進行性の病気だからこそ考える、働き方とは
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2022.7.22
働いてお金をいただく。
多くの人が、1日の大半の時間を使って行うこと。
スタイルはシンプルですが、難しいことが多いのも事実です。
障害でも進行性の病気だからこそ起こった、私の働き方の変化を紹介します。
執筆:山口 真未 Mami Yamaguchi
約3年前まで障害者雇用ではあったものの、正社員で働いていました。
前回のコラムでも書いた通り、とても有難い環境。
人並みに残業をするくらいには、仕事も多く任せてもらって。
感謝をしてもらえる仕事をしよう、と常に考えていたことも事実です。
ただ環境や私の想いとは関係ない部分で、会社を辞めることに。
それが進行性の病気だからこその出来事です。
私が会社を辞めた理由
私自身は、生まれつきの病気による障害者です。
筋肉の難病で進行性の病気。
当然、働いている上でも忘れたことはありません。
でも常に意識していたかというと、ちょっと違います。
進行性の病気よりも、目の前の仕事に取り組む方が大切。
障害ゆえに出来ないことを、サポートしてもらう方が大切。
進行性の病気かなんて、日々の仕事では一切、関係ありません。
特に私は急激に悪化する病気ではなく、緩やかな進行性だったことも1つの理由。
もちろん、いずれは病気が悪化する。
そのときは働き方を考えないと、と思っていました。
ただ正直なところ、病気の進行による大きな変化は「歩けない」だと思っていました。
それならバリアフリー整備された会社だし、安心だな。
今と同じような業務量や役割は難しくとも何か出来る、と思っていたのです。
しかし現実は、そう上手くいきませんでした。
私が次に難しくなったことは、呼吸に関して。
呼吸にも筋肉を使うのですが、その筋肉が衰えたことで人工呼吸器の導入が始まったのです。
元々、人と比べて2~3割程度しか呼吸の量がなかったのですが。
いよいよ夜間の睡眠時やご飯を食べるとき、酸素量が不足していると発覚。
睡眠時は誰しも、起きているときと比べると呼吸の量が少なくなります。
人の2割程度しか呼吸が出来ない私の場合は、更に量が減り危険な状態に。
そして意外かもしれませんが、人は日常生活の中で「食べる」ことに一番、酸素を使うそう。
私は酸素量が減ることで、食べる気力も湧かない、食べたいとも思わない。
そんな状態になり、呼吸器の使用が夜間と日中に始まりました。
これは私が生きるために、必要なこと。
ただこの呼吸器が、難点であることも事実です。
働くか、生きるか
呼吸器は概ね、3キロほどの重さがあり、コンパクトサイズでもA4の紙ほどのサイズ感。
これがとても厄介で、私の激ヨワ筋力では持ち運びが出来ません。
会社で働くには1日8時間。
当然、お昼ご飯の時間がありますよね。
また呼吸の状態は、1日の体調によっても変化します。
体調があまり良くないときは、常に使用する状態。
会社で働くにも必須な存在ですが、自力では運べない。
解決策は、2つ。
毎日、誰かに家と会社の往復に付き添ってもらい、呼吸器を運んでもらうか。
私が外出する際には電動車イスに乗り、呼吸器も一緒に運ぶか。
解決策は2つあるものの、1つ目の誰かにお願いをすることは現実的ではありません。
通勤の往復1時間、サポートしてもらうのも大切ですが、私の場合はただの荷物持ちですからね。
そして2つ目の選択肢、電動車イスに乗る。
別に外出するときだけ、乗ればいいのでは?と思いますよね。
ただ私の病気の場合、大きな決断になります。
基本的に筋肉は、動かさなければ衰えていくもの。
また身体を動かさないため、手や腕の関節も動かさない時間が増えます。
関節も筋肉と同じく、動かさなければ固まってしまい、腕の曲げ伸ばしなどが出来なくなります。
電動車イスに乗ることによる、大きな代償。
