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人間関係がうまくいかないと悩む発達障害者は「推し」を作ってみては?

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2022.10.1

私は他人と人間関係を築いたり、友達を作ることに大変向いていません。それはADHDと自閉症スペクトラムの影響からなのか…。しかし、「推し」を作るということは、一方的な想いだけでも成立するものです。人間関係が苦手な人ほど、推し活をおすすめします。

執筆:ゆめみがち

こんにちは、ゆめみがちです。

私はゆめみがちというペンネームで活動している29歳の、ADHDと自閉症スペクトラムを持つものです。

診断されてからの半年間、発達障害のことを自分でも勉強するために、いろんな本やサイトを読んだのですが、「他人と交流することが良いですよ!」みたいな文言を見かけることがあります。

見かけるたびに、「いや、それができないのが発達障害者なんだよなあ…」と、思ってしまいます。特に私の場合は。失言が多いし、空気が読めないし、困りごとが話題に出ると知らん間に知識をひけらかしてしまうので、同調ができないし。

1人で喋りまくるように語ることはできます。ただ対話ができません。他人と人間関係を築いたり、友達を作ることに大変向いていない特性です。

「ちゃんと馴染まなきゃ、周りに合わせなきゃ」と振る舞うとすごく疲れるので何にも楽しくないですからね。結果的に。

発達障害者って孤独になりやすいのではないでしょうか?

しかし、私は孤独ではないなと思いました。それは推しという存在があるからだと思うんです。

私には応援しているタレントさん、いわゆる推しがいます。ファンレターを出したり、番組にお便りを出したり、生配信でコメントしたり、コロナ禍で少ない回数ですがお話し会にも行っています。その中でめちゃくちゃ推しと交流できて癒されています。

なんだか「私は推しと特別交流できているんだ」という自慢のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。ただのオタク、ファンとしてです。

歌って踊って喋っている推しの姿を配信を見たり、イベント会場に行って客席から見て「キャ〜〜〜」となっているだけです。よくファンのコメントを見てくれるタレントさんではあるのですが、まあ1ヶ月に1回コメントを拾ってもらえれたらラッキーかな!という感じです。

しかし、そうやって、推し活をして推しに関わることは、なんだかええ感じに孤独が薄れ、他人と交流ができ、コミュニケーションが取れることに少しだけ繋がるのでは?と感じています。

具体的にどういうことなのか?どういうところでそう思ったのか?あげていきます。

推しにお便りを出すことで相手のことを考える


私はよく、推しにファンレターを出したり、番組で募集しているテーマにお便りを出したりしています。他人のことを褒めたり、興味を持って聞きたいことを考える時間っていうのは結構楽しいです。

文章を考えることは孤独な作業ですが、読んでもらえるかもしれない相手のことも考えて書く文章は全然違うんです。直接言葉を交わしていなくても、また推しの目に届くことはなくても、です。

そして、番組へのお便りに関しては、絶対に一度はスタッフさんが読んでくれます。推しを支える番組制作スタッフの皆さんにも「ありがとうございます」という感謝の気持ちを伝えられると、心が豊かになります。

場合によっては、推しに読んでもらえる、レスポンスをもらえることで交流を感じますし、番組でお便りを読んでもらえた日にはスキップ。またその番組を見聞きしていた他のファンの方にも「〇〇さんのお便り面白かったです」「こんなことお便りで言ってましたよね」と言ってもらえることもあるので、輪が広がる感じがします。

推しとそのファンという、やりとりが多くないからこそ長く続く関係


推しというものは、当たり前ですが、友人のように一緒に何かできるわけじゃないし、どんなに交流ができるタイプの推しでも、1日中一緒にいられるわけではありません。

けれど、発達障害者の私は他人と距離が近いと、どんどんボロが出てきてしまいます。深い関係を築くには時間が必要ですが、その時間が経てば経つほどダメになっていく様が見えます。

