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筋ジストロフィーの私が経験した、夢と障がいの間で悩み苦しんだ就職活動~後編~

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2021.4.3

障がいはあるけれど周囲に隠しながらギリギリ生活できていた大学時代。それなりに楽しく過ごしていましたが、心の奥には入学当初から続く悩みがありました。それは就職活動。強制的に障がいを隠すことを止め、きちんと向き合わなければならないタイミングです。

自分の夢と障がいの間で悩み苦しんだ、私の就職活動の後半をご紹介します。

執筆:高山 あっこ Akko Takayama

毎日のように届く不採用通知で、机の引き出しがパンパンに

周囲は続々と内定が決まり就活モードが落ち着きつつある中、私はいまだにエントリーシートと1次面接の間をウロウロしていました。

エントリーシートで落ちることもあれば、1次面接で落ちることもある。障がいがネックなのか、ただの実力不足なのかよく分からない状態に陥っていました。

挑めども挑めども、毎日のように届く不採用通知。「ゴミ箱に捨てて親に見られたら悲しい気持ちにさせてしまう」と捨てることもできず、いつしか自分の机の引き出しは不採用通知でパンパンになっていました。

そんな日が続く中、私は愛知にある広告代理店の1次面接を受けることになりました。そこのエントリーシートには、障がい者手帳の有無を書く欄があったので「障がい者を受け入れる気があるんだ」と望みを持っていた会社です。

面接では病気について詳しく聞かれました。今はどんなことが大変で、どこで治療を受けているのか。どの程度のサポートが必要で、将来心配されることのは何なのか。

今まで受けた会社では、事務的に聞くだけで深堀りされなかった私の病気について、雇用を前提として前向きに知ろうとしてくれる姿勢に救われる気持ちになりました。

その会社は障がい者雇用が必要だったのでしょう。他の学生たちが2次面接・3次面接に進む中、私は1度の面接だけで内定が決まりました。そして有り難いことに、入社するには色々心配があるだろうと不安を相談するための飲み会も開いてもらえました。



不安だらけの2つの進路

内定は嬉しかったのですが、2つの大きな不安がありました。

ひとつは、見知らぬ土地で一人暮らしをしなければならないこと。もうひとつは、「総合職」での採用なのでコピーライターになれるわけではないことです。

コピーライターの件は、面接の際に「新卒の子がコピーライターに配属される可能性はあるけれど、向き不向きもあるし約束はできない」という回答をもらっていました。

通常なら、他の部署で経験を積みながらコピーライターを目指すという選択肢もあると思いますが、いつまで自力で生活できるかわからない私は、たった1年だとしても別の仕事をする余裕はないと焦っていました。

2つの大きすぎる不安。内定者懇談会や書類の提出など、その会社から連絡が来るたびに胃がキリキリと痛み逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていました。

そんな中、私の進路を気にかけてくれていた師匠のコピーライターの方が、地元の比較的規模の大きい広告プロダクションを紹介してくれました。

あっさりと面接の日が決定。面接ではその場で「アルバイトからだけどコピーライターとして4月から来てもいいよ」と言ってもらえました。

拍子抜けするほど軽くOKがもらえたので不安を感じ「足が悪くて、できないことも多くてご迷惑をかけると思うのですが大丈夫でしょうか?」と確認をしました。すると笑いながら「カメラマンの●●さんも足が悪いけど、めちゃくちゃハードワークやっているよ。何とかなるでしょ」との回答。

その軽い感じに「もっと深刻で、もっと配慮してもらいたいことがあるんです」と声を上げたかったのですが、もらったOKを取り下げられたくないのと、修正できそうもない温度差に言い出せませんでした。



不安に向き合ってくれた人事の方。背中を押してくれた母の言葉。

障がいのことを理解してくれる遠方の会社で、どの職種になるか分からないけど働く」「障がいのことを理解してなさそうな地元の会社で、夢のコピーライターとして働く」

私の前には方向は違うけれど「死ぬほど不安」という点だけでは共通している2つの進路ができました。

「いい加減、決めなければ。明日は決めよう、明日こそは決めよう」と決断を先延ばしにし続けて迎えてしまった3月、「そろそろ住む家を決めてください」と愛知の会社からの連絡が来ました。タイムリミットの到来です。

「頭がこんがらがって、自分ではまともな判断ができない」と悟った私は、このタイミングになってようやく入社を悩んでいる旨を愛知の会社の人事の方に相談しました。

入社目前の時期にとんでもない相談をしたにも関わらず、その方は「心配事→解決方法」「心配事→解決方法」と、私のぐちゃぐちゃに絡まった不安を一つ一つ丁寧に解きほぐしてくれました。

「遠く離れた地でも丁寧に向き合ってくれる人がいそうだ」という安心感と、母からの「ダメだと思ったら1カ月で帰ってきてもいい。案ずるより産むが易しだよ」という言葉。

社会人としては完全に烙印を押されるようなギリギリのタイミングで、ようやく私は「愛知の広告代理店に入社する」という決断をしました。

まとめ

自分の夢と障がい、両方に正面からぶつかった私の就職活動。

今思い出しても「あの時は、きつかったな」と苦笑いをしたくなるような経験です。同時に、自分の障がいを隠すのをやめ、障がいのある人として生きていく大きなきっかけになったと思っています。

今でも、障がい者が企業に入り自分の居場所を得たり、やりたいことで働いたりするのは、すごく難しいことだと感じています。特に「やりたいことで働く」ことは会社からのベクトルがなければ不可能です。

障害者雇用促進法のおかげで「働く場所」は昔よりもずっと得られるようになりました。欲を言えば、その先の「やりがい」を求めて働ける会社が増えていったらいいなと思います。

Co-Co Life 女子部所属。進行性の難病筋ジストロフィーを抱えながら2人の娘を子育て中。コピーライター・フリーライター。地元でママライターとしても活動。現在、どの電動車いすが最適かをお試し中。

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