私の病気なら電動車イスを使うと、1カ月で筋肉の衰えや関節が硬くなり、3カ月で歩けなくなると医者に言われています。
もちろん個人の努力で、結果は大きく変わるはず。
ただ仕事以外の時間をすべて、リハビリに励むことになります。
これでは働くか、リハビリかだけの人生。
想像しただけでも、何のために働くのだろう?となりそうですよね。
しかも、これ2018年のこと。
在宅ワークは、まだまだ未来の働き方でした。
当然、私の勤めていた会社も、在宅で働くスタイルが無く、通勤が必須。
でも私自身は、まだ歩くことを諦めたくない。
いずれは歩けなくなるけど、今はまだ「自分で歩かない」という選択を取りたくない。
働くか、自分が選ぶ生き方か。
私はこの2択で後者を選んだため、通勤が必須であった会社を退職しました。
働くことは柔軟で良いはず
当然、次の仕事は決まっていません。
それどころか、働く道すら見通しが立っていませんでした。
でも幸い、私が勤めていた当時の会社には制度が無かったものの、働き方改革が叫ばれ始めていた頃。
会社や職種によっては、在宅でお仕事をして十分に生計を立てている人がいることも事実でした。
その後、色々な紆余曲折を得て今のファイナンシャル・プランナーのお仕事をさせていただいていますが、1つ確かなことがあります。
働くことは『柔軟であって良い』。
働く場所が1カ所で、会社に通勤するのが当たり前。
働き方も1つで、会社員なら会社員のみ。
そんな時代は、昔のはず。
もちろん仕事や職種によっては場所が大切で、働き方も自由とはいかないものも多いですよね。
例えばエッセンシャルワーカーの方、職人と言われるような方。
私自身は憧れますし、障害が無ければ、憧れの気持ちで選びたい職種がいくつもあります。
ただ私のように、働く場所・時間・働き方すらも自由でいることが、何より重要な人もいます。
それは生きるためにも、必要な選択。
特に進行性の病気なら、より柔軟さが大切。
私のように想像や予測を飛び越えて、病気が進むこともあります。
そのとき自分らしく選択するためには、「自分への投資」でスキルを高めておくことが必要だったと実感しています。
私は会社で働くことに精いっぱいで、視野を広げる努力すらしませんでした。
そのため会社を辞めてから、自分への投資もスキル磨きもしました。
時間は無駄ではありませんが出来ることなら、と思ったことも事実。
未来の選択肢を増やす上でも、自己投資は大切。
そして世の中にも、変化することを望みます。
働き方が固定の職種だけでなく、自由に変えられる職種もまだ沢山あります。
それは図らずも、大きな出来事で証明されていますよね。
突然でしたが私自身は働き方に関して、歓迎する流れだなと思っています。
柔軟な働き方なら、仕事が出来る、能力を活かせる、という人は多いはず。
ぜひ一過性にならず、柔軟な対応が出来るように環境を整備したり、設備投資をして今後も変化することを望んでいます。
「バラエティ豊か」が理想の世界
私自身の変化は、レアケースです。
ただ通勤が難しくなることは、年齢による体力の衰えでもあること。
これは誰しもあることですよね。
そして今は、インターネットもあります。
働く場所、働くタイミング、働く時間。
どれも柔軟な対応が、物理的に出来る時代です。
自分の生きたいスタイルで、働き方が選べるような世界が今の私の理想。
そのスタイルの1つになれるよう、今の仕事も頑張っています。
Text by
Mami Yamaguchi
山口 真未
1990年生まれ。障害者ファイナンシャルプランナー(FP)。生まれつき”筋ジスの仲間”と言われつつも、正式な「ベスレムミオパチー」の診断は大人になってから。高卒・障害者雇用で大手鉄道会社の事務で10年以上勤務したが、病気の悪化により退職。そこで改めて、お金の大切さに気付く。現在は、障害者だからあるお金の悩みと寄り添いたく、障害者FPとして活動中。