目が不自由な私のキャリア体験記②無視・仲間はずれ・いじめ…厳しい人間関係の2年間。
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2021.3.22
「明日から出社しなくていいよ」から8ヶ月。転職が決まり、新しい職場で待っていたのは、上司や先輩の露骨な態度、無視に仲間はずれにいじめ。順風満帆とは程遠い、波瀾万丈な私のキャリアについてご紹介します。2社目もなかなか大変でした。
執筆:松田 昌美 Masami Matsuda
「明日から出社しなくていいよ」から8ヶ月後の転職
「そういうことだから。明日から出社しなくていいよ。」
入社して8ヶ月。東京と地元の静岡県伊東市を就職活動のために何度も往復し、やっとの思いで就職した会社から告げられた、ドラマのような一言。
退職届を出したその日に、8ヶ月前までお世話になっていた障害者の就活をサポートしてくれる企業の担当アドバイザーへ連絡し、その日から転職活動を始めました。
数ヶ月後に転職したのは、建設コンサルティング業の会社の東京支社(総務部)でした。入社年月日は平成21年8月5日。
この会社も、今まで障害のある人を採用したことがなく、会社の規模的に障害者を取らないといけないということだけで障害者の採用活動を進めていました。障害者と働くことに関して、右も左も分からない人たちが働いている会社でした。
ペナルティーで発生するお金をとにかく払いたくないからと障害者雇用をサポートしているところに求人をだしたとのこと。
「仕事として何を任せられるか分からないけれど、なんとかするので長くここにいてください!」!
そう面接で言われたのを今でも覚えています。
部長・上司・先輩の露骨な態度
当時、東京で一人暮らしをしており、金銭面で家族を頼れない状態だったので、働く場所があって、なんとか生活できるお給料がもらえればいいという感じでした。
入社後すぐに、書類を会社にあるパソコンで使えるようにするためのデータ入力作業をお願いしたいと言われました。
そして、やはり私の実際の視力の状況を知り、みんなが与える仕事がない!とうろたえる。1社目といっしょです。
「とりあえず、座っていて」
困ったあげくの果ての一言で、これがずっと続きました。
部長は「我関せず」という態度を取って静かに座っている。
上司は社長に1日中つかまっていて、自分の仕事が溜まってストレスを感じると、イライラして物を乱雑に置いて「俺は忙しいんだ! 声をかけるなよ」アピール。
先輩はみんな空気を読んで、おべっかを使っている。イライラして「座ってるだけが仕事の人はいいよなあ。俺の大変さなんか1ミリも分からないでしょう?(笑)と言われることもありました。
先輩に目を付けられてしまった私
年齢が近いことや帰り道が同じことがきっかけになって、私の隣に座っている女性と仲良くなったときには、受付担当の40代の女性から「Aさんと一緒に帰らないで?一緒に帰るなんて変だよ。別々に帰ってちょうだい。」と目をつけられました。
これをきっかけに、トイレに立つタイミングを決められたり、女性社員が、襟付きブラウスにスーツパンツやスカート着用を義務付けられたタイミングで、私だけはこれまで通り私服で出社するようにと言われたり。
思い出してきたので、愚痴が止まりませんが、私服で社内にいることについてトイレで嫌みを言ってきたり、あからさまに私を避けるような態度を取ってきたり。
足にも障害があることを知りながら、かかとの高い靴を履けないことについて「きちっとした靴が履けないその足はなんのために付いているんだろうね?そんな足付いている意味あると思う?目が悪いと身だしなみとしてメイクもできないよね?それって女性としてだらしないと思うよ」など言われることもありました。
すべて、本当の話で、私だけでなく、こういう経験がある人もいるのではないでしょうか。
いつしか、私の仕事の切り出しのことなんて、みんなの頭から消えてしまい。ほかの部署の先輩や同じ部署の先輩の仕事を分けてもらい、時間をつぶすような感覚で出社していました。
そして、入社して2年が経ったある日の午後。先輩に応接室に呼ばれて上司からではなく、先輩からこれ以降の契約の更新はしない旨を伝えられ、勤続2年をもって契約満了(宣告)により退職となりました。
この会社を退職したその日に、部長から「今回の退職を勧めたのは、私じゃないです。分かってください。私に責任はないんです。」というメールを受け取ってしまったことは、たぶん、一生忘れません。
それでも企業で働くことを諦めなかった私は、すぐに転職先を探しました。
今、思えば、あのとき。
私のしんどい過去についてお話しましたが、このような職場は今はほとんどないのではないでしょうか。むしろ、私の経験のほうが少数派かもしれません。
ただ、こういうネガティブな経験をした人の声の積み重ねが、障害者の働きやすさにつながっているのは事実ではないかと思います。
今、思えば、障害者にどのような仕事を任せればよいのか分からない、配慮やサポートするくらいなら自分でやった方が早いのではないか、という感覚だったのでしょう。それくらい、当時は事例がなかったのです。
多くの企業で障害者が働くようになってきて、この障害だと、この仕事が任せやすい、こういった配慮をすればお互い気持ちよく働けるだろう、というような企業側の引き出しが増えてきました。
あの頃の自分が、今にタイムスリップしてきたら、毎日楽しく、働きがいを感じて出社できたかもしれません。今から社会に出るぞという方々を、ちょっとうらやましくも感じてしまいます。
Text by
Masami Matsuda
松田 昌美
1986年生まれ。就活や転職を経験し、現在は視覚障害で文字起こしのパイオニア「元祖ブラインドライター」としてタレント活動をする。
NHKハートネットTV「ブレイクスルー」、レインボーダウンFM idobatanowなど出演多数。
■ブログ
https://profile.ameba.jp/ameba/fairyland0218/