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ダウン症の妹ときょうだい児の私~3

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2022.9.12

これまでにお話ししたように、父親に虐待され病気になった私、ダウン症の妹、そして父と離婚した母の3人の生活は、たまに遠方の祖父母を頼りながらも、なんとか形になっていきました。

ダウン症の妹ときょうだい児の私~1>>
ダウン症の妹ときょうだい児の私~2>>

執筆:和泉屋(いずみや) izumiya

母子家庭になりたての頃は、私はもう高校生になっていたので、お小遣いや簡単な自分の身の回りの物はバイト代でまかなっていました。

幸いバイト先には恵まれていて、夏休みも頑張って働いてそれなりにおしゃれにお金をかけたりして、楽しくやっていたと思います。

ただ、妹は手がかからないとはいえ知的障害があるので、放っておいて大丈夫というわけではありませんでした。

私が高校生の頃も、妹は体力作りのためずっと通っていたスイミングクラブを続けていたのですが、一つ問題がありました。

行きも帰りも1人でこなせる妹でしたが、白内障の手術をしているのでコンタクトレンズの装着が必須です。スイミングのレッスンが終わって着替える時に、自分ではコンタクトレンズの装着ができない。そのため、毎週土曜日のレッスン後は私が出向いてコンタクトレンズを装着しなければいけませんでした。

学校とバイトで疲れていたりして、うっかり寝入ってしまった時もあり、ハッと気づいたら妹のレッスンが終わる時間ギリギリ…慌てて着替えてタクシーで向かった事もありました。

コンタクトレンズを入れる、それだけの事なのですが当時の自分にはかなり負担で、ある時母に「妹は自分でコンタクトレンズを入れられないのか?」と持ちかけてみました。

母は「そんな事できるわけがない!」と言っていましたが、まだトライしてもいない事です。

私もむきになり必死に食い下がって「やってみてもいない事を絶対とは言い切れない」と言い争いをし、結局リビングに鏡を置き妹に練習させてみる事に…

結果はあっさりと成功。

本当にあっけなく、妹は自分でコンタクトレンズを装着できました。

その後も妹が自分で自分の事はできるよう、なんでもやらせてみなきゃわからないと私が怒りながらゴリ押しする事が増え、母と気まずくなる事もありましたがトライアンドエラーを繰り返します。

妹はもともと器用で、幼少期は誰も教えていないのに自分でビデオデッキやステレオを操作して、好きな音楽やアニメを鑑賞していました。だから「もっと何かできるんじゃないの?」と、私は思っていたんです。

それはもしかしたら障害に理解がないとも言えるかもしれないのですが、姉の立場としては自分も大変だしちょっとでも負担が減ればそれは嬉しい。

私のエゴかもしれませんが、私だって体調が安定しないし、中学校もバイトもテストもあって…そんなにいっぱい抱えられないよ!という気持ちでした。

そんなある日、私の部屋のノートパソコンとiPodの位置が少し動いていたのを発見。

私はバイトで一日中いなかったのでおかしいなと思ったら、再生履歴に覚えのないものが…もしかしてと思って妹に聞いてみたら、ノートパソコンでDVDを見てiPodで音楽を聴いたそうです。

誰も教えていないのに、パソコンの操作ができたんです。

「ほらやっぱり、何ができて何ができないなんて他人が決める事じゃないじゃん…」と、私は改めて思い、母にもこの件を伝えちょっとずつ妹にも小さな事を頼むようにしました。

そのうち妹は炊飯するお米をはかり、水で研ぎ、みんなが帰ってくる頃に炊き上がるよう炊飯器のタイマーを入れてくれるようになりました。

私と母、どちらも働いている日に、これはとっても助かります。たまに余ったご飯を、おにぎりにしてラップをかけてくれている事もありました。

今では笑い話ですが、母がお米を買い足しておくのを忘れていて精米が見当たらなくて困った妹は、餅米を炊いてしまったり、余ったご飯を一つのおにぎりにしてしまってソフトボールの球より大きなおにぎりを作ってしまった事も。

