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人種差別が生む教育虐待

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2021.9.29

「早稲田大学の法学部に現役で受からなかったら、死刑だからな」と父は子どものころから、それこそ呪詛を吐くように言い続けた。

あんまりに長いあいだその言葉を聞き続けていたせいで、いつしかそれはぼくの身体にすっかりと染み付いてしまった。高3の早稲田大法学部の受験結果が、ぼくの生死を決める。つまり不合格だったら、合否発表日がぼくの命日となる。

だって、ぼくというこの生命体の半分を作った精子の持ち主がそう決めたのだから、すなわち寿命もその持ち主が決めるのは当然のことなのだろう。そう本気で信じ込んでいた。

執筆:チカゼ

***編集部より***
本記事には虐待を経験した本人による描写表現が含まれています。
気分を害するおそれがありますので、過去の経験からくるフラッシュバック等でお悩みの方はご注意ください。
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日本と韓国とロシアにぼくはルーツを持ち、去年帰化申請をするまでずっと国籍は韓国だった。つまりは戸籍上、ぼくは「在日韓国人」だったのだ。正直、この言い方をぼく自身あまり好まない。ぼくは自分のことを、日本国籍取得以前から「何人」だとも思っていなかったから。

日本人、とは思えない。ずっとそこから弾かれてきたから。かといって、韓国人とも思えない。韓国語は読み書きはおろか、自分の名前すら正しく発音できないし、なんならハングルでどう表記するのかさえわからないから。ロシア人とは、もっと縁が薄い気がする。ぼくには日本名と韓国名はあったけど、なぜかロシア名はなかったから。

外国籍の人間、とりわけ韓国および朝鮮にルーツを持つ人々への人種差別は、この国では未だ苛烈だ。ヘイトスピーチを実際に目撃して、道端で吐いたこともある。

就職でも不利であるため、この国で生きる在日韓国人たちは自ずと自営業を選ぶ人が(それこそもっと差別の酷かった一昔前などは)多かった。

当たり前のことだけど、金を稼がなきゃ食っていけない。そのため在日韓国人の家庭では、子どもの進路に医者か弁護士か公認会計士といった「高給取りの自営業」を強いる傾向が強いのだ。

うちももちろん、例外ではなかった。父は弁護士だったから、ぼくか双子の弟に事務所を継がせようと躍起になっていた。私大の最高学府である早稲田の法学部を現役合格・卒業し、自分で事務所を開業し、「人権派の弁護士」として成功を収めた自分を、誇っていた。

自分は差別に打ち勝ち、乗り越え、成功した。自分には、その能力と才覚があった。だから自分の一部である子どもたちもまた、差別に打ち勝ち、乗り越え、成功する能力と才覚を持ち合わせているのは、自明である。

そして子どもたちをそのように誘導するのは親の責務であり、それを遂行するためには暴力を持ってしてもかまわない。父は心の底からそう考えていたし、それが間違っているかどうかなんて、疑いもしていなかった。

幼稚園入園前から幼児教室に通いはじめ、小学校に上がると公文、3年生からは某有名中学受験専門塾に移った。模試はほぼ毎週受けさせられ、結果が振るわなければ容赦なく罵倒され、物を投げつけられ、殴られた。

成績表は毎回くまなくチェックされ、できていない項目があるとテキストを持ってこさせて「こことここを覚えろ」と命じられる。完璧に解けるようになるまで、父が見張るダイニングのテーブルを立つことはたとえ日付が変わっても許されない。

各都道府県の政令指定都市をなかなか暗記できないぼくに激昂し、頭を引っ掴んで壁に貼り付けられていた日本地図に「こんなことも覚えられんのか」とぐりぐりぐりと押しつけられたこともある。硬い壁に顔がめり込み、つるつるの印刷紙が柔らかな皮膚を擦る、あの感触。

ぼくは模試や中間・期末などといったペーパーテストの類いで、実力を発揮し切れた覚えは、たったの一度もない。試験監督の先生が「それでは教科書をぜんぶしまってください」と号令をかけた途端、父の怒声が脳内で再生されるから。

そうなるともう頭はまっしろで、ついさっきまで見ていたはずの英単語なんかもきれいさっぱり消し飛んでしまった。

手汗で何度もドクターグリップを机から滑り落とし、押さえていた回答用紙もまるで水をこぼしたみたいに湿気でふにゃふにゃになった。シャープペンシルの鉛が紙に滲み、よく先生に「どうしてこんなに汚く書くの」と怒られていた。

父をそこまで追い込んだのは、もちろん人種マイノリティに対する熾烈な排斥だろう。

偏見と差別と、それを克服できたという自負に基づく捻れたプライドが、父をそのように衝き動かした。そうじゃないと将来食っていけやしない、と教え込まれたのは、父も同じだったそうだ。

父もまた、祖父に教育虐待を受けていた。早稲田大学の法学部の合格発表日、落ちていたら浪人はさせないと言い切った祖父は、結果を聞く前に近所の親戚の靴屋に父を雇ってもらえないかと電話したと聞く。

それでも、家庭内でぼくを虐待し続けた事実そのものは、赦されるものじゃない。赦せない。一生、赦さない。

ぼくは父とはまったく別の個体であり、異なる思想と意思を持つ生き物なのだと認識できなかったこと/今も認識できていないことは、生涯父が背負うべき罪悪だ。ぼくが早稲田大学の法学部に進学して、弁護士になって父の跡を継ぐことを、当たり前のに望むのだと信じて疑わなかったことは、あまりに愚かだ。

父が真にしなければならなかったこと、父親として、「人権派弁護士」として果たさねばならなかった本当の責任は、人種マイノリティでも何に縛られることなく職業を選択できる自由を勝ち取ることだった。

ぼくは父を、死ぬまで赦せない。だからこそ、ぼくはせめて、ぼくのやり方で、人種差別と闘い続けるつもりだ。

かつてのぼくと同じように、マイノリティであるがゆえに教育虐待を受けて苦しんでいる人/苦しんできた人が希望を失わぬよう、父の望む早稲田大学法学部に進学せず弁護士事務所も継がず、マイノリティでありながらも自分自身の人生を切り拓くことのできた生き証人として、書き続けていく。

Text by
チカゼ twitter note

1992年生まれ。ライター・エッセイスト。修士(学術)、専攻はジェンダー論。ノンバイナリー/バイセクシュアル・日韓露ミックス・教育虐待サバイバーのトリプルマイノリティ。法律婚をしたシス男性のパートナーと2人暮らし。永遠の憧れはジルベール・コクトー。珈琲とヘッセと猫が好き。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。

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