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「音や声のない世界」とは、どんな感じか

~「きこえない・きこえにくい」とは?

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2022.6.29

私は完全に「音や声のない世界」の人になって今年で4年目である。

その前は「どこの世界にいたのか?」というと、「音や声のある世界」にいた。

非常に息切れしながら生きていた。

20代半ばのときに、「音や声のない世界」にいたいと思うようになった。
そうして4年目を迎えるが、この世界はたいへん快適だと思っている。

執筆:中川 夜 Yoru Nakagawa

「音や声がある世界の人」はごく自然にきこえている

「音や声のある世界」の知人が、
「きこえてしまうのがデフォルトで『きこえない・きこえにくい』ことを体感しにくい。想像するのは実は難しい」
と話してくれた。

それをきいて、私は「音や声のある世界」は「音声」がひっきりなしに飛び交い、そこにいる世界の人はそれをキャッチするのがごくごく自然なのだなと想像した。

「音や声のある世界」の人から見たら「きこえる」能力は当たり前にあるものらしい。

聴(こえる)者と話すときに、こんなことがよくある。

事前に「聴覚障害者であること」、「筆談でご対応をよろしくお願いします」と伝えた。しかし、実際に会うと、声で話してくる、筆談を渋る、さらに「口の形から言葉を読み取れますか?」ときかれることが多い。

そういう理解に乏しい人が一定数いて、そんな人たちの印象が、私にとっては強くネガティブに残る。

なかには、「きこえない・きこえにくい」ことを理解しようとしてくれる人もいるかもしれないのに。

そういう人の存在を信じて、「きこえない・きこえにくい」とはどういうことか、私の個人的な感じ方を共有したい。

「こういうことなんだね!」と少しでも想像してくれると有難い。

「きこえない・きこえにくい」とは

「おはようございます。今日は晴天ですね。気持ちいい朝です」

一見、取るに足らないあいさつ言葉だと思う。

これが、「きこえない」視点で、口の形から読み取ろうとすると、こんな風に世界が見える。

「@#$^*~/==$^~==$3%●■♡¥₩£{{|}~*~/==$~]/=●■}○●•°……」

「きこえにくい」視点だとどうだろうか。

「お??ようござ????す???今日は晴天です??。気持ち????朝で?」
(協力:文字化けテスター)

「きこえない」より「きこえにくい」の方がまだ理解しやすいと思う。

しかし、この状況は意外と疲れやすいのだ。

なぜなら、中途半端にわかってしまうため、「きこえた日本語の言葉」を脳で「正確な日本語の言葉」へ翻訳する作業が必要になる。

つまり、聴者の場合、「おはようございます。今日は晴天ですね。気持ちいい朝です」とすんなりきこえる。

しかし、かつて「中等度~重度難聴の聴覚」を持っていた私の場合は読唇術(口の形から内容を予測すること)を活用しながらこうきこえていた。

「お??ようござ????す???今日は晴天です??。気持ち????朝で?」

「?」の部分が何なのか言葉を想像するタイムラグが生じるのである。その間に、話し手の話が進むことも考えると、翻訳処理の回数が増える。

脳の処理が追いつかないので、結果、「きこえない」し、「わからない」のである。

また難聴が重くなると、「?」の数は増えた。

それでも周囲のほとんどは「きこえて当たり前」なので、追いつくように努力するしかない状況に追い込まれるというケースを私はたびたび経験した。

その結果、「辛すぎて死ぬしかないのかもしれない」と思うことが何度もあった。


※聴こえかたのイメージについては、ライターがんちゃんも、同じような内容を書かれています。

「音や声のない世界」の人になったあと

「このまま、きこえる努力しろと言われ続けるのは生き地獄だ」と思って、私は20代半ばになって「音や声のある世界」から脱出した。たいへん生きにくかったのである。

コミュニケーションがうまくいかず、毎日のように「きこえない自分」を「否定」をしまくっていた。

そして、「きこえない自分は悪なのだ」と精神衛生上、良くない言葉を自分に言い続けていたら、精神障害を発症してしまった。

そんな「生き地獄」から脱するために、私は「音や声のない世界」に決死の覚悟ですがりついた。

以来、「音や声のない世界」が自分にとっては自然だと認識できた。

そして「きこえない自分」が「自然」な前提で生きたら、「きこえない」を必要以上に、否定することはなくなった。

世の中は「音や声がある世界」や「きこえる」が当たり前だという認識のもとで回っている。

しかし、頭の片隅でいいので「音や声のない世界」の人がいることも認識していただきたいと思う。

「きこえない・きこえにくい」という人は、聴覚から情報を得られないし、得られにくい身体的特徴を持つ。

そして、私にとって「きこえない・きこえにくい」とは先述した通りの「感じ方・きこえ方」なのだ。

その上で、「きこえない・きこえにくい」の人とどうコミュニケーションをとればいいのか?

また次回以降のコラムにて提案したい。

1991年生まれ。生まれつき耳が聴こえないが、教師両親から「聴者」のようにと教育される。中学生から不登校に。高校で学校に通えなくなると適応障害と診断される。のち統合失調症発症。
27歳にメンターと出会い、「これまで原因は貴方にあったのではなく背景に外的要因があったから」というくり返しの会話で深い心理的安全を得る。現在、ライターとして活動。

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