「差別的な対応事例」から考える、関係性を改善するためにできること。
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2023.3.9
私は全盲の視覚障碍者ですが、他の人とのちがいがあることで嫌な思いをした経験があります。今回は、自分の経験だけでなく、先輩の視覚障碍者から聞いた話も合わせて、自分とちがいのある人達との関係性について考えてみました。
執筆:小川 誠
私は全盲の視覚障碍者ですが、他の人とのちがいがあることで嫌な思いをした経験があります。ちがいを認めることや、相手の立場で考えることが大切だとわかってはいても、なかなか難しいものです。
今回は、自分の経験だけでなく、先輩の視覚障碍者から聞いた話も合わせて、自分とちがいのある人達との関係性について考えてみました。
先輩の視覚障碍者から聞いた話
15年ほど前、当時80台後半の全盲の視覚障碍者から、若いころに実際にあった話を聞く機会がありました。
商店街の八百屋さんで買った野菜を家に持ち帰ると、その野菜にはたくさん土がついている上に、品物が傷んでいたそうです。
その方は八百屋さんに抗議に行ったそうですが、「土に隠れて見えなかった」などと言い訳を述べたのみで解決せず、結局泣き寝入りしてしまったとおっしゃっていました。
この話は、現在でも起こり得ることかもしれません。
この八百屋さんが故意に傷んだ野菜を「見えないからいいだろう」と売りつけたのかどうかは今ではもうわかりません。
ただ、相手が視覚障碍者ではなかった場合、少なくとも抗議に行ったときの対応は変わったのではないでしょうか。
視覚障碍者は相手の言っていることが本当かどうか、目で見て確認することはできません。そのような状況で、自分が見えないことを利用されるような経験をすると、少しずつ人を信頼できなくなってしまいます。
私はこの話を聞いたときに「悔しく、もどかしい気持ちに悩まされたのではないか」と想像しました。こういった経験をすると、他人を信頼できるようになるまでに相当な時間を要すると思います。
私が学生のときに皮膚病の見た目で判断されたときのこと
私は、視覚障碍の他に皮膚の難病を抱えています。
現在は皮膚病の症状は落ち着いていて、見た目にもほとんどわからないくらいになりましたが、後遺症でほとんど毛が生えてこない状態が続いています。
子供のころは、アトピーに似た症状があり、あまりにかゆくてかゆくて、「我慢しなさい」と言われてもかきむしってしまうので、皮膚がぼろぼろの状態でした。
中学部の体育の時間にフォークダンスの授業がありました。そのとき、同級生のうちの一人が私と手を繋ぐことを拒んだのです。
それを見ていた先生が授業後に手を繋ぐことを拒んだ理由を問いただしたところ、「手にたくさんぶつぶつができているから嫌だった」と言ったようです。
先生が厳しく諭したからなのか、その後は手を繋ぐことに対して拒まれることはありませんでしたが、私自身の心は嫌な気分と「しょうがないかな」という気持ちとが混ざり合い、なんとも言えない複雑な気分になったことを覚えています。
いつの間にか相手を傷つけてしまう出来事の背景
なぜ、このような出来事が起きてしまうのだろうと考えてみました。自分とちがいの大きい人に対しては、共感がしづらくなります。
八百屋さんは目が見えなくて苦しんだ経験はなかったのでしょうし、私の同級生は皮膚病のある人の悩みが想像できなかったのかもしれません。
では、どうすれば、自分とちがう要素を持つ人達との関係性を変えていけるのでしょうか。
私は、相手の声を聞くことだと思っています。いきなり理解をすることは難しくても、相手の話を聞くことはできます。
SNSの普及によって、自分の感じていることや、考えていることを発信しやすくなってきました。自分とはちがう、様々な環境にある人の声を聞くこともできます。
お互いの立場を知り、理解を深めることができれば、少しずつ助け合えるようになるのではないでしょうか。
月並みかもしれませんが、対話を重ねることが自分とは異なる要素を持つ人達と協力するための一歩だと思っています。どれだけ自分とちがう人でも、話をしていくうちに「同じ人だから、一緒に協力して生活していきましょう」と思える瞬間がやって来るはずです。
相手のことを考えることができれば、関係性を変えていけると思うのです。