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女性の障害者だからこそ感じる、手を借りる難しさ

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2022.12.7

身体に障害があるから、という理由で、私は人の手をよく借ります。
筋力不足は、身体がなかなか動かしづらく、日常生活にも影響があるためです。

でも私が障害者であること以上に、「女性であること」が戸惑いを与えることも。
今回は「人の手を借りる」ことへの、もどかしさを書いてみます。

執筆:山口 真未 Mami Yamaguchi

「人の手を借りる」って言葉では、シンプルで何でもないことのように感じます。ただ実際には、その重みについての感じ方は人それぞれですよね。

ちょっと手を差し出すだけなのか、重い荷物をある程度の距離まで運ぶのか。どんな手助けが良いのかも、人それぞれ変わるはず。

私自身も生まれつきの障害者として、多くの人の手を借りましたが、簡単ではないと実感しています。

手を借りるだけ、って難しい

今の私は片杖を突きつつも、自力で歩行は可能です。
ただ歩くことも少し場所が変わるだけで、少し困難になります。

例えば芝生、砂利道、段差がある、傾斜のある道。
たったこれだけの条件でも、1人で歩くことが難しくなります。

1人で歩いているときは諦めることも多いですが、誰かが側にいるとき。
身体を支えてもらったり、手を借りつつ、難所を乗り切ります。

これも「人の手を借りる」ですよね。
イメージは、よちよち歩きの子供を助けているようなもの。

ちょっと手を差し出すくらいなら、何てことない、とは私もよく言ってもらい、手を借りることも多かったです。

ただ私の障害の“やっかいなところ”が、全身の筋肉の病気であること。
病気の影響は歩行だけでなく、あらゆる場面であります。

例えば、イスからの立ち上がり。

違うコラムでも書きましたが、電車のイスから立ち上がることすら、私には難しい動作。

では、どう助けてもらうのか。

多くの人は、手を差し出して「掴まっていいよ」と言ってくださいます。

ただ残念ながら、立ち上がる筋力がない私には手だけでは不十分。

電車のイスの場合なら抱え上げてもらい、立つところまでサポートをお願いするしか方法がありません。

では、ただ手を差し出すだけと、いきなり抱え上げて欲しい、と言われるのと。どちらが驚き、戸惑い、難しいと感じるかといえば、圧倒的に後者ですよね。

それこそ小さな子供なら、抱え上げて立たせるということもあるはず。

でも大の大人に対して行うとすれば、ちょっとした介護の動作になります。

私の周りで助けてくれる人たちによれば、「抱え上げるのもコツがいる」と。

考えてみれば当然で、小さな子供と大人の体重では大きく変わりますよね。

さらに相手が女性なら、いくら人助けとはいえ、抱きしめるような体勢に戸惑いを覚える人がいてもおかしくはないのです。

学校生活のバス移動は、ちょっと苦痛

学生時代、集団で動くため観光バスを貸し切って移動する機会が多いですよね。

人数が多い中で一緒に動くなら、これほど最適な乗り物はないはず。

ただ私にとっては、バスは天敵そのもの。特に観光バスは、乗り降りがほぼ1人で行えません。

なんといっても、入り口のステップの高さ、数段の階段。

一段ずつ抱え上げてもらい、乗り降りをするしかないのですが、狭い車内では苦労も多かったです。

とはいえ、ありがたいことに私は友達に恵まれていたため、学校生活では友達がサポートしてくれていました。

バスの乗り降りはパワーが必要で、男子生徒の手を借りていましたが、気負わずに助けてくれたことは今でも感謝しかありません。

思春期の中で、彼女でもない、ただの友達のサポート。しかも体を密着させて手助けをするなど、なかなかできないことだと今でも思っています。

彼らの善意で行ってくれたサポートですが、その大変さも感じていたので、感謝しかありません。

なぜなら、他のところで、手助けに戸惑うと言われたことがあったから。

小学生時代の話ですが、地元にあった「子供会」に所属していました。

簡単に言えば、同じ地域に住んでいる子供たちで、学校とは関係なく大人たちが企画してくれた色々な行事を行う、というもの。

その行事の一環で、同じくバスを利用したことがありました。

やはりバスの入り口が狭く、私の母だけでは助けられずに、友達のパパさんに助けを求めたときのこと。

普段、手を借りることもなかったので、どう手助けるのか分からないのは当然です。

ただそれ以上に戸惑っていたのが、「ドコを触っても良いのか、わからない」と。

手助けとはいえ、手をつなぐ以上のことをすれば、必然的に身体に触れますよね。

私が女性だからこそ友達のパパさんは、お腹や脇、お尻などへ触れることに拒否反応を示していました。

改めて考えてみれば、すごく当然のことでもありますよね。いきなり知人とはいえ、お腹や脇、お尻などに触れる機会など、早々ありません。

いくら私が障害者ゆえの人助けとはいえ、戸惑いも自然だと思います。

このときに人の手を借りることは、介護技術の問題だけでなく、心理面でもハードルがある、と気付きました。

私は気にしない、だけでは済まない

私自身は、手助けのために身体に触れられることに抵抗はありません。

小さい頃からずっと繰り返したからか、見知らぬ人でも助けてくれるならウェルカム!という気持ちです。

ただ、あくまで「私は」であって、相手にとっては変わります。

見知らぬ人に、身体を密着させるような動作で助けてもらったことも当然ありますが、その方々がどう思っていたのかまでは、わかりません。

戸惑ったり、内心では嫌だなと思う気持ちもあったかもしれません。

それでも私としては、どうにもできないコトを助けていただいているので、感謝しかありません。

人それぞれの想いがあると気付いたときから、1つだけ心がけていること。

「私はドコに触れてもらっても大丈夫」と、私から伝えるようにしています。

なかなか相手から、お尻を触っちゃうかも、なんて言いにくいはず。

それが異性だったら尚更、手助けのためとはいえ、前置きや断りをいれることすら戸惑いますよね。

だからこそ私から伝えることで、少しでも不安は排除して欲しいと思っています。

他人にいきなり触れることへの戸惑いを失くすことは難しくとも、触れても大丈夫なのだ、と分かれば、介助に集中もしてもらえるはず。

私の場合は相手のパワーに依存して助けてもらうことも多いので、相手が戸惑いながらの動作はお互いにケガをする可能性もあります。

そんな最悪の事態を防ぐためにも、そして少しでも手助けが、嫌な出来事にならないように、と願いを込めて伝えるようにしています。

自分から伝える大切さ

どんなときでも言葉にしなければ、相手には伝わらないとは、分かっているつもりでも…とは“あるある”な話。

ときに伝えることは難しいことも、羞恥心に繋がることもあります。

だからこそ私は「助けて欲しい」「触れてもらっても大丈夫」を伝えるようにしています。助けてもらう上での、礼儀のようにも思っているからです。

そして「ありがとう」の言葉も、忘れずに。

なかなかないであろう障害者との出会いやせっかくの優しさを、良い出来事であったと記憶して欲しい。

少しでも優しさの輪が途切れないよう、私にできる小さなことの1つです。

1990年生まれ。障害者ファイナンシャルプランナー(FP)。生まれつき”筋ジスの仲間”と言われつつも、正式な「ベスレムミオパチー」の診断は大人になってから。高卒・障害者雇用で大手鉄道会社の事務で10年以上勤務したが、病気の悪化により退職。そこで改めて、お金の大切さに気付く。現在は、障害者だからあるお金の悩みと寄り添いたく、障害者FPとして活動中。

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