ノイズに紛れず自分をいたわる、ということ
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2022.6.24
どんな立場の人であっても、生きることはとても大変です。平日は毎日時間に追われ、土日のたった二日の休みは「休養」に消えてしまう。そんな中で趣味に興じている時間なんて・・・というのが現代人の共通の悩みではないでしょうか。
執筆:いりえ(北橋 玲実)
発達障害に共通した特性に「易疲労性」があります。簡単に言うと「とても疲れやすい」特性のことです。
周囲の刺激に過敏だったり、それに対して強く反応しやすいこと、あるいは常に頭の中で思考回路が回り続けてしまうこと、健常者と同じように振舞おうとする気の疲れ、ミスしないように何度も確認することやミスを起こしてしまうことのプレッシャーなど、発達障害は見た目以上に消耗していることが多く見られます。
さらに、睡眠障害などを併発し、休むこともままならず疲労を蓄積させ続けてしまう方も少なくないでしょう。
ASDを持つ私は、周囲に人がいることだけでも必要以上に気を取られたり、人と話しているときに相手の反応を気にしすぎたりと、障害特性による疲労は生まれたときから悩まされてきたような気がします。
ただし、「疲れを感じながら生きている」というのは健常者にも共通する悩みです。そもそも、疲れている状態が普通で、休むことに罪悪感すら感じ、必要な休みも取れていない方も多いことでしょう。
日本人は勤勉であることを幼いころから求められるため、大人になっても「さぼることは良くない」「何もしていない自分には価値があるのか?」ということさえ考える始末かもしれません。
休息や睡眠は、食べることと呼吸をすることと同じくらい生命維持に必要なことですが、私たちはその重要性をしばしば無視してしまいます。
休息を怠り、疲労をため込んだ先には免疫力の低下が訪れ、病気を招き、大きな健康被害に遭うことは皆さんもよくご存知かと思います。
「もう少し頑張ろう」という程度から逸脱し、人間らしくない働き方を続けてしまう方もいます。
そういった方ほど優秀で生産性が高く、周囲への配慮もできる方が多いですが、その「優秀」な人が潰れてしまえば、組織が回らなくなり、結果的に組織そのものがその人に潰されてしまう結果も招くのです。
わたしたち現代人の疲れを招く大きな要因は「情報過多」です。パソコンや、特にスマホの画面を何時間も見ながら過ごしている私たちは、興味のままに情報を収集してしまいがちです。
しかし、かわるがわる違う情報が目の前に現れることは、思いのほか脳には大きな負荷がかかるものです。
発達障害者は自分の脳の中で情報を大量に生み出してしまいますが、発達障害ではない多くの人も情報の波にのまれて疲労を感じやすいのです。
疲労とは言っても脳の疲労であり身体は必ずしも疲れていないはずですが、脳が疲れていると身体を動かすことはおっくうに感じやすく、食事なども時間をかけずにぱぱっと済ませてしまいがちです。
実際に、忙しさに飲み込まれて日々疲労を抱え、余裕のない私たちは、「自分に目を向ける」ことをどうしても怠ってしまいます。
自分自身の身体や心であるにもかかわらず、それらに当事者意識をもって向き合うことよりも目の前の人やタスクに時間を割いてしまうことも多いかもしれません。
ですが、昨日の疲れが肌、あるいは気分、食欲不振といった不調として現れているかもしれません。
「疲労」から起こるあらゆる不調は先ほども述べた通り万病を招くものですが、自分にきちんと目を向けていれば、そういった不調に早く気付くことができ、健康を損なってしまう前に適切なタイミングで適切な対処も可能になります。
そもそも「自分自身」を大切に扱うことや自分の意見や主張を話すことはあまり得意ではない日本人ですが、目の前のスマホや上司のことから離れ、他でもない自分自身に目を向けてみる、ということが自分の身体と心に敬意を示し、さらには「自分はもっと楽で自由になってもいい」という許可を出すことになり、よりよい人生に歩んでいくことの役に立つはずです。