私も最初は好印象なんだけど、徐々に「あれあれ?」と雰囲気が悪くなってフェードアウトということが仕事でもプライベートでもありました。

それに反して、推しに関しては、例えば年に数回、限られた時間の中で瞬発的に「好きです!」「応援してます!」ってパワーを伝えるだけの短期集中タイプ。

儚さを感じるくらい短すぎるし、遠い存在だな〜と感じるのですが、「これぐらいの方が、ボロも出ないし、長く続くのではないかな」と思うんです。

そしてその短い時間が、一生の宝になります。やっぱり人に応援の気持ちを伝えると自分の心もなぜかポカポカするんです。

推しのファンの人の中では意外と自分も浮かない


推しの周りの人(私と同じファンの人)も推しのことになると、頭が働いていない人が多いです。みんな、いい意味で「あたおか」。フワちゃんがよく使っている「頭おかしい」の略で、ぶっ飛んでる!という褒め言葉として私は捉えています…。

普段ならば、しっかり他人とコミュニケーションができる人も、推しのイベント前後では会話ができなくなるくらい興奮しています。

そりゃそうだという話で、だって推しに会えるってドキドキで興奮しますから。スタッフさん以外、誰も冷静じゃないから、普段は空気を読むのが苦手な自分も意外と紛れ込むことができています。

正直、普段から、みんなこのくらい他人の行動をいちいち気にしないでいてくれると助かるなと思うんですけどね。どんなブランドを持っているのか、その歩き方はなんだ、その口癖はなんだという言葉や視線を感じますが、他人のことをいちいち採点しすぎでは?自分の興味のあるものだけ見たらいいのに!と思います。

推しのことだけを考えて頭の中がパーリーピーポーになっている人たちばかりの幸せ空間が、結構心地良いんです。

推しもエンタメのプロなので、よほどのことをしない限り変なことにはならない


推しにはある程度好きなこと言っても大丈夫です。ファンとして、最低限のマナーやモラルは守ることは義務ですし、もちろん悪意を持った言い方、誹謗中傷は絶対にダメですが、立場はあくまでお客様、そこは気を使いすぎる必要がないんです。

発達障害があると、悪気もなく、何気ない発言で変な空気になった経験があるという方もいるんじゃないでしょうか。そういうのって、普通の友達間では一発アウトだったりします。

「即退場!」とまでは行かなくても、永遠に取り消しにならないイエローカードみたいにどんどん溜まっていくので、結果的にレッドカードになってしまったり。

ただ、推し活が長くなると、ファンとしても失言したり、「変なこと言っちゃった!」みたいなことはあると思うのですが、友人間よりは見逃してもらいやすいのです。

前の項目でも言ったのですが、普通の人でも推しのこととなると若干気が高揚しているので、みんなちょっと変わったこと言いがちですからね。

推しによるところも大きいかもしれませんが、エンタメを届ける側として楽しい空気にしようとしてくれるし、(シビアなことを言ってしまうと)向こうもお金をいただいている仕事なので、お客様という立場のこちらに気を遣ってくれているはずなんです。

もちろん、気を遣ってくれた対応を当たり前だと思わず感謝することは必要です。ただ、コミュニケーションができなさすぎると、そうやって「気遣ってもらっちゃった」と感謝をする機会さえもないし、気づけもしないです。

まとめ


こんな風に、推しがいるだけで孤独に苛まれずに済んでいるなと思っています。

そしていまは、少しだけオタク友達もできております。友達には全共通で「推しがいる」というテーマがあって、毎回推しの話をして解散!という感じです。

側から見たら「それ友達か?」とハテナが浮かぶ関係性かもしれませんが、楽しいのでいいんです。そんな方達と巡り会えたのも推しのおかげですしね。

「推し」と「友達」という存在は全く違います。

「友達」って、両者が友達だと思ってないと成立しないから、むずかしいんです。人間関係が苦手だと、超難題。

しかし、誰かのファンになるということは、「推し」を作るということは、一方的でも成立するものです。

一方的でも、ほんのちょっとでも思いを届けられて人間としての交流、コミュニケーションができる「推し」という存在は、救いだと思います。生きづらい方は、ぜひ推しを作ってみてはいかがでしょうか。

身体性表現障害で8年の無職ひきこもりから、推し活のおかげで社会復帰に成功。しかし会社に就職するもクビになり、直後にADHDとASDスペクトラムが発覚した。現在は自身の発達障害に向き合いながら、推し活の素晴らしさを様々な角度から発信している。

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