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「健常者の友達」と違いを楽しむ付き合い方

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2022.10.21

個人的に障害者・健常者という区別は好きではありません。
でも現実には区別があり、言葉も生活の中に根付いています。

ただ生活の中でどこまで意識できているか、というと話が変わるはず。
今回は「健常者の友達」にスポットを当てていきますね。

執筆:山口 真未 Mami Yamaguchi

今の世界をフラットな目線で見て、障害者・健常者という区別をするなら、圧倒的に多いのは健常者。
これは普段の生活でも実感していますし、周りが健常者しかいないパターンもあるはずです。

友達も健常者ばかり・・・という方も多いのではないでしょうか。
私自身も大人になって、SNSを使うようになってから、ようやく障害者の方と知り合えましたが・・・。

それまでは地元の幼稚園から公立の高校へ通ったため、正直ほとんど出会いもありませんでした。
当然のように、学校の友達=健常者の友達。

区別・差別は良くないコトではありますが、子供時代って残酷な一面もありますよね。

友達って対等のはず

本来、同級生の友達なら、立場って対等なはずですよね。
色々な事情があったとしても、人としては同じですから。

でも同じ目線で見えるが故の「子供同士の事情」があります。
例えば私の場合は、小学校の通学路や学校内に階段がありました。

階段はゆっくりしか登れなかったので、人よりも時間が掛かります。
歩くことも時間が掛かるため、必然的に学校の開始時間に合わせれば、人よりも前倒しで行動になりますよね。

ただココで1つ問題が。
私の通っていた小学校は、朝だけ「集団登校」を実施していました。

集団登校とは、近所の友達と一緒に集合して、学校に向かうというもの。
私のいるグループは、本来ならもう少し遅い時間でも大丈夫なはずが、私に合わせて早め集合。

子供だって、5分でも遅く家でテレビが見られるなら、当然そうしたいはず。
正直、なんでゆっくり歩かないといけないの?って言われたこともあります。

基本的には私に合わせて待っていてもらいましたが、待ちきれずに行ってしまう子もいました。
こういうことが頻繁にあると「友達とは対等」と言いつつも、申し訳ない気持ち。

もちろん病気や障害は私の責任、とか言うつもりはありません。
ゆっくりしか登れない、歩けないことは、仕方がないことです。

でもその「仕方がないこと」を、イヤだ、面倒だなと感じる感情までは止められませんよね。
子供なら表情や態度、言葉に出てしまっても、それも「仕方がないこと」だなと大人の今はわかります。

ただ当時の私が、ここまで素直に受け止められていたかというと、違いました。
だからこそ「待っていてもらうこと」に罪悪感を覚えたり、学校生活で手を借りることに申し訳ない気持ちも。

子供心に人の手を借りないと、生活ができないと日々、目の前に突き付けられている気分。
でも小学生の私には難しかったことですが、今わかるようになったこと。

1人の人として、手を借りることは「当たり前」であるということ。

たぶん「正解」も「完璧な形」もない

友達との関係に、良いも悪いもないと思います。
1人の人として、友達に手を借りることなんて、当然あることですよね。

例えば買い物中に、ちょっと荷物を持っていてもらう。
個人的な用事に付き合ってもらう。

もっと踏み込めば、友達同士で助け合うために、ルームシェアしたりすることだってあります。
これは別に障害に関係なく、どんな人でもあることですよね。

あくまで人として、支え合ったり、助け合ったりしているだけ。
確かに私が手を借りる場合は、障害が理由でもあります。

イスから立てないから、抱え上げてもらう。
重い荷物を持ってもらう。

これは私ができないから、助けてもらっていることです。
でも先ほどの例と何が違うか?と言ったら、理由が少し特殊なだけ。

「助けてもらう」こと自体は、内容の差があるにしろ、変わらないこと。
うまく心の折り合いをつけることこそ、私自身が友達と良い関係を築くために大切な部分でもあります。

私の理想の形

友達との関係は学生時代も、大人になった今も大事にしたいもの。
まだまだ100%できているとは言えませんが、私の中で1つ理想の形があります。

それは「食べ物の好き嫌いを言うくらいのレベルで、言えること」です。
友達なら、一緒にご飯を食べることだってありますよね。

さすがに初対面の人に相手が好きなものを、自分は大嫌いだなんて言いにくいですが・・・。
仲のいい友達なら、なんとなく相手の好き嫌いは把握しているもの。

それこそ一緒に、シェアしながら食べるような飲みの席なら。
「これ美味しそうだけど、嫌いだったよね?他の皆で食べるから注文していい?」なんて言うことだってあります。

嫌いなものを自由に気にせず言えるって、友達だからこそ。
私の中ではこれくらいの気持ちで、障害のためにできないことを伝えられたら、と思っています。

それには「できないこと」を一緒に楽しむことも大切かなと感じています。
これは私のお話ですが、友達とディズニーランドに行ったとき。

アトラクションに乗るとき、普通に立って長時間、並ぶのが難しいため特別ルートで案内をしてもらうことがあります。
通常のルートなら楽しめるような、並ぶ時間の楽しい仕掛けが見られない、となるため残念に思う気持ちもあるはず。

でも私の友達は「まみちゃんがいるからこそ、こんな特別ルートに来られるから楽しいよね!」と。
違いを一緒に楽しんでしまう、そんな友達の関係ができればいいのかな、と感じた瞬間でした。

友達との関係こそ楽しみたい

私の病気は、今の医学では治すことも、進行を止めることもできません。
そのことを恨めしく思う気持ちは、大人になった今でも捨てきることはできません。

子供心に感じた、人との違いや周りの気持ちも100%克服したとは、言い切れないと思います。
でも「違いが楽しい」と言ってくれる友達がいること。

変えられないことを悩んだり悲しむよりも、障害を込みにして楽しむくらいの心の余裕を持ち続けたいです。

1990年生まれ。障害者ファイナンシャルプランナー(FP)。生まれつき”筋ジスの仲間”と言われつつも、正式な「ベスレムミオパチー」の診断は大人になってから。高卒・障害者雇用で大手鉄道会社の事務で10年以上勤務したが、病気の悪化により退職。そこで改めて、お金の大切さに気付く。現在は、障害者だからあるお金の悩みと寄り添いたく、障害者FPとして活動中。

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