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自分自身を生きるために変えなければならないこと

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2022.8.2

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。ウーマン・リブ運動に関して、いろいろと考えを逡巡する中で考えた、障害者になるまでの自分、障害者になった後の自分、そしてこれからの自分。自己受容の変遷や周囲との関わり方の変化などを客観視できたからこそ、社会は変えられるのではないかと感じる。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

「40歳過ぎれば自分の顔に責任を持て」とはリンカーンの言葉だが、私が普段仲良くさせてもらっている喫茶店のマスターがよくこの言葉を引用するのを聞く。

顔は生まれ持ったもので変えられないものではあるけれども、表情や顔つきは後天的なもので、自身の習慣や癖が現れる、と言うのだ。なるほど、いい言葉だなと思う。

人には生まれつき変えられないものがあるが、それでも長年生きていれば、自身で責任を負わなければならないことがある。

先日刊行された、荒井裕樹著『凛として灯る』を読んだ。本書は、1974年に東京国立博物館で開催された「モナ・リザ展」で、モナ・リザに赤いスプレー塗料を噴射したひとりの障害者女性であり、女性解放を掲げたウーマン・リブ運動家である米津知子さんの評伝である。

当時25歳だった彼女がいったいどうしてそのような行為に及んだのか、彼女の幼少期のことから学生運動が盛んだった大学時代、ウーマン・リブ運動の一つの拠点・リブ新宿センターの運営した20代までのことを、人生を紐解きながら綴ってある。

生まれつきの障害を抱え、自身の生きづらさと向き合う中で関わるようになったリブ、社会運動だが、社会を変えようとシュプレヒコールしながら、数々の女たちと出会い、存在をぶつけ合い、彼女自身も大きく変わっていく。

※この本のレビューを書かせていただいたので、よかったら読んでください。


ウェブメディアWEZZY主催の、本書の刊行を記念したオンラインイベント「ウーマン・リブの志を学ぶ、夏の雑談集会!」に参加したのだが、登壇した米津知子さんご本人の「とにかく変わりたかった」「自分を壊して、世の中を少しだけ変える」という言葉に、強く共感した。

リブセンターの日々を「大変だったけれど楽しかった」と振り返る知子さんだが、本書の中の知子さんの、自分の殻を破ろうともがく姿は痛々しさもある。

けれども、その無我夢中で必死な営みが、何よりも重要なのかもしれない。若い頃の自分とつい、重ねてしまう。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


10代の頃はとにかく自分のことが嫌いで、義父から悪い子どもだと叱られ、無視され、母親から放って置かれ、誰からも愛されない、認められない自分が恥ずかしく、許せなかった。

飛び降り自殺を図って失敗した後は、自殺未遂も自傷行為もしてはいないが、それでもまるで自分を傷つけるかのように無理に働いて体を壊すことがあった。

嫌いな自分を殺したい、傷つけたいということは、裏を返せば、自分を好きになって生きたい、好きな自分を大切にしたいということだったのかもしれない。

けれど、何かのために、誰かのために生きることを自分に強いたところで、褒めてもらえ、愛してもらえたとしても、自分を生きているのは自分自身でしかない。

愛されたい、認められたいという気持ちは今でも強くある。承認欲求や自己愛の強さを、私は認めざるを得ない。

それでもどうにか、どうしようもない自分、不完全で不甲斐ない自分を受け入れることができるようになったのは、障害を負って生活をしているところが大きいのではないだろうか。

障害者としての生活は、日々、不甲斐ない自分との向き合いだ。

身体的にも社会的にも、あまりにもできないことが多すぎ、人に頼らざるを得ない。

「人に迷惑をかけてはいけない」「自分の力で生きていかなくてはいけない」と思い込んでいた私にとって、人を頼るということは悪いことだと、あまつさえ、屈辱的なことだとも思っていたかもしれない。

しかし、人を頼り、感謝するということは、他者を認めるということなのだ。自らに傷があってこそ、それを認めることができてこそ、他人を認めることができる。

photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


地方での共同体の中の一員としての生活も、自己受容の土壌になったかもしれない。

自立したものの、その後就職先がなく、仕方なくフリーランスとして働き始めた私の暮らしを支えてくれたのは、町に暮らす人たちだった。障害のせいでとある共同体から疎外された一方で、障害があるおかげでまた別の共同体から得られた援助があった。

長い間、誰も私をわかってくれないと孤独感を抱えて生きてきたが、今ではわかってほしいと強く期待することもない。わかってくれる人はわかるだろうし、そうでない人はそうでないのだろうとラフに構えられるようになったのは、共同体の一員として認められ、また、自分自身もそうだと思えるからだ。

歳をとるにつれて、自分にとって重要な他者は、親、先生、友達、パートナー、仕事仲間…とどんどん増え、多様になっていく。多くの共同体との関わりの中で、いろんな形で承認される(あるいは承認されない)ことによって、自分は誰なのかの輪郭を知り、現実の自分を受け入れられるようになるのだと思う。

子供の頃、子供にとって絶対的な存在である親に受け入れてもらえず、家にも学校にも居場所を見つけられなかったことは不運だったと思うが、大人になれば、誰が、そしてどこが自分にとって重要かは自分で決められる。自分の価値観に合った居場所を探す努力をすることができるし、何よりも、人は変わることができる。

そして、他者に影響を与えることもできる。そういった意味で、社会は変えられる。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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