統合失調症の私が同病の友人との付き合いで気を付けていること
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2023.4.28
統合失調症の私には、同じ統合失調症の友人が何人かいます。
同病の友人との付き合いで私が気を付けていることを、今回はお話ししたいと思います。
執筆:大福 麦子 daifuku mugiko
他人の病は自分の物差しでは計れない
私には同じ統合失調症の友人が何人かいます。
「同じ病なのだから、病気の苦しみを分かち合えるのでは?」と思われるかもしれません。
確かに、統合失調症で経験した病気特有の苦労は、同病の友人と話をすると「自分一人ではない」と感じられるし、同じ病気がある中で前向きに生きている友人たちの姿に励まされることが多いです。
病気と向き合いながら生活する知恵や工夫、心構えなどはとても参考になります。
「わかってくれる人がいる」ということは闘病するにおいて、とても大きな力になりますよね。
しかし、私は同病だからこそ気を付けなければいけないと思っていることがあります。
それは、他人の病は自分の物差しでは計れないということです。
同じ病気でも感じ方は異なる
同じ病気だからわかりあえる部分があるけれど、同じ人間ではないからこそ、わからないことがあります。
同じ病気でも、病気を発症したきっかけや、家庭環境、価値観、病気の重さなどは、人によって違います。
飲んでいる薬や、残っている症状なども違います。
ある人にはある症状が、別の人にはないということがあります。
私自身も、これまでに何度か統合失調症の発症を経験してきましたが、回復までにかかった期間や症状の強さがその都度異なりました。
同じ人間でも差があるのです。
他人ではなおさら、病気への感じ方は人によって異なるのではと思っています。
「自分はこうだった」だから「あなたもこうすべき」ではない
同病ゆえに自分の経験や、どう病気が良くなっていったかを他人に当てはめて考えがちですが、自分の経験から他人の病気をジャッジすることは控えたいものです。
「自分はこうだった」だから「あなたもこうすべき」ではないということを、肝に銘じたいと思っています。
私はかつて、他人に「あなたもこうすべき」と思っていた時期がありました。
自分の回復パターンを他人に当てはめて、おこがましくもアドバイスできると思っていました。
しかし、それは結局私の思い上がりで、これは本人が解決すべき問題で、他人が介入できる問題ではないのだと実感したことがあります。
振り返ってみると、私だってストレートに寛解していったわけではなく、悩み苦しみ、遠回りをしながらの回復でした。
回復の過程では、たくさんの人に迷惑をかけたし、周りの人に支えられて、時には後ろを向きながら、良くなったり悪くなったりを繰り返して良くなっていきました。
決して平たんな道のりではありません。
病気を受け入れて治療している人もいれば、病気になったことを受け入れられず、悩んでいる人もたくさんいます。
人それぞれ回復への道筋は違っても、みな必死で生きています。
それを忘れてはならないと思うのです。
良くなるためにした努力は、苦しんでいる人を励ますために使いたい
精神疾患はその特性から、当事者の人生観や価値観と密接に関わっているケースが多いです。
その人のバックボーンは本人でなくてはわからない、他人が容易に介入すべきでない、判断できない場合があります。
良くなるためにした努力は、誰かをジャッジするためにした努力ではなかったはずです。
「自分はこうして回復した」という自負や経験は、この病気で悩んでいる人や苦しんでいる人を励ますために使っていきたい。
同じ病気だからこそ共感できることがありますが、同じ人間ではないからこそわからないことがあるという前提を忘れないように、これからは友人たちを尊重できたらと思っています。