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発達障害の診断を受けて自分と向き合ってみたら、やりたいことが分かった話

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2023.6.3

20数年間、それほど自分について深く考えず、適当に生きてきた私が、やっと自分に向き合ったのは自分ができないことを知った時でした。

執筆:とくら じゅん


幼いころから変わった子どもでした。

妙に大人びた口調に突拍子もない行動。興味のあることには集中できるが、それ以外のことは全くできない。ちょっと変わった子ども。

幼少期からお絵描きが好きで、毎日クレヨンや水彩絵具で絵を描いていました。お絵描き教室に通い、家でも描いている間は周りの音が聞こえなくなるほど絵を描くことに没頭していました。

高校に進学し、進路を決める時期になったときに思い浮かんだ進学先は美大。美大に行くために通い始めた予備校では、自分がどこまでも努力のできない人間だと痛感しました。受験のレベルに足る絵は全く描けなかったのです。

「クラスの中で少し絵が上手い程度で美大受験とはへそで茶を沸かすわ」と今では思いますが、当時はそれなりに本気で入ろうとしていました。

しかし、何千枚というデッサンをすることも、ひたすらにクロッキー帳を埋めることもできませんでした。

結局、一般的な大学の文系学部に入った私は、絵に描いたような自堕落な生活を送ります。

もちろん、悪いことばかりではありません。大学では、今でも会い続けているような大切な友人たちにたくさん出会えて、学園祭の実行委員でもさまざまな活動をしました。

それでも、自分自身の生活を振り返ると、いわゆる典型的なダメ大学生そのもの。実家に住んでいるにもかかわらず、ほとんど家に帰ることはありませんでした。

普通のことができない人


THEモラトリアムを過ごしていた頃は見落としていましたが、就職活動の時期にさしかかると、いよいよ自分と周囲の違いに気付かされることになりました。

いわゆる「一般常識」に合わせて、大多数の人々と同じようにリクルートスーツを着て就活をすることに耐えられなかったのです。

それまで、「自分は多少努力ができないだけで、周囲と同じことを普通にこなすことはできるだろう」と考えていましたが、甘すぎました。履歴書の性別欄ひとつをとっても疑問が生まれ、就活のメイクやファッションも、就活で是とされているものすべてに自分は迎合できないと気付いたのです。

学生時代は「少し変わった人」で済ませることができていましたが、就活は同じ様にはいきません。就活という厳然たる壁を前にして、私は全く動くことができなくなってしまいました。当時の私には普通にすることに並々ならぬ努力が必要だったのです。

普通でいることにあまりに多くの「努力」が必要だと気が付いたことで、私は就職を諦めました。そして、新卒カードを不意にして、フリーターになったことで自堕落な生活に拍車がかかることに。

数年勤めたアルバイト先で、新しく入ってきた学生に、遅刻を咎められるようになりました。そのいつも5分遅刻してくるバイト先のダメな先輩に対して毎回指摘してくる学生が、今の夫です。

自分と向き合うことで生まれた変化


真面目で、朝起きるのが得意で、細かいことが気になるタイプの夫と一緒に生活をするようになって私の生活は随分改善されました。

また、子どもが生まれたことで、一人の人間を育てるというとてつもないプロジェクトが始まり、これが私の性根を叩きなおすことに。どんなに無理だと思っても、圧倒的努力でなんとかしなければならないことになったのです。

第一子が生まれてしばらくして、私は発達障害の診断を受けました。それまで大した努力をしなかった人間が、ものすごく努力してみたら自分の限界値を知ったという感じでしょうか。

これを機に、自分自身を知ることに興味を持ち、自分が得意なこと、不得意なこと、興味があること、やってみたいことなど、これまで深く考えてこなかった様々なことにきちんと向き合うことにしたのです。

第二子出産後、私はイラストを描いてTwitterに投稿するようになりました。他にも、漫画を描いて幾ばくかの報酬を得たり、絵を描いて人に見てもらう活動を始めました。

会社では、事務職からデザイナー職に転向し、不得意なことからなるべく離れた時期でもあります。私生活でも好きだった絵を少しずつ描き始め、イラストレーターとして活躍したいと思い始めるほどになりました。

まとめ

20数年間、それほど自分について深く考えず、適当に生きてきた私が、やっと自分に向き合ったのは自分ができないことを知った時でした。それは同時に自分ができることを知ることにもなったのです。

今ではデザイナーとして働きつつ、イラストレーターやwebライターとしてもお仕事をいただいています。

無気力に生活していた時期には考えられない程忙しい毎日を送っていますが、当時よりも自分の居場所や方向性、幸せの感覚が明確になっていると感じます。

「駄目だった期間があってこそ今があるのか」と聞かれれば、そうとも言い切れないと思います。どこかで自分の限界値まで努力をしていれば自分のできないことも、できることも知るはずです。そうしていたらショートカットできた、無くても良かった期間のような気もします。

それでも、長い長い自分と向き合わない時間があったからこそ、今が幸せだと感じるのかもしれません。

私の人生の転換期は、分岐点という感覚とは少しちがいます。足元をあまり見ずに道なりに歩き続けていた私が、ある時期からきちんと歩いている場所を確認するようになったら、いろんなことが分かってきた、ということのようです。

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。出産後ADHDの診断を受ける。様々な立場の生きづらさを考えていきたい人。

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