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病気の再発で左足を切断。家族や職場、友人や病院の支えがあったからこそ、今は前向きに働ける。

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2021.5.1

2020年3月。病気(滑膜肉腫)の再発で左足を切断しました。暗いトンネルを手探りで進むような日々の中で、職場、友人、家族、病院、たくさんの方々に支えられたからこそ、仕事もプライベートも今、楽しめるようになりました。

執筆:林 力希 Riki Hayashi

職場からのサポート

2020年3月。滑膜肉腫の再発が発覚。長崎で新人営業マンとして奮闘していた新入社員の自分にとっての毎日は、暗いトンネルを手探りで進むような日々となりました。

再発が発覚してすぐに治療のため、地元である東京にもどり、がん研有明病院へ入院したが、どうしても仕事のことが気になってしまう。

「なにか頼まれていた気がする」
「重大な引き継ぎ漏れがあるのではないか」
「自分の失敗がいまごろ炎上してしまっているのではないか」

会社貸与の携帯に入ってくるメールや電話を返そうかと思っても、自分の状況を説明するのは苦しいから放置する。罪悪感を感じる。

抗がん剤治療を行いながらも、そんな気持ちを抱えていました。

抗がん剤が効かなければ、左足を膝下から切断することが決まっていました。そんな状況で仕事のことを考えてしまうなんておかしな話だなと思います。



「会社携帯見るのやめよっか。」

そんな時期に、私が長崎で所属していた支社の支社長が、そう言ってくれました。

「仕事のことは支社のみんなに任せてくれていいから、いまは治療に専念するべきだよ。」

そう言ってくれました。その言葉でとても安心できました。

自分が突然いなくなって、大変なこともたくさんあったと思います。代わりに対処してくださった支社の皆さんのおかげで治療に専念できました。

支社のみなさんは、入院中に読めるようにおすすめの本を届けてくれたり、営業部門全員からの応援メッセージカードをまとめたブックを作って送ってくださりました。

治療期間中は、治療経過を支社長に伝えるとともに、復帰に向けたスケジュールの相談に乗ってもらいました。

治療期間中は休職をすることになり、面倒な手続きもいろいろとあったと推測できます。忙しい合間を縫って自分の治療に協力的に動いてもらえたことが本当にありがたかったと感じます。

友人たちがくれたお手紙、動画メッセージ、ラーメンでつくったリュック。

今回の病気の治療にあたって沢山の手紙、メッセージ、プレゼントをもらいました。高校柔道部の同級生達や、小学校の同級生が応援メッセージ動画を作ってくれました。

小学校の同級生といっても四年生の時に、自分は転校したため実に14年ぶりに顔をみるような人たちもいました。

それぞれが自分との思い出を話して、応援メッセージをくれました。覚えてくれているもんなんだなと嬉しい気持ちもあり、とても元気をもらいました。入院中何度も見返して、力をもらっていました。


会社の同期が自分の大好物であるラーメンでリュックを作ってくれました。


家族からのサポート

切断が決まった時、母は自分以上にショックを受けていました。もちろん、それだけ自分のことを考えてくれているというありがたい気持ちでしたが、父の反応が個人的には新鮮で前向きにさせてくれました。

「義足になることは大変だけど、その分、目立って注目を浴びることができる。そう考えると、チャンスだよ!」

そう言われて、まあそうだなと。あーもうしょうがないから、義足であることをプラスに使っていくしかないな。そう思えました。

私は両親と3つ上の姉、3つ下の弟と5人家族ですが、姉も弟も全然気にしていない様子で、普段通り接してくれました。後から母に聞くと、あえてそうしてくれていたそうです。

そんな環境のおかげで私も、母も、ショックを和らげていくことができました。

切断手術を終えて、義足のリハビリを開始するまでの期間が2ヶ月ほどありました。その間は車いすと松葉杖を併用し生活を送っていました。

この期間は松葉杖で行動するのが一般的だそうですが、母が車いすを借りてくれたおかげで行動の幅が増えました。松葉杖で行くには、少し遠い場所は、父と母に車いすを押して連れて行ってもらいました。

辛い時期だからこそ美味しいものを食べるべきだろうと、いろんなお店を巡ったことが幸せな思い出です。らーめんを食べるために、父に車いすを押してもらい、3時間行列に並んだこともありました。



義足リハビリ施設でのコロナ禍で面会制限のある中で2ヶ月半の長期入院

以前書きましたが、コロナ禍のため、入院中は、週に一度家族のみ1時間の面会という制限が設けられていました。

人に会えない辛さをひしひしと感じる毎日の中で、支えになったことがありました。

両親は週に一度必ず、自分のリクエストをきいて、お菓子などを届けてくれました。YouTubeの動画撮影を手伝ってもらったり、談笑したりと楽しい時間を過ごしました。

リハビリが16時に終わると、そのあとは1人部屋で1人でいて、とても暇でした。その時間を見計らって電話を定期的にくれる友達が数人いました。面会制限つきの長期入院を乗り越える上でとても力になっていました。



担当の理学療法士さん、義肢装具士さんとの談笑に救われたこと。

担当義肢装具士は同い年の方でした。一気に仲良くなり、未だに仲良くさせていただいております。彼とプリズンブレイクの話や、ラーメンの話で盛り上がった事は入院中のストレス発散になっていたと思います。

入院の人数を制限している関係で、担当の理学療法士の方と2人で、歩行訓練を行うことが多くありました。

入院中は少しこころが病んでいて、いろんなことに悩んでいました。近くに荒川が流れているのですが、川沿いを散歩しながら、悩みを聞いてもらいました。人生の先輩に深みのあるアドバイスをもらい、心を保つことができました。本当に感謝です。

現在は、義足を装着しながらサラリーマンとして勤務しております。

同じ境遇の方から、YouTubeに質問や、参考になります等のコメントがくることで、発信をしていてよかったなと思います。

昔の知り合いからYouTubeを見てるよ!新聞読んだよ!いつも元気もらってます。などのメッセージがくることがあります。

同じ境遇の方のために始めた発信だけど、だれかに元気を与えることができているのなら、これは、自分の使命のように感じます。

2020年3月のがん再発から、本当にいろんなことがありました。抗がん剤で頭がツルツルになり、左足がなくなり、義足になり、YouTubeを始め、コラム連載をはじめ、TVや新聞に取り上げられて。

思い返すと、今回のコラムで書かせていただいたような、周囲の人々からの関わり方にたくさん救われてきたんだなと感じます。感謝の気持ちを持って仕事にプライベートに過ごしていきたいと思います。

1996年生まれ。義足を履いたサラリーマン
2019年損害保険ジャパン株式会社入社。営業職を経験。2020年6月に滑膜肉腫というガンの治療のため左足を膝下から切断する。義足のリハビリを経て、2020年12月から自動車事故の初期対応の業務に従事。YouTubeにて、義足での日常をアップロードしている。

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