PARA CHANNEL Cage

「きれいごと」を「現実」にできるかは、私たち大人の肩にかかっている

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2021.9.29

自身が受けた虐待被害の体験を元に、虐待抑止の発信をはじめてもうすぐ2年半が過ぎようとしている。痛みが強すぎると読まれない。痛みが薄すぎると伝わらない。どこまでを開示し、どこまでを伏せるのか、伝えるための加減をいつもぎりぎりまで悩んでいる。

気持ちだけが急いてしまい、冷静さを欠いてしまうことも往々にしてある。虐待被害は後を絶たない。今すぐ、この瞬間にも助けを待っている子どもがいる。そんな現実を目の当たりにするたび、強い焦燥に駆られる。

執筆:碧月はる Haru Aotsuki

***編集部より***
本記事には虐待を経験した本人による描写表現が含まれています。
気分を害するおそれがありますので、過去の経験からくるフラッシュバック等でお悩みの方はご注意ください。
****************

先日、あまりに痛ましい事件が起きた。大阪府のマンション内で、3歳の男の子が全身に熱湯をかけられ亡くなった。犯行に及んだのは、母親の交際相手である男性だった。

近隣住民や保育所が再三にわたり児童相談所に通報していたにも関わらず、保護には至らなかった。結果、男の子は3歳という幼さで命を落とした。

事件の報道を目にした私は、抑えきれない感情をTwitterで呟いた。140字ですべてを伝えきれるわけもなく、ツイートをした瞬間、感情的でなかったと言えば嘘になる。でも、これは虐待被害を受けていた当時の私の本音であった。

ツイートは思いがけず大きな反響を呼び、それを受けて当メディアの管理人である中塚さんからコラム執筆の依頼を受けた。


「重い内容になってしまうとは思いますが、伝えるべき現実があると思います」

そう後押しされ、このコラムを書くに至った。以下、私自身の体験も含め、伝えたいこと、知ってほしい現実を綴っていきたい。

逃げられない痛み、なかったことにされたSOS

小学校低学年の頃、どうしても頭痛がひどく、学校を休みたいと両親に訴えたことがある。

母は「布団で待っていなさい」と私に告げ、父を連れて戻ってきた。父の手には布団叩きが握られており、母の口は真一文字に結ばれていた。母が私の身体を押さえつけ、父が私の下半身の衣服をすべてはぎ取り、シャツの背中をまくった。竹のしなる音と同時に、布団叩きが背中や臀部に幾度となく振り下ろされた。

「学校に行きます。ごめんなさい。休みたいなんて言ってごめんなさい」

殴られている最中、私はそう叫び続けた。身体をよじって痛みを逃すことさえできない。身動きの取れない状況で与えられる痛みは、このうえない恐怖だった。

私を打ち続けたのは父だったが、そこから逃がさないために押さえつけていたのは母だった。当時を思い出すたび、未だにどちらを恨めばいいのかわからなくなる。

1限目の終わり頃、遅れて登校した。私の泣きはらした目と虚ろな表情を見て、担任の女性教師は「何かあったの?」と尋ねた。先生の心配そうな表情に気持ちがゆるみ、すがるような思いで「放課後、話したい」と伝えた。

そして、背中を見せながら朝の出来事を話した。
「お母さんに押さえつけられて、お父さんにぶたれました」
しばし息を呑んで黙ったのち、先生は言った。
「怒らせるようなことしちゃだめよ。気をつけなさいね」

以来、私は大人にSOSを出すのをやめた。

「家庭」というプライベートゾーンに他者が踏み込める領域は狭く、奥深くまで立ち入ればプライバシーの侵害に当たる。そしてその「家庭」内で、虐待は起こる。児童相談所や警察でさえ踏み込めない領域がある以上、一般人がそれをやろうとすると逆に訴えられる可能性も出てくる。

被害の有無や緊急性を計りきれない難しさに加え、自身や家族の安全を守るのが第一優先である以上、過度に踏み込んで他人の子どもを守ろうとする大人が少ないのは無理からぬことだ。

小学生の段階で、すでにそれに気づいていた。もう少し年齢が上がってくると、父から受けていた性的虐待を知られたくないという気持ちも大きくなった。それでもやっぱり、どこかで思っていた。

誰か、助けに来て。

祈ることしかできなかった。子どもだった当時の自分には、それが精一杯だった。でも、誰も来ないまま年月は流れ、私が自ら家を出た17歳まで、虐待の日々は続いた。

失われた命すべてに、名前がある

必要な救助の手が、「親権」の壁に阻まれる。家族のプライバシーが重要なのは大前提として、それでも緊急を要する場合、子どもを保護できる体制が法の下に整わなければ、同じようなことが何度でも起きる。家庭は安全基地であってほしいと心から願う。しかし、それが叶わぬ場合、家庭は容易く牢獄になり得る。


※厚生労働省が公表した令和2年度の児童相談所による児童虐待相談対応件数(速報値)は、20万5029件。前年度より1万1249件(5.8%)増え、過去最多を更新した。相談の内容別件数は、多い順に、心理的虐待12万1325件(全体の59.2%)、身体的虐待5万33件(24.4%)、ネグレクト3万1420件(15.3%)、性的虐待2251件(1.1%)、子ども虐待による死亡事例は、心中による虐待死事例16件(21人)を含む72件(78人)となっている。

