若年性パーキンソン病と診断された私の葛藤~1
看護師を辞めるまで
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2021.9.11
私がパーキンソン病と診断されたのは看護師9年目の時です。
当時は2人の子供を育てながらパート看護師としてクリニックに勤め、慌ただしい毎日を送っていました。
そんな時に診断されたパーキンソン病は、私の看護師人生を大きく変えていきました。
※前回コラム/「まさか私が?若年性パーキンソン病と診断されるまでの2年間の記録」はこちら>>
執筆:岩井 里美 Satomi Iwai
拒薬…パーキンソン病だと認めたくない
診断されてからも
「パーキンソンなわけがない、若年性なんて聞いたことない」
そんな気持ちが強く、薬を飲むとパーキンソン病であることを認めてしまう気がして薬を飲みませんでした。
仕事では患者さんに
「お薬飲みましたか?」と内服確認をしているのに、プライベートでは自分が拒薬をしている。
看護師失格だ…
薬を飲み始めたきっかけは子どもたち
薬を飲むことに強い抵抗があった私ですが、全く罪悪感がなかったわけではありませんでした。
看護師として薬の必要性も知っていたからです。
そして幼い2人の子供がいることも罪悪感を強めていました。
看護師としての私、パーキンソン病を否定する私、母である私。
もう心がどうかなりそうな時、旦那が聞いてきました。
「薬飲んでる?ちゃんと飲まないと」
遠くでは子供たちが楽しそうに遊んでいる声が聞こえてきました。
タイミング良く子供たちの声が聞こえてきたせいかわかりませんが、ハッとしたのを覚えています。
パーキンソン病と闘ってるのは私だけじゃないんだ。
この出来事がきっかけできちんと飲むようになりました。
職場にカミングアウトするタイミング
診断された当初は、体に違和感はあったものの仕事に支障はなかったので、直属の上司のみ伝え、他のスタッフには伝えませんでした。
直属の上司に伝えた理由は、確定診断のための検査日が急遽決まったため、勤務調整をお願いしなければいけなかったからです。
その後、しばらくはカミングアウトせずに働いていましたが、進行とともにできないとこが増えてきたので、伝えることにしました。
もし職場へのカミングアウトのタイミングで悩まれている方がいたら、職場環境にもよりますが、すぐにカミングアウトする必要はないと思います。
なぜかと言うと、パーキンソン病はある程度の期間であれば、薬でコントロールできるからです。
いずれはカミングアウトするタイミングが来ると思うので、それまでどのように伝えるか、現在の自分の状況など予めまとめておくと良いと思います。
また、同病の方の体験談などを参考にするのも良いのではないでしょうか?
退職するきっかけとなった出来事
当時の主な症状は多少の動きにくさと、字の書きにくさでした。
これらの症状は、薬を飲むことで改善できていたのですが、徐々に指先が震えるようになりました。
それに気付いた患者さんから
「あなた新人さんね、しっかり勉強しなさい」
その言葉を聞いた時、これから先どんなに頑張っても一人前にはなれないのかと虚無感に襲われました。
新人だった頃、先輩看護師から指導を受けガムシャラに勉強した日々は、パーキンソン病になったことで、また新人に戻ってしまうのか?
そんなことはないと分かっていながらも、パーキンソン病と言う現実だけでも辛いのに、追い討ちをかけた「新人」という言葉は私の心を卑屈にさせました。
初めて見る別の世界
「また看護師をしたいですか?」
今まで何度か聞かれたことがありますが、
私の答えは
「NO」
看護師はとでもやりがいがあり、素晴らしい職業です。
看護師人生の中で引っ越しや出産で何度か辞める事がありましたが、再就職する時は当たり前のように看護職。
他の職種を考えることはありませんでした。
でも、パーキンソン病になって、初めて看護師以外の選択肢があることに気がつきました。
ありきたりの言葉ですが「世界は広い」。
それに気付かせてくれたのは、私を苦しめているパーキンソン病でした。
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Text by
Satomi Iwai
岩井 里美
1983年生まれ。パーキンソン病の社会的認知、就労支援、下着の製造、繋がり続ける教育の4つの柱を軸とした会社Limの代表(個人)。生きにくさを感じつつ楽しむこと、笑うことをモットーにしています。