大学4年生のときに自分を変えたくて行ったカナダ旅行
1
1
2023.5.20
大学4年生の頃の私は、自分が良い意味で変わるきっかけが欲しかった。よく海外旅行に行くと価値観が変わるだの、人生観が変わるだの、そういう話を聞いた事があったので、「世界を見れば、自分の中で何かが変わるのでは?」と期待した。そして、カナダのイエローナイフにオーロラを観に行くことにしたのだ。
執筆:小泉 将史
大学4年生の頃の私は、自分が良い意味で変わるきっかけが欲しかった。
卒業に必要な単位を取得し、内定も無事にもらえており、手元にはアルバイトで貯金した50万円がある。
順調な学生生活のように聞こえるかもしれないが、そうとも言い切れない。精神的には父の死から立ち直れず、自分の殻に閉じこもっていた。また、てんかんと診断される前で諸症状も貧血程度にしか思っておらず、原因がわからないまま首をかしげていた時期でもある。
よく海外旅行に行くと価値観が変わるだの、人生観が変わるだの、そういう話を聞いた事があったので、「世界を見れば、自分の中で何かが変わるのでは?」と期待した。
「よし、行くか。物は試しだ」
せっかく海外に行くのなら、癒しのある場所がいいと思い、旅行先のテーマは大自然になった。
子供の頃、NHKのドキュメンタリー「イヌイットの生活」で彼らがアザラシを解体して湯気の出た生肉を美味しそうに頬張っているのをみた。私はその光景がとても印象的で「美味そうだ」と思っていた。大自然が作り出すオーロラにも興味があった。私は彼らの生活環境を体験する事で何かが変わると思った。
「よし!オーロラを見る事の出来る場所にしよう。」
調べてみるとアジア人にも人気のカナダにイエローナイフという場所がある事を知った。白銀の世界、雪と氷に覆われた大地が頭に浮かんだ。
早速旅行代理店に電話して予約した。「地球の歩き方」も購入した。身体は不調だったが、とにかく行動あるのみ。後悔はしたくないと思っていた。
「飛行機に乗ったら後戻りはできない。」
空港。予約した飛行機は22時発バンクーバー行き。バンクーバーには朝7時頃到着予定だった。
初めて1人で計画を立てた海外旅行はドキドキの冒険だった。拙い英会話が多少出来る程度だった私には大それた計画だ。とりあえず、行けばなんとかなるだろうと、搭乗ゲートに向かった。
機内。当然のエコノミー。行きの飛行機は悪天候の中、乱気流に巻き込まれてほとんど一睡もできなかった。それでも、機内から見る朝日は美しかった。
バンクーバーに到着し、空港から車で最寄りのホテルに行った。チェックインの順番待ちをしていた私の顔は寝不足でチアノーゼのように蒼白。体調が悪いこともあり、「本当に来てよかったのだろうか?」と段々弱気になってきた。うなだれながら、少し後悔していたときに突然話しかけられた。
「ちょっと、あなた大丈夫?」
おお!日本語!耳慣れた言葉が聞こえる。見上げると、旅慣れた様子のマダムがそこにいた。
旅慣れたマダム「随分と顔が白いわね、大丈夫?」
旅不慣れな私「…はい、ありがとうございます。大丈夫です。」
旅慣れたマダム「ちょうどよかったわ、あなた私達と一緒に行動しなさいよ。老婆2人で旅行するより若い男性がいた方が安心するわ。」
旅不慣れな私「あ、はい。ありがとうございます。」
という訳でバンクーバーの青い空の下、何故か?旅慣れたマダム2人組と行動をともにすることになった。旅は道連れとはこのことか。
念願のイエローナイフに着くと、そこは街並みと違って音と光の無い世界だった。気温は氷点下30℃。静寂の中、防寒スーツを身にまとい、夜空を見上げると、肉眼で満天の星空を見る事ができる。
ただただ美しかった。ダイヤモンドダストもオーロラも不思議で美しかった。
事前に期待していたように、自分の価値観や人生観が変わったかどうかわからなかった。父の死から急に立ち直れるようになったわけでもない。
「落ちこぼれ」の私にとって父は良き理解者であり、心の安全基地だった。その父の突然の死を目の当たりにして「人は老いて死ぬとは限らない」事を実感した。
そして「人はなぜ死ぬのだろうか?なぜ死ななければならないのか?」と言う哲学的な難問を突きつけられる事になった。
父の死後、「死」は嫌だが、死を避ける事のできない「生きている」状態もしんどいと思うようになった。私はいつ訪れるかわからないけれど「100%回避できない死」という暴力に対して無常だと感じていた。
死に怯えながら、なす術もなく茫然としたまま不安感を抱えていた。何かに関心を持つこともできず、感動することもなく、うつ状態に陥っていた。
価値観や人生観は変わったかどうかわからなかったが、大自然の雄大さに無関心・無感動だった私の心が揺れ動いた。世界は美しい、生きている状態というのも悪く無いものだと思えるようになった。
父は死んだが、世界は美しかった。これがわかっただけでもよかったのだ。
旅慣れたマダム2人組と3人で防寒スーツを身につけて過ごす一夜はロマンチックというよりかはシュールな雰囲気だった。
カナダ旅行を通して私の心境に変化はあったのだろうか?
相変わらず冷笑主義的で自閉的でうつ的な私だったが、生きていればこのような感動体験ができるのだと知った。
死にたくないという気持ち、生きているのがしんどいと言う気持ちの狭間で、「とにかく私は働いて生活していかなければならないのだろう」と思った。もがいてあがいてみようと思った。
「事を謀るは人にあり 事を成すは天にあり」という言葉を強く意識するようになった。私たちが考えたところで、結果がどう転ぶかはわからない。何がいいのか、悪いのか。それは現在でも変わらない。
結局のところ、カナダ旅行の体験は、私の死生観にあまり影響を与えなかったのかもしれないが、振り返ってみると、急に辛い経験から立ち直れるわけではなくても、立ち直ろうとする「きっかけ」にはなったのだろうと思う。
一番の薬はもがいてあがいてきた「時の流れ」だ。時の流れは非情だが、嫌な体験は過去の曖昧な記憶となって心の痛みや苦しみを和らげてきたのだ。