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「どうしてこんな体に産んだの?」~障害を理由に母を責め続けた10代の頃~

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2022.11.2

どうして、こんな体に産んだのか。先天性の障害を持っていると、親に対して、そんな行き場のない怒りをぶつけてしまうことがある。現に、私がそうだった。健康体で生まれたかったという苛立ちを、私は母にぶつけていた。

執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa

健康体で生まれられなかったことで母を責める日々

「私の辛さなんて、誰にも分からへんわ。」幼少期、私はよく、そう口にしていた。毎日、当たり前にように見学する体育の時間も、階段を数段登るだけで息が切れる自分の体も、少しうんざりしながらも楽しそうに運動会の準備をする同級生をただ見ているだけなのも、全部嫌だった。

当時の私はフォンタン手術を受ける前で、体が思うように動かない状態。少し動いただけで唇は青紫色になる。だから、万が一のことが起きないよう、校外で行われる行事には、いつも母が同伴していた。

私は、他の子とは違う。普通に生活していても、そう感じることが多々あり、心がすり減っていった。

その痛みは私の中で怒りとなり、矛先は母に向いた。冒頭の言葉を母に放った時、少し涙ぐんだ目を見て、子どもながらに悪いことを言ってしまったと思った。けれど、それ以上に心の中にある行き場のない感情を吐き出したいという気持ちが強くて、ごめんなさいと謝る気にはなれなかった。

あなたたちは健康だから、私が感じている苦しみなんて一生分かるわけがない。そう思い、自分を産んだ親や産まれて生きながらえてしまった自分の命を責めた。

許すフリをしながら私を産んだことを責め続けた

フォンタン手術を受けて日常生活が普通に送れるようになっても、自分が産まれたことや親を責める気持ちは消えなかった。健常者と同じ生活はできるようになったけれど、病気が完治することは一生ないという事実を、うまく受け止められなかった。

ただ、年を重ねていく中で親も私を育てる中で苦労し、周囲の声に傷つけられてきたことは分かってきた。だから、10代の後半には何度か母に「私に障害があることで自分を責めることは、もうやめてほしい」とか「私は気にしていない」という内容を綴った手紙を渡していた。

けれど、あの頃の私はきっとそうすることで母に「娘が病気であること、障害を持って生まれてきたことを忘れるな」と遠回しに伝えていたのだと思う。

障害を持っているという事実を、まったく自分の中で処理できないまま、空っぽで逆に痛みを与える慰めを私は送り続けていた。

私を産んでよかったと思う?本当はそう聞きたかったけれど、その一言が言えなかった。NOと言われたら、ごめんと謝られたら、二度と立ち直れないくらい自分の命を憎んでしまいそうだったから。

「神様から授かった子」よりも「産んでよかった」の一言が欲しかった

母はよく私を「神様から授かった大切な子」と言った。それは私に障害があると分かり、絶望していた時、新聞のコラムに綴られていたこの言葉に救われたからだ。

障害があるその子はあなたを選び、神様が授けてくれた子。そんな内容だったと小学6年生の頃、話してくれたが、私はその言葉が嫌いだった。

今なら、母もそう思うことで気持ちになんとか折り合いをつけたのだと理解できる。だが、子どもの頃は「私を産んだ」という事実を綺麗ごとで処理しようとしているように思えて嫌だった。

神様から授かった命だと美化せず、ごく自然に私が生まれてきたことを喜んでほしかった。手術や入院で何度も迷惑をかけていると感じていたからこそ、美化しないと受け止められない命であるのだと感じられて苦しかった。だから、思春期には「産んでくれなんて頼んでない」と反発した。

そうやって何度も自分が生まれてきたことを責めた私は19歳の頃から、親に隠れてリストカットをするようになった。私が感じてきた痛みは、こんなもんじゃない。そう思い、何度も二の腕をカッターで切った。

やがて、精神安定剤を飲むようになり、カウンセリングも受けるように。それでも不安定な心は変わらなくて、早く消えたいと毎日思っていた。

そんな時、ずっと隠していたリストカットの痕を母に見られてしまった。怒られる。そう思ったが、反応は予想外。刻んだ傷をそっと撫で、「痛いでしょう」と言ってくれた。

それから母は映画を見に行ったり、プリクラを撮ったりと、友達とするような遊びに付き合ってくれるようになった。あえて、精神科やリストカットの話はせず、楽しめる時間を作ってくれた。

この時、私は初めて愛されているのかもしれないと感じられた。どこかでずっと、自分は家族にとって重荷なのだと思っていたが、もしかしたら存在していてもいいのかもしれないと少し思えた。

これを機に、私と母は少しだけちゃんと親子になれた気がする。正直、親に対して遠慮してしまうことはまだあるし、私たち親子の間にはどこか距離がある。

けれど、産んでくれなくてもよかったとは、もう思わない。私を産んでくれてよかったかとは結局聞けていないけれど、それよりも自分自身が産まれてきてよかったと納得できる人生を築いていこうと思っている。

障害を持って生まれた子も、愛する我が子に障害を持たせてしまったと思う親も、どちらもきっと苦しい。けれど、我が子が感じている痛みを綺麗ごとで覆い隠したり、ないがしろにしたりせず、真正面から向き合い、話し合うことができれば、子どもは障害があっても自分の命を尊く思えるのではないだろうか。

そのためにも、障害児を持つ親へのサポートが手薄な現状が変わってほしいとも強く思う。

猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。

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