひとりであるという自覚があり、社会からもまた存在を認められているような気がする。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


そんな私にNHK大分局より番組出演の依頼があった。タイトルは「“傷み”を抱く街に生きて~占領のまち別府・戦後女性史~」。ディレクターはNHKハートネットTVなどで長年ジェンダーや障害者の問題と向き合ってきた女性だった。

別府はいつも戦争によって傷ついた人々を癒やしてきた。そのケアの担い手は女性が多かったはずだ。

ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチによる『戦争は女の顔をしていない』というノンフィクションが最近話題になっているが、歴史というものからはこぼれ落ち、無いものとされてしまう街の人々、特に女性の言葉をすくい上げ、”傷み”と向き合い、共感をもとに寄り添うことが出来たなら……と出演を決めた。

一週間のロケ撮影で別府の様々な場所に赴いて取材をする中で、ますます別府という街が私たちにもたらす「社会」というものがわかってきたように思う。

次回の記事では、放映された番組の内容に触れつつ、マイノリティが共生できる地域社会について考えたいと思う。


※放送は2022年5月20日(金)NHK大分総合19時半から。
(放送は大分のみですが、NHKプラスでの見逃し配信もあるそうなので、全国の方に観ていただけます)

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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