どちらの生き方も正解 「隠す派」だった私が障害を公表するようになったワケ
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2022.6.22
著名人も含め、最近では障害を公にしようという風潮が高まっているように感じる。
だが、当事者にとって本当に大切なのは、自分が楽になれる障害との付き合い方を見つけることだ。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
私は障害を公にすることで楽になれた
私は長年、自分の障害は「隠さなければいけないもの」だと思っていた。それは、私の両親が「隠す派」であったからだ。
友達や親しい人に、病気のことを説明するのはいい。でも、自分から公にするべきことではない。それが両親のスタンスだったから、極力、持病があることを自ら打ち明けないようにしていた。
けれど、そうした生き方が、ずっと苦しかった。本当の自分で向き合えていないような気がして嫌だったし、相手が心を許してくれていると分かった瞬間、この子はこんなにも信頼してくれているのに、自分には言えないことがあるという事実が痛かった。
しかし、障害があることを伝えたら、私の見え方が変わったり、必要以上に気を使われてしまったりするのではないかと怖く思い、言えなかった。「障害は個性だ」と主張できる強さも、私にはなかった。
だが、20代の頃、これからずっと、こんな生きづらさを抱えて生きていくのは嫌だと思った。だから、期間を決め、「親しさの濃度に関係なく、出会った人には勇気を出して障害があることを話す」を、実験的に行ってみることにした。
その中で感じたのは、「人は意外と分かってくれる」という温かい事実。本当の私を知っても、引いたり関わりを絶ったりする人はひとりもいなかった。
そして、「気を使われるのが苦手だから、助けてほしいと言うこと以外は普通に見守ってほしい」と伝えると、周囲から必要以上に気を使われることもなくなった。
この生き方のほうが、私は生きやすい。そう、しっくりきたから、持病を隠すことをやめた。そして、自分の生きづらさをメディアプラットフォームやウェブメディアで伝えるようにもなった。
すると、ある日、Twitterに1件のDMが。そこには、私の経験談やその中で感じた気持ちに似たものを感じて涙が出たことや、似たような人がいることを知って救われたという内容が書かれていた。
まさか、自分の経験談が誰かの涙をぬぐったり、ささやかな希望となったりするなんて…。そんな驚きと嬉しさから、泣いた。どうして生まれてしまったんだろうと命が紡がれたことを何度も悔いた日も、「私は欠陥品だ」と自身を責めた日もあってよかったと思えるようになった。
誰かの明日を築く一部になれる。そんな体験ができたから、私はこれからも人生を綴り続けていく。
持病を隠す生き方も正解
私は障害を公にすることを選んだ人間だが、隠すことで楽になれた両親の気持ちも分かる。
両親が私を育ててくれたのは、今よりも障害者理解が得られにくい時代。当たり前のように役所で障害児福祉手当の申請をした際、「そんなにも金が欲しいのかよ」と担当者から言われたことがあったと言う。
私には言わないけれど、両親はきっと他にも、なにげない日常のあらゆる場面で様々な痛みを経験してきたはずだ。
生きてきた時代や関わった人によって、障害を隠すことで楽になれるか、公にすることで楽になれるかは違う。だから、社会の風潮よりも、その人にとって一番辛さを抱えない障害との付き合い方を選べばいいし、どんな選択にも非難の声が寄せられない社会であってほしい。
日本社会はどうしても、あらゆることに白黒つけたがる傾向がある。近頃は多様性が叫ばれているけれど、その中にも「こうした受け止め方が正しい」という、暗黙のプレッシャーのようなものがあると、私は思う。
けれど、人の心は白と黒で簡単に区切れない。障害は公表できる人がすればいいし、経験談は伝えられる人が話せばいい。隠す生き方で心の平穏が守られるのならば、その生き方がその人にとっての正解だ。
障害を隠すことは弱さではないし、公にしている人はその人なりの葛藤を乗り越えて、その心境になったのだから、どちらの場合でも第三者が口を出す権利はない。
私のもとにも、たまに「普通なら、持病は隠す」や「病気は隠すもの」という声が届くことがある。けれど、誰に何と言われても、私は自分が楽になれる道を突き進むつもりだ。
不特定多数の人が目にするTwitterのプロフィールに記した、「先天性心疾患」の文字。単なる病名の説明だと思われるその文字には、私のこれまでと覚悟が詰まっている。