自律神経失調症と向き合う生き方
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2022.8.30
自律神経失調症は、はっきりとした診断基準は不明瞭です。しかし、「弱い人間がなる病気」というイメージがあるとしたら、それはちょっと違うと思います。今回の記事では、私が自律神経失調症になった経緯と、症状と向かい合うための考え方についてお話します。
執筆:光丘 月乃 t.mitsuoka
こんにちは、光丘月乃です。
前回の記事で、自律神経失調症だと判明した経緯と現在の生活について書かせていただきました。
自律神経失調症を受け入れるまでは、相当な時間がかかりました。周囲に話しても、なかなか理解はされませんでした。この経験から、自律神経失調症は決して根性論で片づけられる障がいではないと考えています。
今回は私が自律神経失調症をどのように受け入れていったのか、ご紹介していきます。
自律神経失調症の兆候はあったが受け入れられない
自律神経失調症の兆候は、昔からありました。
特に20代前半頃がとても顕著だったように思います。生活環境の変化や外部刺激などによるストレスを人並み以上に感じやすく、頭痛で学校やアルバイトを休んだり眠れなくなったりすることが珍しくありませんでした。
進学や就職、引っ越しによる環境変化、友人や職場の人との付き合いなど、大きなライフイベントや人付き合いで何かがあると、すぐに「頭が痛い」「よく眠れない」といった症状が出ていました。
正確に自律神経失調症と診断はされていないものの、地元の福島県でお世話になっている主治医からは自律神経失調症の可能性がある旨のお話をされていたと記憶しています。
「私は精神的に弱い。だから、すぐに具合が悪くなる」
「もう少し気を強く持たないとだめだ」
そう言い聞かせて、生きてきました。
大卒の新卒採用で入社した職場は東京の介護施設で、対人関係のストレスや不規則な勤務などの負担がとても大きく感じていました。気力と体力をどうにか保たせながらも仕事を続けましたが、ある日体が動かなくなり休職を余儀なくされました。
この時に、東京にある心療内科で自律神経失調症の診断を受けました。
ライフステージの変化と障がいの受容
忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。
ちょうどその頃、私は休職から復帰した直後で、生活リズムを取り戻している途中でした。職場の人員不足により、部署異動をしてからの復帰だったので、覚える仕事がたくさんあり忙しい日々を送っていました。
職場のテレビで東北が大変なことになっていると知り、地元の福島県にいる家族が心配になりました。すぐにリーダーの許可をもらって家族に連絡するものの電話が繋がらずパニックになりました。翌日に連絡は取れ、大きな被害はないと聞いて一安心。
それも束の間でした。
震災2日後、また体調を崩してしまいました。「もう、東京で仕事は続けられない」と知り、退職して地元で新たな仕事の看護助手をすることになりました。
その仕事は不規則な勤務ではなかったものの、人間関係のストレスが重たく、結果的に前回と同じような理由で退職しました。
看護助手の仕事を辞めた後に、福島県の主治医にそれまでの経緯を詳しく話して、発達障がいもあると診断されて精神保健福祉手帳3級を取得しました。
はじめは少し複雑な心境でしたが、手帳を見て少し安心したのを覚えています。
「ああ、これも自分の個性なのか。安心した。」
そんな気持ちになりました。
自律神経失調症は特性であり個性
看護助手を辞めた後、就労移行支援事業所に入ってほかの障がいを持つ仲間と出会いました。中には、私と同じアスペルガー症候群や自律神経失調症の人もいましたが、みんな自分の障がいを「特性だ」と話していました。
特性。当時の私には聞き慣れない言葉でしたが、事業所での経験を通じて意味を理解していきました。
「自律神経失調症は、自分の特性であり個性の一つ」
それを知り、さらに自律神経失調症への見方が変わりました。
自分の気の持ちようが良くないから自律神経失調症になったのではなく、それがもともとあった特性だとようやく理解ができました。
特性だからといって、自律神経失調症を言い訳にはせずに自分なりに向かい合って現在も生きています。
自律神経失調症を受け入れるために
自律神経失調症を受け入れるまでに随分と時間はかかりました。
「私は弱い人間だから、職場の人間関係でうまくいかなかった」
「根性がないから自律神経失調症になった」
就労移行支援事業所の仲間に出会うまでは、ずっとそう思い込んでいました。仲間たちはもちろん、再就職後もサポートしてくれた支援センターの担当の方には感謝してもしきれません。
就職・転職・引っ越しなどライフステージが変わっても自分は自分なのです。それに、気が弱いから自律神経失調症になるという話は聞いたことがありません。
自律神経失調症があるのも個性の一つ。自分の症状を受け入れるのは、たやすいことではありませんが、受け入れると人生の指針が立てやすくなります。
自分なりに症状と向き合いながら生きていく日々が、今でも続いています。
Text by
t.mitsuoka
光丘 月乃
福島県に住む30代のWebライター(2022年3月中旬~)。アルバイトをしつつライター活動をしている。スキルアップを目指して、幅広いジャンルで執筆中。趣味は読書、スポーツジム通い、動物観察、散歩など。