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心配が募って母が過干渉に…「お母さんの言うことは正しいから」に苦しめられた日々

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2022.11.28

我が子に障害があると、親は未来への不安から過干渉になってしまうことも少なくない。
我が家の場合も、そうだった。
何かと人生に口を出し、制限を設けてくる親が、私はうっとおしくてたまらなかった。

執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa

心配が募りすぎて過干渉になった母

「風邪をひいてはいけないから、今日はこの服にしなさい」
「疲れるから、そんなことはしちゃいけない」

など、幼少期、私の日常は親の意見によって作られていった。

やりたいことをやれないのはもどかしかったが、自分には持病があり、人よりも免疫力がないから親は心配なんだろうなと分かっていたから、素直にしたがっていた。

「お母さんの言うことは、正しいから」。

それが、母の口癖だった。一度、母に反抗し、薄着で遊びに行った際、風邪をひいて寝込んだことがあった私は、その言葉を盲目的に信じていた。

けれど、年を重ねていく中で、母の心配はエスカレート。向けられる心配が、重荷になっていった。これは心配からなされる制限なのか、それとも、我が子を言いなりにしたいだけの制限なのか…。よく、そう悩むようになった。

例えば、母は自分があまりよく思っていない友達と私が遊ぼうとすると、嫌な顔をし、車を出してくれなかった。自転車での移動だと息が切れてしまうため、私は遊び時も母に送り迎えをしてもらう必要があったので、母にNGを出されると、友達と遊べなかった。

また、母は私に彼氏ができることを、とても嫌がった。男の子と遊ぶというだけでよい顔をされず、車を出してもらえなかったため、私は同性の友達の名前を出し、嘘をついて彼氏や男友達と会っていた。

交友関係を、すべて母に伝えなければいけないのが苦しい。中学2年生の頃から、強くそう思うようになり、息切れしても、自転車で友達の家に行くようになった。

けれど、私が距離を置き始めると、母はこっそり交友関係を探るように。今でも忘れられないのが、ホストの彼氏と付き合っていた時のこと。ただでさえ、彼氏がいるというだけでいい顔をされないのに職業がホストならば、なおさら嫌な顔をされる…。

そう思ったため、私は彼の存在を必死に隠した。初めて、お泊まりデートをするため、同性の名前を出して嘘をつき、自転車では自分の体力が持たない場所にある駅まで母に送っていってもらったこともある。

だが、不信感を抱いた母はこっそり日記やプリクラ帳を見て、彼の存在を突き止めた。そして、私が自室で電話をしていると、携帯を取り上げて相手を確認するように。

そうした状況に耐えられなくなり、彼との関係は終わった。人柄など何も知らず、一度も会ったことなどないのに、職業や見た目だけで彼を判断し、私に別れるよう、圧力をかけてきた母が心底、憎かった。

その時も母は「お母さんの言う通りにすれば、正しいから」と言った。正しいって何だろう。このままじゃ、私は好きなことも挑戦も失敗もできない、言いなりな人生を歩むことになるのではないか。

そう感じ、制限される人生に嫌気がさした私は母が思い描くレールに乗らないようにすべく、言いつけを守らなくなった。

親元を離れたことで生きやすくなった

私の変化を受け、母は慌てたようだ。「諭香がおかしくなった」と7つ上の私の姉に相談をしたため、姉から「お母さんの言うことは聞かなあかん」と怒られた。

相変わらず母の過干渉は続き、姉にも監視されているように感じる日々の中で、心は疲弊。私はリストカットをし始め、精神科に通うようになった。

心が安定したのは、結婚して親元を離れた後だ。夫に対しても母は初め、あまりいい印象を持っていなかったが、互いの家に週末泊まるという相手の家族も巻き込んだ付き合い方をしているうち、「彼氏と会う」と言った時に嫌な顔をされる頻度が減り、結婚も許してもらえた。

実家を出て、母の監視がなくなり、自由に色々な人と関われるようになった時、自分がいかに狭い世界に閉じ込められていたのかを痛感した。色んなものが自分の目で見られること、どんな風に生きても口出しをされないことが嬉しくて、世界が一気に広がった気がした。

なぜ、母はこんなにも私に過干渉し、人生を縛るのだろう。昔は、よくそう思ったが、その理由が今なら少し分かる気がする。きっと、母は私のことが心配でたまらなかったのだ。

持病を持っているこの子は社会をちゃんと生きていけるのか、誰かに傷つけられはしないか、命が危険にさらされることはないか、変な人に引っ掛かることはないか…など、色々な心配があったから、自分が正しいと思う道を示し、私を幸せにしようとしたのだろう。

けれど、私にとってはそれが苦しかった。私が選ぶ道は全部間違いで、信頼もされていないのだと感じられたから。

失敗しても、後悔してもいい。あなたの好きなように生きてみなさい。そう言ってくれる愛が、私は欲しかった。

我が家の場合は過干渉が激しかったので極端な例かもしれないが、障害児の親は我が子の未来を案ずるあまり、子どもに対して過剰な制限を課したり、自分が安全だと思う道を押しつけようとしたりしてしまうこともあるのではないだろうか。

そうした、子を想う気持ちはもちろん尊いものだが、ひとりの人として我が子を信じ、歩んでいく道を見守るという愛し方もあると、私は思う。

二人三脚で病気を乗り越えてきたため、障害児とその親は親子の結束が固くなりやすい。だからこそ、互いにひとりの人間であることを忘れないようにし、「心配だから」という言葉で我が子を縛らない親子関係を育んでほしい。

今も母は私が寒い季節に出かけると嫌な顔をし、遊びを満喫した翌日に体調を崩すと「自業自得」と不機嫌になる。けれど、母の反応を気にして、自分のしたいことを我慢することはなくなった。

母は面白くなさそうだけれど、それは母の問題。自分は満足できたからいい。そんな風に、他人の気持ちと自分の感情を分けて受け止められるようになり、心は少し楽になった。

私の人生に対する責任を手放すことで、いつか母にも心が楽になれる日が来るといいなと思う。

猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。

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