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障害と年齢とキャリア。立ちっぱなしはもう限界と感じて、諦めた仕事。

2021.2.22

私自身、生まれつき両足と右手が不自由で、3体不満足な身体で暮らしてきました。義足と装具を履く生活は歩きやすくなる反面、身体のあらゆるところにガタがやってきて、ダメージが蓄積。それまでは立ちっぱなしの仕事が収入源だったのに、それを諦めざるを得なくなりました。障害と年齢とキャリアについては、まだあまり、議論されていない領域です。

執筆:佐々木 一成 Kazunari Sasaki

3体不満足な身体で生まれて。

生まれつき、両足と右手が不自由な状態で生まれてきた私は、普段は、右足に義足を、左足に装具を身につける暮らしを送っています。

今では諸事情あって使われない言葉となりましたが、あえて、わかりやすくいうと「奇形児」です。

「先天性四肢障害」とも言われますが、これはいい名前だなあと思います。

30歳過ぎて、この言葉を知りましたが(笑)案外、自分でググらないと、自分の障害名って気づかないものです。特に先天性は。


上が左足、下が右足。左足の指は3本しかない。


義足と装具の違いは、身につける人以外には分かりにくいものです。

どちらも歩けるように、歩きやすくなるようにと身につけるものですが、失った足の長さを補うのが義足で、足の不安定さを支えるものが装具だと、個人的には解釈しています。

とは言っても、人間の身体は、義足や装具を身につける前提で、筋肉や骨格が構築されているわけではないので、歩けるようになるための義足や装具によって、身体の至る部分にトラブルを抱えるようになるのは、ちょっと皮肉なところ。

腰痛や関節痛のような痛み、骨格の歪みなどは一例で、年齢を重ねるとともにさまざまな「ガタ」がやってきます。

若くして、障害が発端となって諦めた仕事

もともと、30歳手前まで、研修講師の仕事がメインの収入源でした。年収の半分以上は研修講師から。

しかし、当時の研修講師という仕事は、スーツに革靴で1日立ちっぱなしも当たり前。障害者だから座ったまま実施してもいいですか?というのは、通用しない世界です。

20代では当たり前にできていた立ちっぱなしの仕事も、30歳を手前に疲労が抜けづらくなる・立ったままでいられなくなるといった身体の変化によって「このままでは先々、無理かもしれない」と思い始めたとき、2つのささやきが脳裏に聞こえてきました。

研修講師は、もうやめよう

1つ目のささやきは「研修講師は、もうやめよう」というもの。

年収の半分以上を稼ぎ出していた仕事でしたが、徐々にフェードアウトすることを決めました。

「2時間を超える立ちっぱなしの仕事は請けない(研修講師に限らず)」と決めたのは5年前、31歳の時です。

できる仕事、稼げる仕事ではありましたが、やりたい仕事だったのかと言われると「ううん…難しい、そうでもないかも」と首をひねったことも背景としてありました。

それは、研修講師の仕事なんてオンラインでいいじゃん、偉そうなこと言ってるけど現場のこと分かってるの?と研修の受講者側にいるときに、いつも思っていたからです。

ただ、「障害」という観点から冷静に見てみると「障害を理由に諦めざるを得なくなった仕事」と言えるのかもしれません。

障害者への権利平等を謳う人や、自身の障害に負い目を感じる人にとっては、ネガティブな気持ちが生まれるのかもしれませんが、案外、心はこの決断にすっきりしていました。

障害が理由でできないこと、諦めざるを得ないことが出てきたなら、次にいけばいいだけの話です。

実は自分が思っている自分の評価なんて、他者から見たら大したことないなんてことはよくあります。

そこにしがみついているのは、自分のエゴ。これは障害うんぬんは関係のない話だったりもして。

「次に行こう、次!」この気持ちは、かなり重要です。

そんな中、この1年、コロナ禍でオンラインセミナーの仕事の依頼がなぜか増えてきた(座ったままでOK)のは、なんとも不思議な巡り合わせなのですが・・・


6歳の息子と、足のサイズは一緒。


左足なんて切っていればよかった

2つ目のささやきは「左足なんて切っていればよかった」というもの。

実は、私の左足は、生まれてから2歳半になる間に何度も手術を行っているのですが、切断するか残すのかは最後の最後まで議論されていたそうです(結果として切らなかった)。

今の私自身の考えでは「どうして切らなかったんだろう」なのですが、当時は足を残したまま、装具の生活の方がいいと判断したようです。

右足が義足なので、両足が義足だと歩きづらいというのも一因なのですが、不完全な足のままの生活は、思った以上に身体にダメージを残しました。

あのとき切っていれば、研修講師を辞めるという決断をせずに済んだのではないか。

これは障害に対して、ではなく、当時の医師の決断に対して感じたものです。

生まれつき障害があると、人格形成とともに障害受容や障害理解が進むことも相まって、すんなりと「自分の障害が自分の特性の一部」と受け入れられる場合があります。

障害が原因で起こるネガティブな思い出やトラウマなどがなければ…という注釈付きですし、すんなり受け入れられるのは少数派ですが、私自身はこのタイプでした。

ということもあって、今回の決断のときに、初めて自分の障害についてじっくり考えました。30年以上生きてきて、初(笑)。

もしも左足を切っていたら・・・

でも、この「もしも」はすぐに否定されました。

小さい頃にやっていた水泳はチャレンジしていなかっただろう、今、パラリンピック出場を目指しているシッティングバレーボールもやっていなかっただろう、足があることでプレイの幅が格段に広がるし。

スポーツの観点で、これは否定されました。

自分のキャリアとは、仕事だけではなく、自分が生涯をかけて楽しんでいるものも、十二分にキャリアを考える要素として含まれます。

仕事から見ると、たしかに「左足は切っていた方がよかったかもしれない」けれど、スポーツから見ると「左足は残しておいてよかった」のだから、今のままで本当に幸せだと。

改めて、自分のここまでを肯定できる機会をもらえたとも感じました。



障害と年齢とキャリア

私の場合は、たまたま30歳を過ぎたあたりにやってきた「立ちっぱなしが無理」という現実によって、キャリアを見直さざるを得なくなりました。

障害者のキャリアを考える上で、「障害×年齢(加齢)」から生み出される課題は、特に身体障害(受障歴が長ければ長いほど)の方に潜在的なものとして抱えられているはずです。

できなくなることを思い悩むか、それはそれとして諦めるか。

字面だけ見るとネガティブな2つの選択肢ですが、この判断は、人生の充実度に大きな影響を与える予感がしています。

また、これは健常者の加齢とはまた違う領域だなとも感じます。

これから先も、私自身、この2択への葛藤を経験していくことがあると思いますが、あのときの経験が自分の未来に活きればと思いますし、同じように経験する可能性のある方々の参考になれば幸いです。

1985年生まれ。生きづらさを焦点に当てたコラムサイト「プラスハンディキャップ」の編集長。
生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。年間数十校の学校講演、企業セミナーの登壇、障害者雇用コンサルティング、障害者のキャリア支援などを行う。東京2020パラリンピック、シッティングバレーボール日本代表。

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