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昭和の「発達障害」はどうだったか?

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2022.9.14

発達障害という概念がなかった昭和の時代、当時を生きていた発達障害当事者達に思いを馳せながら、平成生まれの僕がコラムを書いてみました。


「経理部だけテレワーク中も出社とか・・・ 昭和かっつーの!!!」
経費精算システムのCMに出てくるこのセリフ。

「昭和」は懐かしさや古き良き時代を現す意味で使われることもあったが、"時代錯誤"、"アナログで非効率"な意味を持つ言葉として、冒頭のCMのセリフのように使われたりもする。

執筆:マーチン Martin

僕自身は平成元年12月生まれで、平成と共に生きてきたので、「昭和」は完全に歴史上の時代というイメージだ。

現代ではありとあらゆる所でネットが繋がり、複雑な計算も秒単位で完了でき、様々なシステムが開発されたおかげで、今まで膨大な時間と人員を掛けて行って業務も、わずかな人数と時間で解決できるようになった。

欲しい物もクリック一つで購入できてしまうから、夜通し売場に並ばなくて済むし、一軒一軒お店をハシゴして探す手間もない。

技術革新万歳、現代万歳!!

と言いたくなる反面で、今まであった単純作業オンリーの仕事が減り、管理やマルチタスク、複雑なコミュニケーションが一般社員やアルバイトであっても当然のように求められる時代にもなった。

また、90年代より、うつ病や適応障害、パニック障害など精神疾患に対する認知度や情報が増えたこともあり、近年では発達障害と判明する人が年々増加傾向にある。

文部科学省が発表した「令和元年度 通級による指導実施状況調査」においては、

障害種別の小・中・高等学校計にて
・注意欠陥多動性障害
・学習障害
・自閉症
の児童数は障害種別に初めて登場した平成18年に比べ、令和元年にはおよそ10.6倍も増加している。

引用元:文部科学省|令和元年度 通級による指導実施状況調査(別紙2)

「発達障害なんて、昔はそんなの無かったのにねー」と、母は言う。

それはちょっと違うかな。

現代になって、困り感に対してのサポート体制が細やかになった結果、昔ならサポートの網目をくぐり抜けてしまっていた発達障害者が浮き彫りとなったんじゃないかな?

感覚的にはテニスラケットから網戸くらいには網目が細かくなった感じ。

なんて事をいうと、母は「確かにねー」とすんなり納得してくれた。

でも、サポートが細やかになったことで発達障害と判明したことが、果たして当事者やその周りの人にとって良かったのだろうか?

知らぬが仏じゃないけど、発達障害の「は」の字もない時代の方が実は幸せだったのかも?と、自分の頭ん中で一瞬考えがよぎった。

ならば、そんな昭和の時代を生きた発達障害当事者にとってのメリット・デメリットを一度整理してみようと思う。

ちなみに「発達障害」という用語は、1963年にアメリカの法律用語として誕生し、日本に入ってきたのは1970年代初頭らしい。
(参照:東京都保健福祉局 多摩府中保健所|発達障害とは)

まずはメリットから考えてみる。

■複雑な就職活動をせず、雇ってもらえることもあった。

昭和が舞台のドラマや映画で、雇用主と少しの会話を交わしただけで、

「…明日からうちに来い」
「あ、ありがとうございます!!」

なんてシーンを見たことがある。実際にそんな簡単にはいかないまでも、義理人情や人との繋がりが現代より強く、発達障害当事者の就職をアシストしてもらえたのではないかと思う(障害者雇用での転職活動に苦労した僕の中の勝手なイメージだけど)。

■機械化、デジタル化導入前で、シンプルな単純作業が多かった。

つまり、コミュニケーションや臨機応変な対応が苦手な発達障害当事者でも、できる仕事がたくさんあった。

僕には昭和の記憶がないので、知識や想像しうる範囲で考えてみたが、代表的なメリットはこの2点かなと思う。

一方で、デメリットはというと、

■パワハラ、セクハラの概念がない

■転職が今ほど一般的ではないために、職場環境を替えられる機会が少ない

■「男らしさ、女らしさ」「一家の大黒柱、良妻賢母」といった、性別による固定の価値観

■メンタルクリニック(精神科)を受診することへのハードルが高い

■生きづらさや働きづらさを近親者以外に打ち明けられる環境が未整備(あるとしても酒場等の夜のお店くらい)

■障害への間違った知識や認識が横行していた

…思いつくだけでも、こんなにある…

とくに酷いのが、障害への間違った知識や認識ではないかと思う。

日本はかつて、「優生保護法による不妊手術」「ハンセン病患者への隔離政策」など、有名な事例だけでも、当時治療法やケアが確立されていない障害や病気に対して、公然と差別や迫害がまかり通っていた歴史がある。

とある超著名作家の数十年前に出版された、エッセイを読んでいて驚いたことがある。

それは作者がパーティーに参加した際、誰とも関わらずに一人でポツンといた別の作家のことを、あろうことか「自閉症」と書いていたのだ。

言葉や表現を生業とする作家でさえも、一昔前は

「コミュニケーションが苦手な人→自閉症」

という、間違った認識だったのだから、当事の世間一般における自閉症や障害における間違った知識や認識は容易に想像できる。

とてもじゃないが、自分の困り感をオープンにして生きることが難しすぎる。

うーん…。辛いな昭和。

さらに、その時代に生きる男性を自分に置き換えると、男女の役割の分断により、家事においての困り感は減るが、仕事における比重や責任の重さたるや…。

上司との相性や仕事の適性が合わなかったら、かないツラいところがある。

それに「男らしさ」や「大黒柱」としての振る舞いが当たり前となっては、仕事でミス連発の時には凹んで妻に泣きごとを言ってる今の俺にはかなり辛い時代になってしまう。

生きづらさ、働きづらさを抱えながら、中々解決法や対処法が分からないままで、ずっと暗闇の中で模索しながら長年生きてきた先人の皆さんには、

「本当に大変な中でお疲れ様でした!!」の気持ちで一杯でしかない。

先人達の膨大な苦労や失敗とトライ&エラーのおかげで今がある。

だからといって、生きづらさや働きづらさが完全に解消されたかというと、まだまだ問題は山積だ。

僕らも未来の人達から、「今と比べて、令和を生きた人達は大変だったんだなー」と思うような未来が来てくれることを望んでいる。

そのために、これからの未来に向けて令和を生きる僕らができることは、

生きづらさや働きづらさに耳を傾け、ライフハックを見つけ、共有し、理不尽や不当や不正に対して声をあげ、お互いに癒し、慰め、励ましあう。

発達障害であっても希望を持ち、心穏やかに毎日を送れる未来へ向けて、できる限りの範囲から一緒にアクション起こしていきませんか?

1989年生まれの33歳、生粋の岐阜県民。社会人2年目の時に発達障害(ADHD/ASD)と診断され、障害者雇用にて再就職。8年間勤務後、障害者の就労支援職に従事している。2019年に居場所作りや情報共有の場として岐阜市にて発達障害当事者会「発達ワークスぎふ」を立ち上げ、私生活では二児の父として、色々しくじりながらも奮闘中!!

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