障害を負ってからイメージが変わったこと
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2022.6.14
私は心筋梗塞の手術の合併症で脳梗塞となり、左半身麻痺の後遺症があります。今回は、自分が障害者になってから気づいたことやイメージが変わったことなどについて書いていきたいと思います。
執筆:市川 潤一
私は20年近く激務や不摂生を続けてきた結果、心筋梗塞で救急搬送され、手術の合併症で脳梗塞になり、後遺症として左半身麻痺の障害を負いました。
前回まで、障害を負うきっかけになったことや、障害を負ってからどのように考え、生きてきたかなどということについて書いてきました。
今回は、実際に自分が障害を負い、障害者になってから気づいたことやイメージが変わったことなどについて書いていきたいと思います。
私は左半身麻痺の身体障害者ですので、手術後の入院期間からできないことや、人の手を借りなければならないことがたくさんありました。
病院関係者は忙しい上に、リハビリ目的のためにあえて手出しをしすぎないような面もあるのでしょうが、それにしても、「病院の人は意外と冷たいな」と感じる場面が入院中に多々ありました。
「危ないから一人でトイレには行かないようにして、誰かを呼んでください。」と言われているので、実際に呼んだところ、「自分一人でも行けるんじゃないですか?」と嫌味のように言われてしまったこともあります。
それならばと一人でトイレに行き、トイレ内で転倒してしまったときには、「なんで一人で勝手に行ったんですか」と叱責されるようなこともありました。
お見舞いに来てくれた人が病院の人の代わりにトイレに付き添ってくれようとしたところ「手を貸してはダメです。」と制止される場面もけっこうありました。
もちろん手を貸してくれることに感謝はしましたが、できないことを揶揄するような発言や行動もとられていると感じることもありました。
きっと病院の種類や方針、その個人の性格によっても違ってくるとは思うのですが、私自身は入院中、病院に対していい印象を持つことはできませんでした。
また、私は自分が障害者になるまで、障害者と関わることがほとんどありませんでした。就労継続支援のB型事業所※1(以降、略 B型)を利用した際に、自分のような身体障害者が全然おらず、「障害者と言っても、精神障害や身体障害など、いろんな種類があるのだな」と感じたことを覚えています。
「障害者」といっしょくたにしてはいけないのだと思いました。
ケアマネや社会福祉協議会など、障害福祉の相談職の方から、「B型事業所はきっと同じような障害を抱えている人がいて、友だちが作れて情報交換とかできるかもしれないから行った方がいいよ。」と言われていましたが、実際に行ってみると、私のような身体障害者はいませんでした。
私の目からは「この人のどこに障害があるのだろう。なぜ、一般企業で働かないのだろう。」と感じるような人がけっこういて、戸惑った覚えがあります。
その頃はまだ、B型がどういう人を受け入れるのかとかそういうのもよくわかっていなかったので、仕事を辞めてからブランクがある人も受け入れていると知ったのは少し経ってからでした。
障害を負ってから気づいたことと言えば、一見平らに見えるアスファルトの舗装道路は意外と凹凸がひどくて歩きにくい、雨の日のコンビニの床は非常に滑りやすく危ない、ということです。
また、私は杖にヘルプカードを付けて出歩いているのですが、きっとまだ今の日本ではヘルプカードというものがそこまで浸透していないのだろうと思います。私は横断歩道を渡るために手助けが必要な訳ではないのですが、車通りが多く、距離が長い横断歩道を渡っているときに車を制するように横を歩いてくれるのは、日本人よりも海外出身の方が多いです。
「きっと海外では早い段階から多様性に関する指導や授業がされていたから私たちのような障害者に積極的に手を差し伸べるのも彼らにとっては普通のことなのだろうな」という印象を受けています。
逆に日本人は自動ドアじゃ無いところで手間取っていると、障害者を手助けするゲームみたいな中学生の度胸試しみたいな場面に出くわすことはあります。まだまだ日本社会の障害者福祉や多様性に対する理解は熟成していないのだろうな、と感じています。
※1 就労継続支援B型 一般企業に雇用されることが困難であって、雇用契約に基づく就労が困難である者に対して、就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供を行います。
厚生労働省 障害者の就労支援対策の状況
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/service/shurou.html