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福祉の現場で障害児を見ていて思う、多様性について

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2022.10.6

私は放課後等デイサービスという障害児向けの学童のような場所で働いている。毎日、障害の種類も程度もバラバラな子ども達を見ていて「多様性や相互理解ってどのように生まれるのだろうか」と考えた。

執筆:森本 しおり Morimoto Shiori

私は放課後等デイサービスという障害児向けの学童のような場所で働いている。毎日、障害の種類も程度もバラバラな子ども達が来る。

「色々な子どもを一か所に集めたら、そこに自然と多様性への相互理解が生まれるか?」と聞かれたら、ちょっと答えにつまってしまう。

ほとんどの子は喧嘩しないけれど、自分とはちがう子達を遠巻きにして見ている。仲良くなるのは自分と近い子どもだ。

ダウン症の子はダウン症の子同士で仲良くなることが多い。しゃべれなくても、声を出しながら身振り手振りでコミュニケーションをとって笑い合っている。テレパシーのように通じ合うようだ。

発達障害の子は、発達障害の子と仲がいい。言葉を使える子は、話せる子同士でないとどうコミュニケーションをとっていいのかわからないし、退屈してしまうようだ。それもわかる。

さらに言えば、年齢も近くて、同性の方が仲良くなりやすい。共通の趣味があると、なおよい。本当に似たもの同士が惹かれ合って友達になっている。結局、同じ空間にいてもきれいにグループが分かれてしまう。


学校という特殊な空間

「学校」は他の社会と比べても同一集団が集まりやすい。年齢、住んでいる地域など、かなり「自分と共通点がある」子に会いやすい場所だ。近いからこそ、異質だと目立ってしまうし、嫉妬や、いじめも起きやすいのだろう。

うちの職場は学校とちがい、年齢が比較的ばらけている。同じ空間に小学校1年生から、高校3年生までいる。そういった意味では学校よりは自分とちがう子に会いやすいかもしれない。

ただし、バラバラな子を一か所に集めるのは困ることもある。これだけ年齢差のある子どもが全員参加できて、楽しめるような活動はなかなかない。

年齢の低い子に活動を合わせると「子どもっぽくて恥ずかしい」とブーイングが来るし、高校生に合わせると小さい子は置いてけぼりになってしまう。結果として、みんなにちょっとずつ我慢してもらうことになる。

習い事は、学校とちがって義務ではない。嫌なら辞めてもいいからこそ、本人のモチベーションによるところが大きい。そのモチベーションは「友達ができるか」にかなり左右されるように思う。

きっと、友達ができないと楽しくないのだろう。仲良しの子ができると一気にうちに来ることが楽しみになるようだ。会うなり「今日、〇〇君来る?」と目を輝かせて聞き、欠席と知ると「なーんだ、つまらない」とやる気を失う。

頑張っても友達ができない子は本当に定着しない。すぐに辞めてしまう。

もちろん、先生が一時的に遊び相手になってあげることもあるし、子ども同士だけだと喧嘩になりそうなときに間に入ることもある。

それでも、先生は友達の代わりをできない。そして、いくら好きな先生ができたところで、友達には勝てない。友達ができなければ、いつか退屈になってしまう。

一人遊びを続けられる子もいるし、マイペースな子もいるけれど、中には仲良くしたいけれどお友達の輪に入れてもらえない子もいる。

そして、仲間に入れてもらえなかった子は、意地悪をして別の子の気を引こうとしたり、先生に構ってもらおうとする。エスカレートすると、みんなは相手にしなくなる。先生から叱られることすら、減っていくのだ。ここまでくると、悲惨だ。居場所が無くなり、辞めていくことになる。

他にやりたいことを見つけて卒業していく子もいれば、少しずつ休みがちになり、ドロップアウトするような形で辞めていく子もいる。後者の場合は見ていてやりきれない。「どうすればよかったんだろう。もっと他にできることはあっただろうか。」といつもモヤモヤする。



多様性の理解?

友達って、むずかしい。「出鼻をくじかれるといけないなら、最初の段階で仲間に入れてあげればいいじゃないか」と思うこともある。先生の力を使えば、他の子に「入れてあげてよ!」と頼んで、無理やりグループに入れてもらうこともできる。

それでも、最後に友達になるかを決めるのは子どもだ。子どもは近い年頃の子どもに認めてもらわないといけない。大人に甘えて解決してもらおうとすると、子どもから認めてもらえない。

相手から認めてもらうというのは、簡単なことじゃない。ちがいが大きいと、相手の気持ちを想像しづらくなる。わからないと、どうしても仲良くしづらい。それなら、そこまで努力をしなくてもコミュニケーションをとれる相手と仲良くする方が楽だ。

集団を作るためには、どこかに境界線を引くことになる。境界線があると内と外に分かれてしまうけれど、誰かを排除せずに、ゆるやかに共に生きることはできるんだろうか。

きっと、私が見てきたことは一例でしかない。同じ場所にいても、私とは全然ちがう感想を抱く人もいる。今回のことが、うちの事業所の課題なのか、他の障害福祉の現場でも共通していることなのか、もっと広い規模で色々な人が抱えているジレンマなのかはわからない。

ちがう人たちが集まって、うまくいっている場所はどんな風なんだろう。そこにあるのは、多様性の理解なのか。まだ想像がつかないけれど、私はその世界を見てみたい。

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
就職後1年でパニック障害を発症し、退職。27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。プラスハンディキャップなど各種メディアへ寄稿中。

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