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30年かけて「心疾患に生まれてよかった」と思えるようになるまで

~私だからこそ出会えた世界がある

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2023.1.23

心臓に持病があるということは、体内に時限爆弾を抱えているようなものだと思う。
「健常者になりたい」と思う気持ちは正直、今でも消えていない。

だが、30歳を超えた頃から「この病気に生まれてよかった」という真逆な気持ちを抱くことも増えてきた。

執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa

一生なれない「健常者の体」に憧れ続けた

10代や20代の頃は一生、心臓病を抱えて生きていかなければならないという事実が重く、苦しかった。

物心ついた頃から、毎日の服薬は当たり前。検診の日々が迫ってくると憂鬱な気持ちになるのが、自分にとって“普通の日常”だった。

それが時折、とても悲しかった。服薬など必要なく、検査という言葉が身近でない生活が、なぜ自分にとっての当たり前にならなかったのだろうと、自身や両親を責めた。

一生なれないことなど分かっているのに、もしも健常者として生まれていたら、どんな人生を送っていたんだろうかと、よく想像しては落ち込んだ。掴めなかった人生は、今の自分が手にしているものよりも、はるかに眩しいものであるように思えた。

障害者の私が歩んできた道、手にしているものは、とてもちっぽけなものだ。いつからか、私はそう思い、自分の命に価値や意味を見出すことができなくなった。ネットで「単心室 余命」と検索しては怖くなり、どうせ人よりも寿命が短いのであれば、早く死にたいと思うようになっていった。

死に向かいながら、生きている。10代から20代の頃は、そんな人生の過ごし方をしていた。

不自由だけど不幸ではなかった私の人生

生き方が変わったのは、ごく最近のこと。日常生活の中で、自分が今まで当たり前だと思ってきた不自由な人生にも意味があったのだと気づくことが増えてきたからだ。

例えば、何かと通院することが多かった私は医師から医学的な知識を得られる機会が多い。だから、家族や友人などが体調に不安を感じていたり、病気を発症した時に「これは○○だと思うから、病院に行ったほうがいいよ」とアドバイスをすることができる。

大切な人が「諭香の言う通り、病院行ってよかったわ」と言ってくれるたび、こんな自分でも役立てることがあるんだと思えて、心が明るくなった。

持病は人格形成にも大きな影響を与えてくれたんだと、この歳になって気づいた。持病があるからこそ、私は他人の病気に偏見を向けない人間になれた。例えば、外出先でチック症や知的障害を持っているような方を見かけた時、本人や家族の気持ちを考え、優しい無視ができる。

友人が通りすがりの人を見て、「あの男の人、奥さんに重いもの持たせて嫌な感じ」と陰口を言う時も、「でも、腰を痛めてるとか何か事情があるのかもよ」と広い視野で他者のことを考えられるようにもなれた。こうした視点をごく自然に持てたことは、持病のおかげだ。

また、持病があるからこそ、関われた人がいることや、病気があっても特別視せず、そばにいてくれる人がいることに気づけたのも、今の自分を受け入れられる理由になった。

偏見の目や差別的な発言を向けられた経験も肥しだ。そうした人を反面教師にして、「私は人を傷つけないように努力しよう」と思うことができた。

私が私として生まれ、生きてきたことで見ることができた世界は少し特殊で不自由だが、不幸ではなかった。約30年かけて、ようやくそう思えた時、今の自分が手にしているものも尊いのだと感じることができた。

心疾患と生きてきたから“私だから“書ける記事がある

私は今の自分を、障害者と健常者の狭間にいる人間だと思っている。日常生活は普通にできる障害者だけれど、健常者には一生なれない人間だからだ。

でも、そんな自分だからこそ、書ける記事があるということも障害者に生まれてよかったと思う理由のひとつになっている。

完治しない心疾患を背負う重さに耐えきれずに自傷行為をしたり、手を差し伸べてくれない社会を恨んだりした過去が私にはある。自力ではどうにもできない「病と生きる」ことの意味や重さを痛感してきたから、取材対象者に突っ込んで聞ける質問があり、書ける他者の闘病記があると思うのだ。

障害に関した記事は美化されやすく、同情的な煽りがつけられることも少なくない。だからこそ、私は当事者のドロドロとした気持ちや葛藤も、できる限り当事者の口から出たままの言葉で社会に伝えたい。それが、障害者と健常者の狭間で生きている私にできる啓蒙活動だと思うから。

この先、いつ体調が悪化するのかと考えると、やっぱり怖い。病院のベッドで寝たきりのまま1日を終える自分を想像すると、暗い気持ちになる日だってある。

でも、どんな生き方をしても“その日”がやってくるのであれば、私は今まで拒み続けてきた分、心疾患を持って生まれてきた自分を認めてあげたいし、愛してあげたい。たくさん頑張ってきた自分に「もう、そんなに自分を責めたり、否定したりしなくてもいい」と声をかけ続けてあげたい。

病気を含めて自分を愛することは、なかなか難しい。けれど、検査や投薬、手術が身近である日常を乗り越え、今も生きているという事実は、とても尊いものだ。

だから、完全に自分を愛したり受け入れたりすることは難しくても、ほんの少しだけ「私は頑張ってきた」「今の自分も悪くない」と、優しい言葉を自分にかけられる当事者が増えたらいいなと思う。

猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。

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