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障害児の「分離教育」は必要か?

当事者の視点から思う“差別”と“配慮”の違い

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2023.1.9

少し前、国連から障害児の特別支援教育をやめるようにとの要請が日本政府に届いたというニュースが話題になった。

果たして、特別支援教育は排除すべき差別なのだろうか。
私は差別ではなく、必要な配慮であると思うのだ。

執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa

分離教育は必要な配慮だと感じた同級生Cちゃんへのいじめ

今年の9月、障害児が特別支援学校や特別支援学級に分離されることで通常の教育を受けにくくなっているとして、国連から日本政府に障害児を分離する特別支援教育をやめるようにとの要請があった。

これを巡り、ネットでは様々な意見が交わされたが、私は分離教育があることで、安心して学べる人は想像以上に多いと思っている。なぜなら、教育を分離しないことで生まれる差別もあるからだ。

私自身は小学校からずっと、健常者の子どもと同じ普通学校に通っており、不便を感じたことはない。だが、同級生に軽度な知的障害を持っているCちゃんがおり、その子に対するクラスメイトの反応に心が痛んだことが多々あった。

Cちゃんは悪口を言われても、その意味をあまり理解できないようで、いつも笑っていた。言葉も少したどたどしく、勉強にもあまりついていけない。クラスメイトの親の中には、「あの子はアホだ」と笑う人もいた。

Cちゃんは学校の学力診断テストの結果が悪かったため、一度、校内に設けられた支援学級への移動を提案されたことがある。だが、親御さんが憤り、断ったよう。その一件以降、親たちは子どもの前で「あそこは親も頭が足りないから」と言うようになった。

残酷なことに、そうした大人たちの態度を見て、子どもたちはCちゃんをからかってもいい対象だと学んでしまった。小学校4年生になる頃から、Cちゃんへのいじめが始まったのだ。

掃除の時にCちゃんの机だけ運ばない、触られたら「ばい菌がついた」と叫ぶ、Cちゃんが配膳した給食は残すなど、今振り返れば、心を深く傷つけるようないじめに多くのクラスメイトが加担した。

私自身は直接何かをすることはなかったが、いじめを注意することもなく傍観者として、その光景をただただ見ていた。

いじめは、中学校に入っても続いた。Cちゃんはそれでも、いつも笑っていたから、クラスメイトはCちゃんのことを、「いじめられていることにも傷つかないくらい馬鹿な子」と認識。いじめは、より陰湿なものになっていった。

だが、ある日、担任教師がいじめに気づき、学級会議が行われた。その日は嵐で、外は大荒れ。学級会議が長引くと自転車で帰れなくなるかもしれないと、みんな、少しうんざりしながら憤る担任の姿を見ていた。

そんな中、担任はCちゃんに「今まで、どう思ってた?」と尋ねた。すると、いつも笑っていたCちゃんが初めて泣き、「嫌だった」と言った。その言葉を聞いた時、私は傍観者としていじめを助長してしまっていたことに気づかされた。

そして、自分の行動を反省すると同時に思った。もし、Cちゃんの親が小学校の時に学校側の提案を受けて、特別支援学級への移動を了承していたら、いじめは怒らなかったのではないだろうか、と。

頭に浮かんだのはCちゃんと同じく、小学校の頃、学力テストの結果が悪く、校内の支援学級へ移動した同級生Bくんの姿。クラス内で孤立していたBくんは支援学級へ移動してから笑顔でいることが増え、学級内でできた友達と楽しそうに話すようになった。

Cちゃんへのいじめの発端は「みんなよりも学力が劣っている」ということだったからこそ、自分の学力に合った環境に身を置くことも、活き活きと生活するためには大切なことであるのかもしれないと考えさせられた。

障害児が「自分に合った学校」を選べる社会であってほしい

Cちゃんから、私は障害や自身の知能レベルによって学ぶ環境が選べたり、分けられたりすることは差別ではなく、必要な配慮だと思うようになった。

現に私自身も小学校入学前、障害があることを理由に特別支援学校へ行くよう、小学校の教頭から言われたが、自分としては普通学校のほうが合っていたし、その環境で学べたことに満足している。

各々が自分らしく学べる場があってこそ、人は安心して成長できる。支援学級や支援学校に携わる職員の人手不足などの問題を解消していく必要もあるが、障害児の分離教育をやめる、障害児は必ず特別支援学校へ行くなど、第三者がその子の人生選択を決めるのではなく、障害児自身が自分に合った学び場を選べる社会であってほしい。

また、欲を言えば、治療のために入院せざるを得なかった場合や体調によって学校に行けない期間が長くなったりした場合にサポートしてもらえる場もあれば嬉しい。なぜなら、私の場合、入院期間中に算数の基礎を学べなかったため、苦手だった算数がよりできなくなってしまったからだ。

ベッドに寝ていなければならない時間が多かった私は入院中、院内学級に通うこともできず、教育で躓いた。時計の授業を受けられなかったからか、私は今でも時計が読めない。

こうした教育の躓きを経験したことがある障害児は少なくないと思う。だからこそ、当事者の意思を尊重した分離教育の推進と共に、学べなかったことがサポートしてもらえる場が生まれることも期待したい。

猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。

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