笑いながら、そうじゃないよと教えれば妹も照れ笑いをしながら理解してくれる。

こうして書いてみると、私がダウン症の妹の自立の芽を伸ばしてあげられるように尽力したように思わせてしまうかもしれませんが…そうじゃない。

私が辛かったり面倒だったりしたから、妹にも手を動かして欲しかった。その一心から「自分でやれる事はやってもらおう」と、母にゴリ押ししてただけなんです。

それが結果的に妹のステップアップに繋がったのなら結果オーライですが、10代や20代前半では私もそこまで達観できていないので、ほぼ私のエゴから生まれた提案ばかり。

でもできる事は増えた。そうやって私たちは、どうにか母子3人で生活していました。

この後も何年も、何年どころかずっとこうやって暮らしていくのかなあ…となんとなく思っていましたが、私は結婚する事になり家を出ます。

妹も当時は作業所に働きに出ていたので、学生時代のようにもうずっと誰かが見ていなくてもなんとなく大丈夫かな、私も自分の家庭がほしいなと感じていました。

そして数年後、母も再婚して妹は母と再婚相手の方と一緒に生活するように。

こうまとめてみると、「よかったよかった!いろいろあったけど、めでたしめでたし…」という雰囲気ですが、きょうだい児の問題はまだまだ続きます。

それは妹の将来。

いつか母が動けなくなったりした時には、私がめんどうを見る。それはもう仕方のない事です。

一緒に暮らすのかグループホームなどを検討するのか、まだはっきりとは決めていませんが、一緒に暮らすにしても何か手続きをするにしてもきっと私が率先してやっていかなければいけません。

私も別の家庭を持ち、仕事をしながら子育てをしていますが今もきょうだい児の問題は続いているんです。

それははっきり言ってしまえば、負担なのかもしれません。

でも今、「妹がダウン症じゃなかったら」「自立して別の家庭を持ってお互い勝手に暮らしていけたら」「普通の姉妹だったら」なんて事を考えてもむなしいだけ。

私はずっと、きょうだい児の問題を背負っていかなければいけません。

まだ母も元気で妹も病気もしておらず、私も別の家庭でひとまずうまくやっています。もしかしたら今が、“きょうだい児としての小休止の時間”なのかなと感じています。

これから必ずやってくる、妹の将来に関わる選択、めんどう、手続き、生活の全て。そういった事に、私は後悔のない選択をできるでしょうか。

今から将来を憂いても意味がないのかもしれませんが、両親がそろっているわけでもない、自分にも障害がある、子どももいて働かなければいけない。

そんな私に現在もうっすらのしかかる、きょうだい児の立場はやっぱり少し不安です。

とはいえ、やっていかなければいけません。

私は一生きょうだい児として、背負うものがある。なぜ私が?と思う事もありますが、やっていかなければなりません。

まずは母と話し合いをして、小さな事から決めていかなければ。
私たち一家は、ずいぶんいろいろとあったけれど、まだまだやる事はいっぱいあります。

きょうだい児はいつまでも、きょうだい児です。

そして私はけっこう妹が好きです。イライラさせられる事もあるけれど、きっと好きなんでしょう。

彼女と自分の将来を、少しでも不安のないようにするために、今からちょっとずつ動いていこうと思います。

私たち姉妹の将来が明るいものでありますように、と願いながら。

フリーランスのWEBライター。父親からの虐待を受けて育ち、パニック障害・鬱・不眠などの精神疾患があり手帳3級所持。現在はワンオペ育児をしながら、在宅ワーク中。23年一緒に暮らした猫を看取ってからは3人暮らし。母親業と仕事と家事でいつも疲労困憊。パンを焼いたりミシンを使ったり、手仕事が好き。「障害がありながら母として働く」ことの現実を綴っていきたい。

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