筋ジストロフィーの私がライターとして「無理をしない働き方」を見つけるまで~後編~
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2021.9.8
進行性という病気の重圧に負けないように、出産、育児、マイホームなど前向きなことに挑戦し続けた私。「次は何に挑戦しよう」と悩んでいた時にポストに届いた1枚のチラシをきっかけに、「ママライター育成講座」へ応募することにしました。そこで見つけた居場所と、改めて考えた自分に合った働き方についてお話していきます。
執筆:高山 あっこ Akko Takayama
メンバーと切磋琢磨しながらライターの勉強をする日々
ママライター育成講座では、ライティングの基礎はもちろん、取材のコツ、写真の撮り方、クライアントとのやり取りなど、さまざまなことを学びました。
最初はぎこちなかった他の受講メンバーとの会話も、「ママ」「ご近所」という共通点のおかげで、回を追うごとにスムーズに。宿題返却の折には、プロに完膚なきまでに真っ赤に添削された原稿を見せ合い、慰め合うこともありました。
毎週のように顔を合わせ切磋琢磨する環境は、学校のよう。結婚を機に引きこもり気味だった私にとって、久しぶりに社会とつながる日々はとても充実していました。
また、普段から物言わぬ赤子の世話に追われている受講メンバーたちは「察する能力」にとても長けており、私が困っている時、困りそうな時はスピーディーに、そしてあたたかくサポートしてくれました。
不安はたくさんありながらも半年間の講座を無事に卒業することができたのは、メンバーに恵まれたからだと思っています。
燃え尽きてしまい通えなくなった日々
ママライター育成講座の卒業後は、フリーライターとして巣立つことになっていました。とはいえ、最初は経験も実績も全くない状態。当面の間は担当者の2人からいろいろと仕事を用意してもらう予定でした。
仕事の依頼だけでなく、追加の勉強会や現状の報告会、他の講座のお手伝いなどのお誘いも頻繁にありました。会場がバリアフリーであっても、そこまでは砂利道があり、私にとっては結構大変な道。
講座をやりきった達成感で燃え尽きてしまった私は、再びあの場に行くことに対し腰が重くなっていました。
仕事のためには行くべきなのはわかっているけど、体調がすぐれなかったり、気分がのらなかったり、天候が不安だったりで行けない。やるべきことは明確なのに、行動できない自分への苛立ちや葛藤がすごくありました。
行きますと言ったのに、当日になると行けない。そういうことを繰り返しているうちに2人目の妊娠や入院が重なり、ますます足は遠のきました。
受講メンバーとのグループラインの話題にもついていけなくなり、「もうフェードアウトしたい」と思う日もありました。
自分の居場所と無理のしない働き方を見つける
幽霊部員のような存在になりつつあった私ですが、絶対に行かねばならない用事があったり、体調がよかったりしたとき、何度か行くことがありました。
あまり参加できていない状況に罪悪感があった私ですが、担当者の2人は毎度「わぁ~いらっしゃい!」と変わらぬ態度で歓迎してくれました。そこにいた他の受講メンバーも同じでした。
たまにしか顔を出さない、当日行けなくなることもしばしば、そんな付き合いしかできない私に対しても変わらず親しくしてくれる様子に「ここは私の居場所なんだ」と感じるようになりました。
「無理して行こうとして苦しくなっていたのは自分。無理する必要はない。それが私のできる関わり方だし、いつでも行ってもいい場所だから焦らなくても大丈夫」と割り切ることに。その切り替えのおかげで、すごく気持ちが楽になり、もっとあの場所が好きになりました。
講座の終了後から4年近く経ち、最近はコロナ禍の影響もありほぼ行くことがなくなってしまいましたが、私はあの場所のメンバーなのだと今でも思いながら過ごしています。
終わりに
ママライター育成講座に必死に取り組んだ結果、燃え尽きてしまった私。行くべきなのに行けない自分に苛立ち、仕事も人間関係も投げ出したくなることもありました。
けれど、変わらぬ態度で接してくれる担当者の2人やメンバーたちに救われ、「ここは私の居場所なんだ」と感じるまでになりました。加えて「周りの人たちと同じように」と焦るのではなく、「自分ができる関わり方でいい」と割り切ることで、今もやっていけているのだと思います。
障がいを持った人が仕事をする際、「なるべく周りと同じように」と焦って、疲れてしまうこともあると思います。
私は気づくのに時間がかかりましたが、「焦らない・無理をしない」と割り切るのも必要なスキルなのかもしれません。