統合失調症ママが考える、障害者が生きやすい社会とは?
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2022.12.14
障害者が生きやすい社会とは、健常者が障害者に配慮する社会?
それは、健常者が遠慮したり気を遣ったりする生きにくい社会なのでしょうか?
今回は、統合失調症を抱えるママである私なりに「障害者が生きやすい社会」について考えてみました。
前回までのコラムはこちら>>
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執筆:大福 麦子 daifuku mugiko
2021年に障害者差別解消法が成立し、障害者への「合理的配慮」が法的義務化されました。
これにより障害者への「合理的配慮」を会社や組織で考えて、準備し体制を整えたというところは多いのではないでしょうか。
障害者として、法的に守られる体制が整うのは嬉しいことです。
けれど、「障害者が生きやすい社会」とは健常者が一方的に配慮しなくてはならない、健常者にとって生きにくい社会なのでしょうか?
今回はこのことについて、私なりの見解を書きたいと思います。
多様な特性は健常者にもある
障害者の持つ障害や特性、生活や働く上での困りごとは多様です。
一人ひとり違うと言っても過言ではないと思います。
一人ひとりの症状に合わせて、必要な配慮や体勢を整えるのはきっと大変な労力が必要でしょう。
けれど、考えてみると健常者だって実に多様な特性を持っていると私は思うのです。
「障害」と言わないまでも、健常者には障害者のもつ「困りごと」を共有できる時があります。
例えば、事故で足を怪我してしまった時。松葉杖や場合によっては一時的に車いすの生活になるかもしれません。そのような時に、足の悪い障害者向けの配慮が活きてきます。
また、体の障害ではなく精神障害や発達障害の場合はどうでしょうか?
誰にだって「障害」と言わないまでも、一時的に心身が不調だったり、長所や短所、得手不得手はあるのではないでしょうか?そのような時に、精神障害や発達障害者向けの配慮が活きてくるかもしれません。
もっと言えば、今まで健康だった人だって、いつ障害者の仲間入りするかわからないのがこの世の中です。
障害者の持つ多様性は人間が持つ可能性の現れ
障害者の持つ特性が、生活上の特別な困りごととは言わないまでも、個人の長所や短所、または体質として当てはまり、通じる部分が誰にでもあるのではないかと私は考えます。
もし、個人の持つ長所や短所または体質が配慮された生活や働き方ができるとしたら?
きっとそれは、健常者だって「生きやすい」社会になるでしょう。
障害者が生きやすい環境を整えることは、健常者の生きやすさにも繋がっていくのです。
障害者の持つ多様な特性は、一人一人の人間が持つ多様な側面、可能性が表に出たものではないでしょうか。
障害者への「配慮」が、巡り巡って自分への「配慮」となって返ってくる。
そんな日も遠くないのかもしれません。
障害者も健常者も生きやすい社会に必要なこと
障害者への配慮は「健常者に全く関係ないわけではない」という、私なりの見解をお話ししました。
けれど、人間は障害者・健常者かかわらず、相手のことを100%理解できるわけではありません。
同じ人は1人もいないし、同じ境遇でもありません。考え方も価値観も性格も、持って生まれた容姿も違います。
これは健常者同士でも同じことが言えると思います。
相手のわからない部分、見えない部分をどう慮っていくのか?
相手との差異をどう埋めていくのか?
大事なのは1人の人間として障害者・健常者がお互いに、遠慮なく誠実に関わっていくことです。
両者の違いを「思いやり」という自然な人間性の発露で埋めることができたら、障害者も健常者も生きやすい社会になるのではと私は思います。
そのためには障害者も一方的に配慮されるのを当たり前とせずに、相手への感謝と気遣いが必要です。
差異や心の距離を埋めるのに必要なのは、ちょっとした想像力なのかもしれません。
人も社会も違いを想像し、受け入れたり、受け入れてもらったりという経験を重ねて、豊かになっていくのだから。
障害者も健常者も生きやすい多様性に溢れた豊かな社会になることを願って、この記事を書きました。
Text by
daifuku mugiko
大福 麦子
統合失調症を患う2児の母です。日々病と向き合いながら、不登校の長女、境界知能の次女、健常者の夫と暮らしています。他に心疾患があり、少ない体力とバイタリティの中で何ができるか模索中。趣味はカフェ巡りと映画鑑賞。2022年9月よりwebライターの仕事をゆる~く始めました。