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世界のパラアスリートを見て感じた「障害者」と「多様性」

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2022.12.13

11月の前半、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで開催された、シッティングバレーボールの世界選手権に日本代表として出場しました。今回は、ボスニア遠征の経験から感じた「障害者」と「多様性」についてまとめてみます。

執筆:佐々木 一成 Kazunari Sasaki

11月の前半、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで開催された、シッティングバレーボールの世界選手権に日本代表として出場しました。パラリンピック種目でもあるシッティングバレーボールは、その名が表す通り「座ったまま行うバレーボール」のことです。

出場16ヶ国中、最下位という結果に終わり、悔しい想いをして帰ってきましたが、そこで出会った様々な国のパラアスリート達との交流は、大切な思い出、そして財産となりました。

国籍、人種、歴史、文化、宗教など、これまで生きてきた背景は全く違うものなのに、「障害」と「スポーツ」という共通点さえあれば、たとえ言語が伝わらなくても、それぞれが十二分に仲良くなれる。お互いを「障害者」ではなく「ひとりのアスリート」として認め、称え合うコミュニケーションが交わせる場は、素敵な空間でした。

今回は、ボスニア遠征の経験から感じた「障害者」と「多様性」についてまとめてみます。

世界選手権にいた「ハッピー」な障害者たち。


シッティングバレーボールの世界選手権には、国を背負ったパラアスリートが集まります。私たちも日の丸を背負い、1つでも上の順位を目指して試合に臨みました。今、ちょうどサッカーのワールドカップが行われており、試合後の勝者と敗者の落差は画面越しにも大きく伝わってきますが、それは私たちの試合でも同じです。

ただ、試合が終われば、心も身体も解き放たれます。歌って踊って騒いで、そんな選手たちもいます。それこそ、全試合終了後のセレモニーでは、違う国の選手同士が一緒に写真を撮ったり、インスタ交換したり、言葉が通じなくてもしゃべったり。それが、その空間の「ふつう」でした。

国際大会はいわば同窓会にも似ていて、「あ!今回も来たんだ!また試合しようぜ」「いつもの○番の選手がいない?あとで聞いてみようか」「新顔だ!秘密兵器だったりして」というようなコミュニケーションが起こりやすい環境なので、もともと、交流しやすい空気感ではあることも事実です。国民性によって内向きになりやすいチームもありますが(どちらかといえば日本はそう)人種も言語の壁も関係ない「ハッピー」な空気感がそこにはありました。

皆さんは(これは障害当事者も健常者もどちらもですが)障害者に対して、どのようなイメージを抱いていますか?

初めて障害者と交流する機会がこの世界選手権だったら、「多様な人とフラットに交流して、その時間を大いに楽しもうとする人たち」のようなイメージが備わるかもしれません。そこにいる多くの人たちによって、当たり前のイメージや共通認識は変わるものです。

障害者というイメージを形作っているのは、障害当事者の振る舞いの集合体です。

パラアスリートの「選手村」の異様さは、そこでは「ふつう」のこと


国際大会に初めて参加したのは、2014年のアジア大会でした。2週間弱の選手村滞在期間の中、同じ環境にいる多くはパラアスリート。実際のところは障害者半分、健常者半分というような比率だったと思いますが、マジョリティとマイノリティの逆転状態が起こっている環境は、私には新鮮でした。

アジアという地域は、西側にあるアラブ諸国、真ん中に位置するインド、東側にある中国や韓国、そして日本というだけで、宗教観も民族性も食事も全く違います。選手村のビュッフェ形式の食堂のラインナップと宗教への配慮にびっくりした記憶があります。

コロナ禍で国際大会が中断した時期を除けば、代表に選ばれ続ける限り、毎年のように「選手村」に入ります。今回でいえば、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカそれぞれの代表が来ていたので、その多様性はアジア大会の比ではありません。

今回訪れたボスニア・ヘルツェゴビナだったり、試合の地でしか出会うことのないような国(今回の私で言えば、ルワンダとセルビアとカザフスタン)だったりとの遭遇は、気づきと発見ばかりです。

これに慣れてくると、「ちょっとした違いは誤差の範囲」というような認識に変わってきます。「自分との些細な違いは気にならない」といったほうが適切かもしれません。実際、選手村に入ることが増えてくると「多様性が大事」という風潮に違和感を持つようになりました。「大事なのではなく、本来そこにあるもの」だと感じ始めたことがその理由です。

▲トランジット先からボスニアまでの飛行機は4ヶ国一緒でした。

「海外では…」みたいな外国かぶれのようなことを言ってしまいましたが、講演などの機会で訪れる学校を見れば、国籍の違い・生まれた環境の違い・家族構成の違い・障害の有無など、すでに目の前に、選手村と似た多様性を感じられる現場があります。国内だけで体感できます。

「みんなちがって、みんないい」が多様性の大切さを説く言葉のように活用されていますが、結局のところ、日常生活を送っていれば「みんな一緒が、一番いい」になりがちです。

そんな傾向を改善する意味では、パラスポーツの国際大会のボランティアはおすすめです。選手村に一歩踏み込むだけで、価値観がガラッと変わる気がします。

「障害者」と「パラアスリート」の距離

「日本代表のパラアスリート」という観点から「障害者のイメージ」や「多様性」について話してきましたが、正直、一般的な障害者と違う立ち位置にいることは自覚しています。ここまでの話は、多くの障害者が感じる生きづらさであったり、自立への一歩の難しさだったりからは遠い話です。

日本に960万人ほどいると言われている障害者の中で、パラアスリートは、ごくわずかな存在です。スポーツを健康のため、趣味として楽しむ人をアスリートと呼ぶか…と考え始めると、パラアスリートはマイノリティの中の超マイノリティといっても過言ではありません。

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一方で、最近ではパラアスリートは「共生社会」を伝えるアイコンとして使われやすく、例えばCMなどをよく見ていくと、サブリミナル的に使われていることが増えました。

障害者が身近にいないような「障害者を知らない」人たちからすれば、パラアスリートは障害理解を深める存在かもしれませんが、それは危ないことだと認識しています。私自身も「パラアスリートが障害者の代表」のように扱われることに首をかしげています。

パラアスリートは、マイナスをゼロに持っていくための生活を送っている人たちではなく、人生をいかにプラスアルファに持っていくかを考えている人たちです。ただ、この環境にいるからこそ気づく「障害者のイメージ」への言及や「多様性」に対する考え方の拡張を伝えていくことは重要かもしれないとも感じています。

生きづらさの深淵にいるひとが自立したいと感じるときに必要な情報と、自立した人が幸せになりたいと感じるときに必要な情報は異なります。自立を目指す方を受け入れる社会にとって必要な情報も違いますし、一人ひとりが幸せに暮らせる社会にとって必要な情報も違います。今回の記事は、それぞれの後者だと思います。

「偉そうに…」という読後感がある方もいるかもしれませんが、社会でのイメージを変えるためのマイノリティも必要だと思います。マイノリティを過度に脚色するのではなく、そこにいるのが当たり前のような存在感を醸成できるように、アスリート活動と同様に発信活動も進めていければと思っています。

1985年生まれ。生きづらさを焦点に当てたコラムサイト「プラスハンディキャップ」の編集長。
生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。年間数十校の学校講演、企業セミナーの登壇、障害者雇用コンサルティング、障害者のキャリア支援などを行う。東京2020パラリンピック、シッティングバレーボール日本代表。

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