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不器用な私の人生の分岐点。障がい者雇用からフリーランスライターへ

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2023.5.11

ASDの診断が正式にされてから、それまで予想してなかった人たちと出会える機会が増えました。そして、ライターの仕事を始めたことも私にとっては大きいものでした。今回は、「人生の分岐点」をテーマに私のこれまでの人生を振り返って、これからの未来について考えていきたいと思います。

執筆:光丘 月乃 t.mitsuoka

こんにちは、光丘月乃です。

「パラちゃんねるカフェ」で執筆させていただいている数ヶ月間、自分のこれまでを振り返る機会が数多くありました。執筆しながら自分の人生を振り返ってみると、短いながらもさまざまなことがあったと思います。

ASDの診断が正式にされてから、それまで予想してなかった人たちと出会える機会が増えました。そして、ライターの仕事を始めたことも私にとっては大きいものでした。決して楽しいことばかりではありませんでしたが、どの経験も無駄ではなかったと感じています。

今回は、「人生の分岐点」をテーマに私のこれまでの人生を振り返って、これからの未来について考えていきたいと思います。

引っ込み思案な性格だったが…


私は現在も話下手ですが、小学校〜高校時代はもっとその傾向が強かったです。

友達と遊ぶよりも一人で地図帳を眺めたり本を読んだりする方が好きで、典型的な「変わりもの」として認識されていました。友達と話しても「月乃ちゃんはなんかおかしいよね」といわれることが多々ありました。

当時はまだASDとは診断されていませんでしたが、幼少時代からその兆候はあったと思います。運動音痴で大きな物音が苦手で、複数のタスクを同時にこなすことに難がありました。

その反面、なぜか夢と想像力だけはとても大きく「世界一周をしたい」「大物小説家になりたい」などと考えていました。テレビアニメを見たり本や映画の世界にふけったりしているうちに、さまざまな世界を描きたいと思うようになりました。

高校時代は、学校新聞づくりに携わって夢への一歩を踏み出そうとしていました。器用ではなくても、自分なりに夢に向かいたかったのです。

今思うと、その想像力と行動が現在につながったのかもしれません。

器用ではないが生きてきた


親元を離れて暮らしていた大学時代〜新卒社会人の頃は、夢は漠然とあったものの「現実を受け入れざるを得ない」と思いながら毎日を過ごしていました。全てにおいて不器用ではありましたが、自分なりに必死に生きてました。

東日本大震災を機に、私は田舎に帰省して生きることに決めました。ちょうどその当時メンタルと自律神経失調症の悪化に陥って退職し、地元に戻って療養をしつつ次の仕事をしていました。

母の知人のツテで就職した仕事は、人間関係の複雑さと業務の煩雑さからすごく忙しかったと記憶しています。その仕事は、ASDの特性がある私には非常に難易度の高い仕事でした。

地元に帰って初めての再就職も思うようにはいかず、結果的には1年弱で退職。そして、間をおかずにASDの正式な診断を受けました。

診断を受けた当初は驚きましたが、次第に受け入れていきました。

戸惑いながらも発達障がいを受容した時期


発達障がいと知ったばかりのころは「えっ、私が??」と戸惑いがありました。しかし、就労移行支援事業所に通所していくなかで、少しずつ受け入れていきました。

事業所は、それまで私の生きてきた世界とは全く異なりました。いろいろな障がいを抱えながらも、前を向いて生きている仲間たちに勇気をもらいました。スタッフの皆さんも良い人が多く、とても貴重な体験をさせてもらったと今でも感謝しています。

障がい者雇用に向けてのプログラムをこなし、そして多くの支えがあって無事に障がい者雇用での就職を果たしました。事業所を卒業するときは、少し寂しさがあったのをよく覚えています。

障がい者雇用で就職した後も、事業所のスタッフさんからのサポートを受けながらしばらく仕事をこなしていました。

この職場でよかったのか?疑問に思う日々


就職してからしばらく経って、少しモヤモヤした気持ちが生まれてきました。仕事を振ってもらえず、挙句の果てに「仕事をしていなくてやる気が感じられない」「きみは障がい者雇用だっけ?」など、パワハラまがいのことを平然と言う上司に出会ったのです。

その企業は障がい者を雇用することが初めてだったそうで、前任者から引き継ぎがされていなかったのか…なんなんだろうと思いました。

コロナウイルス流行の影響で休職を余儀なくされて、仕事に復帰した後に人事異動があり、少し状況は変わりました。何とか仕事をふってもらえる機会は増えたものの、モヤモヤ感はなくなりませんでした。職場環境や上司のせいだけではありません。

何度も支援センターに相談をしたり生き方を考え直したりもしました。退職を打診したら、「甘えている」「病気を言い訳にするな」などと言われて5回ぐらい強く引き止められました。

一歩踏み出したきっかけと今後のこと


モヤモヤの日々を打ち壊せたのは、昔からの夢だったライターの仕事を知ったのがきっかけです。それが人生の分岐点でした。ライターの仕事をスタートして少し経った後、アルバイトをしながらライターを続けるために退職を決意。そして、今に至ります。

ライターになって2年目に突入しましたが、ライターとしてはまだまだ未熟。その分、仕事をこなしていく中で成長していけたらと考えつつ案件をこなす日々です。

世界一周は無理ですが、旅行には少しずつ行って旅行の記事も時々書いています。アルバイトもライターも、決して楽しいことばかりではありませんが自分自身の成長の糧となっているのは間違いありません。

だいぶ遅くなってしまいましたが、この仕事に出会えて本当によかったと思っています。分岐点で、この道を選んでよかったです。これから何があっても、ライターは続けていきます。そして、一人でも多くの読者の皆さんに何かを伝えられたらと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

福島県に住む30代のWebライター(2022年3月中旬~)。アルバイトをしつつライター活動をしている。スキルアップを目指して、幅広いジャンルで執筆中。趣味は読書、スポーツジム通い、動物観察、散歩など。

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