結婚するなら同じ障害を持つ相手が理想的?全盲当事者の考え
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2022.6.9
夫は弱視、妻は全盲で、私たちは視覚障害者同士で結婚している。夫婦になってもうすぐ6年。全盲の私から見て、「パートナーが視覚障害者」というのは理想的なのか。体験をもとに考えてみたい。
執筆:山田 菜深子
障害者の結婚というと、「同じ障害を持つ仲間同士のほうがわかり合えて理想的なんじゃないか」とか、逆に「障害者同士だと生活が大変そうだからうまくいかないんじゃないか」とか、さまざまな意見があるようだ。
そんな中、私は視覚障害者同士で結婚している。夫は弱視、妻は全盲、夫婦になってもうすぐ6年になる。全盲の私から見て、「パートナーが視覚障害者」というのは理想的なのか。体験をもとに考えてみたい。
視覚障害は私たちを結びつける要素
私と夫が出会ったきっかけは、視覚障害関連の団体だった。何度か顔を合わせるうちに、2人の距離はどんどん縮まっていった。
彼との時間はとても充実したものだった。似たような経験をしている仲間と話すと心が軽くなる。「当事者同士だからこそ言い合えること」というのはやっぱりある。例えば「なんでみんな見た目にこだわるんだろう?」などと嘆きを語り合い、私たちは激しく共感し合った。
そしてそれが結婚につながった。その意味で、私たちを強く結びつけている要素の1つは「視覚障害」と言えそうである。
もちろん、障害者同士で生活していると大変なところもそれなりにある。例えば2人で食事に出かけるとき。新しいお店を開拓するのはエネルギーの要る作業なので、いつも同じお店になってしまう。ちょっと物足りない気もする。
でも、これはこれで楽しい。どんなことも自分たちにできる範囲でより心地よいやり方を考えて、周囲の方々の手も借りたりして、なんとかこなせている。
こう考えると、「障害者にとってはパートナーとして同じ障害を持つ人を選ぶのが理想的」という考え方には大いにうなずける。
私の周りを見ても、視覚障害者同士の夫婦は多い。例えば、母校の盲学校で誕生した生徒同士のカップルだと数組が結婚に至っている。まあ、盲学校は出会いの場として最強だし関係性をめちゃくちゃ深められる場所だから(私の感覚です)、というのも大きいかもしれないけれど。
視覚障害者ならではの悩みなどを共有できる、そんな相手が近くにいてくれたらリラックスして日々を過ごせるはず。これはきっと重要なことだ。
違いはプラスに変えられる
ただ、だからといって「同じ障害を持つパートナーでなければ心の支えとして充分ではない」などとは言い切れない。私にはそう感じられるのだ。
障害者と健常者の夫婦を私は何組か知っている。障害のせいでうまくいかないという例もないわけではないけれど、とにかく仲がよくて幸せそうな夫婦は多い。
「パートナーが健常者だったら障害者のほうは助けてもらうばっかりになるんじゃないか」と想像される方もいらっしゃるかもしれないが、実際に彼らに会うとそんなふうには見えない。生活面でも精神面でも助け合い、必要とし合っているのがよくわかる。
彼らの間には障害があるかないかで大きな違いがあるのだろうし、もしかしたら、そこに戸惑うこともあるかもしれない。
でも、それを苦にしている様子はないのだ。お互いの違いを楽しむ。そしてそれを生活の中で活かす。そんなふうにして彼らは日々をより良いものにしているのではないか、と私は思う。
これは、同じ障害を持つ私と夫にも言えることかもしれない。私たちの間にも、「えー?」と感じられるような違いはたくさんある。育ってきた環境も、趣味も、嫌いな食べ物も違う。全盲と弱視の違いを感じることもある。それでもその違いを「面白いよね」と受け入れて、プラスに変えて生活しているのだ。
私たちにとって本当に一致していなければならないところはただ1つ。「価値観」だけなのではないだろうか。
お互い自分らしくいられればいい
基本的にずぼらな私は結婚に向いているタイプではないし、結婚願望が強かったわけでもない。それでもあえて結婚という道を選んだのは、「過剰に頑張ったりせず、自分らしくありたい」という私の生き方を彼が認めてくれたから。彼も同じ価値観を持っていたのだ。
視覚障害のおかげで結びつき、私たちは夫婦になった。でも視覚障害という共通点以上に、この価値観が共通していることが私にとっては大きな心の支えになっている。
自分らしく生きる私と彼は、結婚生活のために自分を曲げたり我慢したりということはほとんどしていない。今も私が結婚前と何も変わっていないのはたぶんそのせいだ。大きく変わったことがあるとすれば、それは苗字くらいだろう。
思えば苗字変更手続きは何かと大変だった。それでも旧姓を離れたことで、それまでの黒歴史を脱ぎ捨てることができたようなすがすがしい気分になったものだ。せっかくだからこれを機に新しい自分になるんだ、と意気込んだりもしたのだった。結局新しい自分になんてならなかったけれど。
これからも、夫とともに毎日黒歴史を積み上げていくのだろう。まあ、それもきっと悪くない。