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まさか私が?若年性パーキンソン病と診断されるまでの2年間の記録

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2021.7.19

パーキンソン病は中脳の黒質にあるドパミン神経細胞が壊れて、ドパミンが減少することによって発症します。
主な症状として振戦、無動、*筋強剛(きんきょうごう)、姿勢反射障害の4つが挙げられますが、実際は多岐に渡り人によっても大きな違いがあります。

パーキンソン病は高齢になるほど発症するリスクが高まりますが、40歳以下で発症することもあります。
そのような人たちを若年性パーキンソン病と言い、10万人に100人〜150人くらいと言われています。

執筆:岩井 里美 Satomi Iwai

私の最初の症状

私の一番最初の症状は右足の上がりにくさですが、これは他覚症状として同僚看護師からの指摘で気が付きました。
自覚症状は右手の動かしにくさが一番最初です。

食器を洗っていると急に

「あれ?どうやって洗うんだっけ?洗い方がわからない。」

正確には洗い方はイメージできるけど手の動かし方がわからない。
脳から指令が出ていない感じでした。

「あっ、これヤバいやつだ。腫瘍できてるかも。28(年齢)だから進行早いよな。子供たちどうしよう。」

と一気に色んなことを考え始めました。

主人に伝えたところで「腫瘍と決まったわけじゃないし」と言われるだろうと思いながらもそれとなく伝えると、

「気のせいじゃない?」
と一言返ってきました。

私にとっては「死」を意識するくらいのことなのに「大丈夫?」の一言もない。

当時は幼い2人の子供を育てながら共に看護師をしており、すれ違いの生活が続く中、夫婦の会話はほとんどありませんでした。

右手の動きにくさは毎日ではなく、ふとした時に感じていました。
忘れた頃にやってくる、といった感じです。

しかし、徐々に頻度が多くなり、動きにくさを意識するようになりました。
その頃には、主人から言われた「気のせい」という言葉は私の精神状態を安定させる言葉になっていました。

「気のせいだから、大丈夫。」

それからしばらくは気にしないようにしつつ食生活を見直したり、早めに寝たりできる限り日常生活の改善に努めました。
でもやっぱり心のどこかで現実を見なければという気持ちもあり、白黒はっきりさせるために病院受診を決めました。

病院巡りしてもわからない

最初に行ったのは脳神経の病院ではなく、整形外科。
その時は右首の激しい凝りにも悩まされていたので、この凝りを治したら血流が良くなって動きやすくなるはず。

そうプラス思考に考えていましたが、もちろん改善するはずもなく今度は別の整形外科を受診しました。
そこでも私の中でスッキリすることはなく、遂に脳神経外科に行くことにしました。
今までとは違って余命宣告される覚悟で。

中年の男性医師は穏やかな表情で私の話を聞いてくれました。

「小さいお子さんがいるから色々不安だったでしょ。しっかり検査しましょう」

そう言ってMRI検査をしました。

これで全てわかる。
でも結果は

「どこにも異常ないよ。よく見たけど血管も綺麗」

私の不安を取り除くかのように、丁寧に説明してくれました。

「異常なし」

この頃の私にとってこの言葉は決して嬉しい言葉ではありませんでした。

先生、本当に動きにくいんだよ。
私自身どんな結果を期待してたのだろう。

大学病院へ

検査結果を主人に伝えてもどうせ「ほら、気のせいじゃん」って言われるだけだろうなと思いつつ、伝えると
「そうか、良かった」
良かったの割には笑ってない気もしましたが、あまり深く考えませんでした。

それから数日後、
「福大行こう(福岡大学病院)知り合いのドクターに話したら大きいところで検査したほうがいいって」

日頃から私の動きを見ていて今までと違うことに気づいており、医師に相談したと言っていました。
長年救命センターで働いている主人が「今までと違う」と判断し医師に相談するくらいなので、やっぱり何かの病気よね。
と思いつつ、心配してくれてたという方が嬉しかったのを覚えています。

後日、紹介状を持って福大に行きました。

将来の姿を想像することができた

今までと違い大学病院は広く、多くのスタッフと患者さんで溢れていました。
脳神経内科外来の待合室には明らかに年齢が私より20〜30は上と思われる人たちが番号札を持って座っていました。

この年齢で脳神経内科を受診する人は少ないよな。
そう思っただけで気持ちが下がったのを覚えています。

しばらくすると番号が点滅し診察室の中へ案内されました。
白髪混じりの医師が優しく笑顔で話しかけてきたのですが、目は既に私の全身状態を観察していました。

問診、触診など一通り終えて椅子に座ると
「お二人とも看護師さんだから言うね、パーキンソン病の可能性があります」

その言葉を聞いた瞬間「安堵」と「絶望」の相反する感情に瞬く間に飲み込まれていくのを感じました。

耳はこれ以上何も聞きたくないと言ったように、テレビの砂嵐のようなノイズで遮断しながらもどこか不気味な静寂をキャッチしていました。

私はパーキンソン病と診断されるまでに約2年かかっています。
診断までの2年間、常に頭の中で「死」を意識していました。
なぜなら似たような症状の患者さんを看ていたからです。

でもその病気とは違う。
パーキンソン病なら直接命に関わらないから、子供たちの成長を見れる。
そんな安堵の気持ちと進行したパーキンソン病の方の看護経験もあったことから自分の将来の姿を想像することができ絶望の闇へ落ちていきました。

オシャレしても好きなことしても、体は動かなくなるし、ヨダレは垂れる、突進歩行もする。
それは全てを諦めるには十分な理由になりました。

すぐに確定診断のための検査予約をし、数日後検査を受けました。
さらに何日か待って診断結果を聞きに行き、そこできちんとパーキンソン病と確定診断されました。

私とパーキンソン病の共存生活のスタートです。

1983年生まれ。パーキンソン病の社会的認知、就労支援、下着の製造、繋がり続ける教育の4つの柱を軸とした会社Limの代表(個人)。生きにくさを感じつつ楽しむこと、笑うことをモットーにしています。

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