「自立」には「人の支え」が必要だ
1 1
2023.4.18
皆さんは、自立した生活を送っていますか?これは、なかなか答えづらい問いではないでしょうか。今回は、私にとっての「自立」について考えてみたいと思います。
執筆:とくら じゅん
こんにちは、とくらです。
皆さんは、自立した生活を送っていますか?これは、なかなか答えづらい問いではないでしょうか。
自立と言えば、一人暮らしをしているとか、人の手を借りていないとか、生計を立てているとか、そういった状態を思い浮かべることが多いと思います。それでは、この条件を満たしていない人は本当に自立していない人なのでしょうか?
今回は、私にとっての「自立」について考えてみたいと思います。
自立とは
自立とは一体どんなものなのでしょうか。
辞書を引くと、こう書かれています。
①他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
②支えるものがなく、それだけで立っていること。
この意味では、他者からの助力があり、配偶者や周囲に支えられながら生活をしている私は自立していないのかもしれません。
一方で、社会に出て金銭を得て、身の回りのことを基本的に自分でやっているという意味では自立しているとも言えます。
よく考えてみると、介助を受けていたとしても自立している人もいれば、社会に出ていても自立していない人もいるかもしれません。
自分で何もかもをやっている状態が自立だとするなら、「自立」というのはとても難しいことのように思えます。
一人で抱え込むことが自立?
私は常々、夫が様々な困りごとをサポートしてくれることで生活を送ることができています。おかげさまで、これまで大きな事故にも合わず、薬の飲み忘れもそれほどなく、子どもたちの安全も保たれた状態です。
このようなサポートを受けている状態が果たして自立しているのか、というのはなんだか怪しい気がしますよね。
しかし、夫と出会う前、あまり他者にサポートを求めなかった時の私はどうだったでしょうか。
当時の私は、大学を卒業したことで、一応大人になったという気持ちもあり、一人でいろいろなことをやろうと頑張っていました。その結果は、散々でした。毎月支払いを忘れて止まる携帯電話、返済を忘れて督促電話が毎月来る奨学金、夕方のシフトにも遅刻するバイト、溜まっていく謎の郵便物…。お風呂に入るのは気が向いたときのみで、数週間同じ服を着ていることもありました。実家に住んでいましたが、とにかく無茶苦茶な状態でした。
当時はあまり他の人からのサポートを受けていなかったかもしれませんが、今と比べてかなり人に迷惑をかけまくっていました。自分でも自立からほど遠く、誰にも必要とされない、自堕落でどうしようもない人間のまま一生を終えるのだと本気で信じていました。
現在、私は毎日お風呂に入り、服も着替え、それなりに清潔感のある生活をしています。必要な支払いを忘れたり滞ったりすることもなくなりました。これは夫が声掛けをしてくれる、代わりに手続きを行ってくれるというサポートがあるからです。
確かに人のサポートはありますが、今の自分は、かつての自分よりもかなり自立した状態にあるように感じます。この体験は自分がこの先生きていく上でも非常に価値のあることです。
必要とされること
今の夫と私は、お互いに助け合って生活をしていると感じています。たしかに私は夫から多大なサポートを受けてはいますが、どちらも必要であると感じながら生きているのです。
私が最も夫に支えられている点は、この「必要とされている」という実感だと思います。
夫よりも上手くできることは私がやりますし、自分で言うのもなんですが、なかなか楽しい話し相手でもあり、良き友人です。日々、コミュニケーションを取る中で必要とされていることを感じることもできます。
社会で生きていく上で、誰かに支えられるというのは当たり前のことです。人は一人だけで生きていくことはできません。何らかのサービスを受けるだけでなく、会社の同僚に助けられたり、友人に相談をしたり、家族に優しくしてもらったり。誰かが誰かを支えているものだと思います。
しかし、「自分が助けられるばかりで誰にも必要とされていない」と感じてしまったら、それは自立から遠のいてしまうような気がします。
「自立している」ということは、「自分が誰かに必要とされている実感を得ている状態」なのではないでしょうか。本当は必要とされていても、自分がそれに気が付かないと自立していると言えないのかもしれません。
まとめ
私は、辞書的な意味で自立しているとは言い難いですが、私を必要としている他者が存在し、それを私も認めています。
今の私は、自分では自立していると感じているのです。
自立しているという感覚は、自分の存在を肯定してくれる重要なファクターです。それだけでも生きていることに前向きになれるくらい大事なことだと思います。
私個人の願いではありますが、これを読んだあなたが、誰かに助けられている、必要としている、ということに気付いたら、ぜひその人に伝えてあげて欲しいです。