筋ジストロフィーの私が経験した、夢と障がいの間で悩み苦しんだ就職活動~前編~
1 1
2021.3.27
障がいはあるけれど周囲に隠しながらギリギリ生活できていた大学時代。それなりに楽しく過ごしていましたが、心の奥には入学当初から続く悩みがありました。それは就職活動。強制的に障がいを隠すことを止め、きちんと向き合わなければならないタイミングです。
これから自分の夢と障がいの間で悩み苦しんだ私の就職活動の経験を、2回に分けてご紹介します。
執筆:高山 あっこ Akko Takayama
就職活動から目を背けて過ごした日々
大学3年生に入り周囲は少しずつ就活モードに突入している中、私はコピーライターの勉強に夢中になっていました。
社会人にまぎれてコピーライターの養成講座に通ったり、徹夜で課題に没頭したり、アルバイト代をつぎ込んでキャッチコピーの本を買い漁ったり、仲間と朝までコピー談議に花を咲かせたり、作品集を作ってプロのもとへ持ち込みをしたり。貯金や体力を削ることをいとわず、青春のすべてを捧げていました。
コピーの勉強は同時に「障がいが理由で社会から拒否される可能性がある」就職活動を恐れる、私の絶好の逃げ場にもなっていました。
「広告代理店の新卒採用は、コピーライターという職種での募集はほとんどない。だから就活はしない。作品集を持ち込んで代理店の下請けにあたる広告プロダクションのコピーライターから始めるつもり。コピーがやれるならアルバイトでもかまわない。」
就職活動を全くしない私を不審に思う同級生たちに、必要以上にくどくどと言い訳のように唱えていました。
障がいを隠しながらも夢に近づく
就職活動から逃げるようにコピーの勉強に没頭していた大学3年の秋。作品集の持ち込みが功を奏し、大手広告代理店で活躍しているコピーライターの弟子になることに成功しました。
これは最大のチャンスと、コピーを100本書いてと言われたら200本書いてくる、ミスをしたら真冬の寒空の下、何時間も会社の前で待って謝るなど、足りない実力をやる気でカバーしながら必死にアピールしました。
弟子を続けて数ヵ月たった頃、そのコピーライターの方に「うちの人事に君のことを紹介しておいた。僕の紹介ならぜひ採用したいと言っていたよ。エントリーシート出しておいてね」と言われました。
新卒で、大手広告代理店のコピーライターになれる可能性があるなんて夢のような話です。
「掴んだぞ、掴んだぞ夢!」とニヤニヤが止まりませんでした。
とは言うものの浮かれたのは一瞬で、その後ズーンと重い気持ちになりました。エントリーシートを出して面接を受けるとなると、いよいよ障がいのことを隠せません。
障がいが理由での社会的な挫折
エントリーシートの締め切りが迫る中、私は「障がいのことを書いて落とされたらどうしよう。私を紹介したせいで師匠に迷惑をかけたらどうしよう。」とキリキリと胃を痛め悩んでいました。
師匠のコピーライターの方にきちんと相談するべきだったのでしょうが、筋ジストロフィーという自分でも重すぎる病名に、当時の私は告白をする勇気が持てませんでした。
結局エントリーシートには、病気のこと、何も使わず椅子から立ち上がるのは大変なので面接の際には机を準備してほしい旨を書き提出しました。
数日後、私の元にはエントリーシート通過と面接のお知らせが届きました。
「落とされなかった!可能性あるかも?」と社会から拒否されなかった事実に浮かれました。不安と希望が混ざる中、面接の準備は入念に行いました。
何度も何度も模擬練習を行い、長所も短所もバッチリ!障がいのこと以外は自信を持って臨める状態でした。実際、本番でも練習通り、志望する理由や病気のことをきちんと伝えられたと思います。
面接の通過者には電話連絡が来ることになっていました。最初の数日は、電話の前でうきうきそわそわと待っていましたが、結局待てども待てども連絡は来ませんでした。
その後、師匠のコピーライターの方から「『とてもいい子だったんだけどね。ごめん、採用できない』と謝られた」と、モゴモゴと言葉を濁して言われました。その言いづらそうな様子と気まずそうな顔に「あぁ、障がい者だから落とされたんだ」と察しました。
数日間の号泣と八つ当たりの後、吹っ切れた私は、障がい者募集のあるなしに関わらず受けられそうな広告会社に片っ端からエントリーシートを送りました。
(後編へ続く)
Text by
Akko Takayama
高山 あっこ
Co-Co Life 女子部所属。進行性の難病筋ジストロフィーを抱えながら2人の娘を子育て中。コピーライター・フリーライター。地元でママライターとしても活動。現在、どの電動車いすが最適かをお試し中。