統合失調症の私が絶望の末に得たもの
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2022.11.4
統合失調症を患う大福麦子と申します。
私が統合失調症になって24年の中で、悩んだこと、気づいたこと、得たもの、失ったものを通して皆さんと一緒に「病を抱えて生きる」ことについて考えていけたら嬉しいです。
そして、少しでも私の体験やコラムが誰かの胸に届き、寄り添うことができたらと思います。
まずは、自己紹介からさせて下さい。
執筆:大福 麦子 daifuku mugiko
はじめまして。
パラちゃんねるカフェでコラムを書かせていただくことになりました大福麦子です。
今回は自己紹介を兼ねてごあいさつしたいと思います。
自己紹介
私は統合失調症という精神疾患を患っています。
発症したのはもう24年前のことです。
まだ独身の頃、勤めていた会社での人間関係が原因で病気になってしまいました。
そして、病気になったのをきっかけに勤めていた会社を辞めました。
その後数年の療養の末に今度は派遣社員として働き、結婚を機に退職。
今、家庭では2児の母です。
絶望の淵で考えた「本当の幸せ」とは?
統合失調症を抱えながらの育児は苦労も多く、長女を出産後には再発を経験しています。
再発後はひどい幻聴や妄想が長引き、会話がうまく成り立たないほどでした。
主治医からは「(幻聴や妄想が)慢性化するかもしれない」と告げられました。
長女はまだ2歳、これから成長を見守っていこうという時でした。
「もし回復しなかったら、育児も家事も家族とのコミュニケーションもできなくなってしまう…」
非常にショックで、目の前が真っ暗になりました。
絶望の淵で私は考えました。
「私が本当に心から望んでいることはなんだろう?」
「本当の幸せってなんだろう?」
「家族の幸せってなんだろう?」
「病気になり、私は不幸なのだろうか?」
「私が心から望んでいるのは家族と幸せになることなのに…」
そして、決めました。
「たとえこれ以上回復しないとしても、自分にできるベストを尽くして生きよう!主人と子供のために、幸せになることを諦めない!」と。
それは、今まで私が目指していた「幸せの形」とは正反対のものでした。
自分らしい「幸せの形」を作ることを目指して
その後、私の心配とは関係なく、ありがたいことに幻聴や妄想といった症状は治まりました。
あれから14年経った現在、あの時の体験が原点となり「病と共に生きよう」と肚を決めた私は、今現在も家族のサポートを受けつつ、病と向き合いながら自分なりの幸せの形を作り続けています。
統合失調症になって辛かったこと、苦しんだこと、悩んだことはたくさんあります。
しかし、「世間の認める幸せの形」ではなく、「自分らしい幸せの形」を作ろうと思うようになったのは病気のおかげであると思っています。
そして、私はまだまだこれから幸せになることを諦めていません。
コラムでは、私の悩んだこと、気づいたこと、得たもの、失ったものを題材に皆さんと一緒に「病を抱えながら生きる」ってなんだろう?と考えていけたらいいなと思っています。
そして、皆さんと一緒に幸せに生きるためのヒントを見つけられたら嬉しいです。
統合失調症以外に抱えているもの
最後に、もうちょっとだけ私のことを紹介します。
統合失調症の他にもいくつか抱えているものがあります。
・2020年に原因不明のうっ血性心不全になり、今も少し心臓が弱いです。
(奇跡的に回復していますが、現在も通院・投薬をしています。)
・長女、不登校。次女、境界知能の凸凹姉妹の育児に奮闘しています。
何の経歴もない一庶民、一主婦の私ですが、精一杯コラムを書かせて貰おうと思います。
これからどうぞよろしくお願いします。