引用元:子ども虐待防止オレンジリボン運動


これまで何人の子どもが虐待を受けて命を落としているのか、どれほど凄惨な事件が起きているのか、私もすべてを把握しきれているわけじゃない。ただ、ひとつだけ言える。失われた命は、数字のなかのひとつなんかじゃない。一人ひとりに人生があり、名前があり、夢があり、命があった。

誰かが死ぬたび、「この痛ましい事件を教訓に」「この死を無駄にしないよう」と大人たちは言う。

でも亡くなった子どもたちは、きっと自分のために生きたかったはずだ。誰かの未来の人柱になることなど望んでいなかったはずだ。痛くて、苦しくて、助けてほしかったはずだ。

そして、現在虐待を受けながらも生き延びている子どもたち、適切な支援、治療を受けられないまま大人になったサバイバーもまた、一刻も早い救助と支援を待ち望んでいる。

子どもを守るための選択肢は、ひとつじゃない

以下に書く内容は、賛否両論あると思う。それでも、伝えたいから覚悟を持って書く。

子どもを手離す。それもまた、子どもを守るために必要な選択肢であることを知ってほしい。親子は一緒に暮らしたほうがいい。親子は離れるべきじゃない。そういう理想論だけでは、守りきれない命もある。

虐待する親が我が子に愛情を持っていないわけではなく、だからこそ問題の根は深い。でも、愛しているなら、または、愛せないと自覚したのなら、その手を離すこともまた、我が子を守るためには必要な決断だ。

手離すことと、捨てることは違う。物理的に離れていても、愛情を伝える方法はある。身体を離しても、心を離さなければいい。

子を産んだら、誰しもが自動的に親になれるわけじゃない。育てられない。自分にはできない。そう感じたら、臆さずにSOSを出すべきだ。そして、そういう人に対し、周囲は後ろ指をさすのをやめるべきだ。

後ろからさされた指は、鋭くて痛い。それじゃあ、掴めない。開かれた温かい手のひらなら、掴める。差し出すのは、後者のほうがいい。さすよりも、包める手のひらのほうがいい。親に対しても、子どもに対しても。

子どもを救いたいのなら、渦中の子ども、問題を抱える親、双方への支援が必要だ。どちらかだけではなく、どちらにも正しく温かい手が差し伸べられてほしい。

誰にでも、できることはある

助けられなかった命と心がある。その事実から目を背けたままで、解決できるわけがない。

どうすればこの状況を変えられるのか、どうすれば同じような痛みを少しでも防げるのか、大人たちが考え続け、手を動かし続けるしか道はないように思う。

誰にでも、できることはある。それは何も、大きなことじゃなくていい。問題に目を向ける。一緒に考える。思いを言葉にする。

さらにそこから一歩進み、課題改善に向けて動いている人の署名活動に協力する。虐待防止運動の団体に寄付をする。選挙に行く。近隣の子どもたちの表情をよく見る――これは監視の意味ではなく、見守りの意味での話だ。

「これくらいじゃ何も変わらない」と思うかもしれない。でも、少なくとも課題解決に向けて必死に動いている人間にその言葉をぶつけるよりは、はるかに物事が前に進む。

過去の私は、SOSを出すことを早々に諦めてしまった。牢獄のような家庭内で、大人という生き物をそもそも信用できない生育環境において、初めて出したSOSを拾ってもらえなかったことは、大袈裟ではなく絶望だった。

でも今は、絶望していない。だから書いているし、生きている。

子どもの頃はわからなかった。でも、今は知っている。大勢の大人たちが改善に向けて必死に動いていることを。本気で問題に向きあい、命と心を助けたいと願っている大人もちゃんといるのだという事実を。

後遺症で欠落する記憶。コントロール不可能なフラッシュバックによる発作。それらを抱え、障害年金を受けながら送る生活は、正直生き延びるだけで必死だ。

それでも、できることはある。体験を書いて伝える。課題に向き合っている大人の存在、活動について知らせる。それらの仕事を通して得た収入の一部を、少額でも寄付する。

文章ひとつだけでも、これだけのことができる。小さな小さな波紋にしかならないかもしれない。でも、波紋は広げられる。ひとりでは無理でも、大勢の力があれば変えられる現実もある。

一気に遠くまでいこうとか、ひとりで100人を救おうとか、そんなふうに考えると途端に息切れしてしまう。だから、まずはできる範囲、手の届く範囲から少しずつ行動していく。

助けてほしかった。知ってほしかった。ひとりでもいい、信じられる大人が、そばにいてほしかった。

あの当時、痛みにただ耐えるしかなかった私の悲鳴は、とうの昔に飲み込んだ。だから今、私が本当に伝えたいのはそれじゃない。

何度でも書く。もう誰にも、こんな思いをしてほしくない。

大人にしかできないことがある。そして今、私はもう子どもじゃない。だから私は、諦めない。大人がきれいごとを諦めたら、子どもは世界を信じられなくなる。

どんな家に生まれても、どんな親であったとしても、未来を閉ざされることのない世界。それを「きれいごと」ではなく「現実」にできるかは、私たち大人の肩にかかっている。

それを命がけで待っている子どもたちがいる事実から、私は決して目を背けない。

【虐待支援、相談先リンク】
子ども虐待防止オレンジリボン運動
虐待どっとネット|虐待に関わる全ての方へ
法務省:子どもの人権110番
Mexミークス|10代のための相談窓口まとめサイト

【寄付の募集】
認定NPO法人フローレンス
認定NPO法人PIECES

エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。各メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。虐待サバイバーである原体験をもとに、虐待抑止の発信に力を入れている。書くことは呼吸をすること。

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