PARA CHANNEL Cage

思春期、私を救ってくれた音楽との出会い

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2022.8.1

中学生の頃
私の心の奥には
「いつか見返したる、今に見ておれ」
という負けん気根性がありました。

執筆:柳岡 克子 yoshiko_yanaoka

座ることもできず
走ることもできず
こけたら一人で起き上がることもできません。

落としたものも拾うこともできず
階段も助けてもらわなければ上がれません。

何をしても
負けだと思いました。

でも
勉強だけは
堂々と
勝てている。
やんちゃな子等に勉強を教えながら
いつか誰かに認めてもらって
勝ってやる。

負けるもんか。

そんな気持ちで頑張りました。

中学生というと思春期!
自己に目覚める時
やんちゃをしたいのは私も一緒。
嫌な気持ちになってどこかにぶつけたいことも出てきました。

ある日
親しい友達が
「放課後一緒に宿題をやろう」ということになりました。

私も一緒に仲間に加わりたかったけど

母に車で送ってもらい
6限目が終わるころに
母に迎えに来てもらう。
そんな通学をしていると
寄り道ができません。

皆自宅に帰って
着替えて
自転車に乗って
集合場所の家に行くことになっていました。

しかし
私は
自転車に乗れません。
皆が普通にできることが
私にはできないのです。
クラスの誰もができることなのに
私だけができない。

悔しくて
情けなくて
辛くて
どうしようもない寂しさを感じながら
泣きました。

布団がべたべたになるほど
朝まで泣き明かしました。

どうして
私はこんな身体なんだろう。
誰かに
怪我させられたわけではないので
誰かを
恨むこともできません。

ただただ
運命を呪いたくなるような
どうしようもない叫びを布団の中に埋めました。

これから先
生きていても
いいことなんかない。
苦労するばかりだ。
それなら
早く楽になりたい。

遺書を書きました。
まず
母へ
父へ
かわいい弟へ
先生へ
友達へ

いろいろ書いていくうちに
皆に世話になってここまで生きてきたことの
お礼文になっていました。
そんなに
世話になって来たのに
このまま死んでしまっていいのかなあ。
私が死んで泣いてくれる人がいるだろうか。
誰も泣いてくれなければ寂しいし
誰かを泣かしてしまうのも悪い気がするし。

そんなモヤモヤした日が続きました。

ある日
音楽の先生が
市で補助金を出してもらって
中学校に吹奏楽部を作るので
楽器が納入される日に
見学においでと誘われました。

音楽室へ行きました。
先生は私にいろいろな楽器を触らせてくれました。

フルート
親指が届きません。

クラリネット
旋律なので吹いてみたかった。
小学校では努力してリコーダーが吹けたので
これも吹けると思いました。
幅が広くて小指が届きません。
残念でした。

トロンボーン
重くて前に突き出したとき
倒れそうになりました。

トランペット
3本指なので大丈夫と思いました。
1分ぐらいで肩が疲れて支えられなくなりました。

もーいい
ないや
私にできる楽器ないや

先生にそう言って帰ろうとしました。
出口付近に
ドラムが置いてあって
ぶつかりそうになりました。
気持ちが荒れていたのでやけくそになって
上に乗せてあったスティックで
パーンとたたきました。
その様子を見ていた
先生が
「これだ、太鼓、こらならいける」

先生は
スティックの持ち方を教えてくれ
たたき方をまねするように
たたいて見せてくれました。

トントントン
左右交互にたたけばいい
割と簡単で
力もそんなにいらない
スティックの持ち方が少し違うけど
たたけないことはない。

たたくとモヤモヤしていた気持ちがすっきりしました。
私も先ほどからの失望に
光が差し込んだような気がしてきました。

それからは
吹奏楽部の結成のメンバーに入れてもらいました。
私は1年生だからこれから3年間活動ができるけど
3年生はあと少しです。
それで2人しか入ってきませんでした。
歳は上でも入部は一緒の先輩です。

あの仲良しの友達が
宿題一緒にやろうと
誘ってくれても
「クラブの練習があるから」と
断ることができました。

クラブ活動で出会った
新しい友達とも仲良くでき
死んでしまいたいと思っていたことも
忘れてしまうぐらい楽しい時間でした。

1年が終わる前に
吹奏楽部の定期演奏会がありました。
皆そのための練習に打ち込みました。
私も初めて多くの人の前で
太鼓をたたくので間違わないように
毎日欠かさず練習に行きました。

各自、少しのフレーズをソロで演奏するところがあり
私も8小節だけ他の楽器が音を出さない状態で
会場に私のドラムの音が響き渡りました。
ドラムは旋律でもないし裏方だと思っていましたが
吹奏楽では
大事な楽器だと改めて責任を感じました。

それからというもの
身体のことで泣くのはやめよう。
泣いて解決するなら
思い切り泣こう。
でも泣いても解決しないことなら
もう泣くのはやめようと
決めました。
あきらめというより
障害を受け入れた瞬間でした。

いろいろあった思春期ですが
音楽が好きな中学生活を楽しみました。

1964年生まれ。和歌山県御坊市出身。先天性四肢関節拘縮症。2歳半まで手術のため入院生活、歩けるようになる。地元の幼稚園に通い、母の送り迎えで養護学校ではなく健常児と同じ学校に通う。神戸学院大学卒業後、学習塾を経営する。御坊市身体障害者福祉協会の会長を10年し、現在公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長をしている。

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