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「書いて生きる」わたしが望む生きかたと、その先に目指すもの

2021.9.20

幼い頃から、気がつけば文章ばかり書いていた。中学時代、勉強の合間を縫って少しずつ書き溜めた小説は、原稿用紙200枚を超えた。でも、親に見つかってあっさりと捨てられた。それでも私は、書き続けた。脳内に溢れる思いや記憶を言葉にして表に出す。そうしないと、うまく息ができなかった。

執筆:碧月はる Haru Aotsuki

***編集部より***
本記事には虐待を経験した本人による描写表現が含まれています。
気分を害するおそれがありますので、過去の経験からくるフラッシュバック等でお悩みの方はご注意ください。
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わたしは「要らない」こどもだった

幼少期から両親に虐待を受けていた。しかし、私がそれを「虐待」と認識できたのは、随分と後のことだったように思う。暴力や暴言が日常である家庭において、子どもがその異常性を認識するのは難しい。どこもこんなものだと思っていたし、例え強い痛みでも、やがて人は慣れてしまう。痛みを感じないわけではない。ただ、感覚がどこか遠くに置き去りにされる。

末っ子だった私の上には、兄と姉がいた。彼らは親にとって大切な存在であり、私はそうではなかった。

母は私に、よくこう言った。
「子どもは二人で終わりにするはずだった。予定外にあんたができちゃったから、仕方なく産んだのよ。本当は要らなかったのに」

生まれてきたことそのものが、罪だと思っていた。

子どもの頃から、時々記憶が欠けることがあった。でも、これもまた「みんなそうだ」と思っていたので、特に気にしていなかった。夜間の記憶が、目覚めると朝にジャンプしている。その間に起きていたことの意味を成長と共に理解したが、私はその事実から必死に目を背け続けた。下腹部の違和感を感じた朝は、浴室で赤くなるまで肌をこすった。ざらざらのスポンジタオルは薄い桃色で、翌朝の父は機嫌が良くて、母は能面のような顔をしていた。みんなが壊れていて、でも、全員が見ないふりを続けていた。

煙草で肌を焼かれても、泣き声ひとつ立てなかった。もちろん最初からそうだったわけではない。でも、泣けば更なる痛みと苦痛が待っていると知ってからは、奥歯を強く噛みしめて耐え抜く術を覚えた。そして、痛みが強ければ強いほどにどこか他人事だった。

ようやく辿りついた病名「解離性同一性障害」

実家を出てからの私は、それまでの抑圧の反動をすべて文章に叩きつけた。吹きだすような感情の嵐を、連日大学ノートに書き殴った。それはどこまでも自分のためだけの文章で、誰にも見せることなく記憶と記録は積み重なった。その繰り返しのなかで、いつしか私は自身と向き合うために文章を書くようになっていた。「書くこと」は、私にとって「呼吸」だった。

書くことにより少しずつ心が解放されていくのを感じながらも、精神的な不調はやまなかった。記憶の混乱、フラッシュバック、悪夢など、苦痛を伴う症状に長年悩まされた。

昨年夏、はじめて「解離性同一性障害」の診断を受けた。これまで長年いくつもの精神科に通い続け、閉鎖病棟への入院を数回経験したにも関わらず、本来の病名には辿りつけなかった。今の主治医との出会いは、私にとって大きな転機となった。

現在は解離性同一性障害の他、双極性障害も併発している。これらの障害、疾病を抱えて生きるのは、正直容易ではない。特に記憶の欠如は、生活に大きな影響を及ぼす。日々さまざまな工夫を重ね、それでもどうにか生きていこうと必死の毎日だが、ふいに強い虚無感に襲われる。

これは、いつまで続くのだろう。
私は一生、こうして見えない何かと闘い続けなければいけないのか。

後遺症による仕事や生活への支障、そこからくる貧困、医療費を払えず治療を諦めた結果引き起こされる病状の悪化。

「虐待」は、逃げて終わりじゃない。逃げ出せたのちにはじまる長期的な闘いは、大袈裟ではなくサバイバルである。

文章で「これから」に繋がる話がしたい

20代で結婚をしたが、別居期間を経たのち、離婚した。二人の子どもの親権は、さまざまな事情から父親が持つことに決まった。私は40歳を間近にひかえ、再びひとりになった。

生きて生活をする。そのためには、働かなければいけない。

ずっと、書いて生きていきたいと思っていた。でも、自分には無理だと諦めていた。学歴は中卒で、パソコンの知識もない。何より私の過去や病名を知ったうえで、仕事を依頼してくれる人なんているはずがない。そうやって、はじめる前から逃げていた。

そんな私の背中を押してくれたのは、文章を通して出会えた仲間たちだった。彼らは私の過去を知り、病名を知り、それでも私をひとりの人間として大切に扱ってくれた。その人たちに背中を押され、書きたいメディアに営業メールを出し、ライター募集に申し込み、書く鍛錬を重ね、ようやく少しずつ仕事をもらえるようになった。書いて生きていきたいという私の願いを叶えられるのは、私しかいなかったのだと知った。

障害も疾病も、虐待サバイバーである過去も、私という人間の一要素に過ぎない。私はそれらを自分のアイデンティティにするつもりはない。ただ、伝えたいことがあるからこうして書き続けている。
もう誰にも、こんな思いをしてほしくない。

痛みだけを叫んでも、おそらく何も届かない。だから私は、文章という手段で「これから」に繋がる話がしたい。

エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。各メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。虐待サバイバーである原体験をもとに、虐待抑止の発信に力を入れている。書くことは呼吸をすること。

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