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「生き残らなければならない」時代をやめにしたい

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2021.11.11

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。2000年代以降、自己啓発本ブームが巻き起こり、今でもベストセラーの3割が自己啓発本が占めている。市場価値を高める、ライバルと差をつける、時代に生き残るなど、さまざまな目的はあるものの、いったい、何に勝ちたいのか、誰に選ばれたいのか。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

数年前だが、いわゆる意識高い系の男が知り合いにいた。

整髪剤で髪を整え、ポールスミスのスーツに身を包み、袖口にはカフスをつけて出社。企画力が身につくからと積極的に合コンの幹事をやり、週末はジムに通い、勉強と称してスタバで自己啓発本を読む。ビジネスセミナーにも参加する。経営について、乗ってみたい外車など夢について語る。

そんな彼は実家ぐらしの公務員だった。

バリバリのサラリーマンちゃうんかい、と心の中で小さく突っ込んでいたが、以前、マルチ商法にハマり、多額の借金を抱えたのだという。

ライフハック、セルフブランディング、スキルアップ……。彼の口から飛び出す言葉はカタカナ言葉が多く、よく意味がわからないこともしばしばあった。

こんな典型的な人もいるもんだなあとちょっと感心すら覚えたのだが、彼は外で演出している自分とプライベートな自分とのギャップに苦しんでいた。

かなりのゲーマーらしく、一時期はほとんど仕事をせずにオンラインゲームばかりをやっていたこともあるらしい。生活に困らないのなら、それでまったく構わないと思うのだが、そうは思えないとのこと。ゲームが好きな陰気な自分というのを恥じ、隠していた。

自己啓発系のコミュニティを持っていて友達も多そうだし、もてるみたいだし、正社員としてフルタイムで働いてそれなりの給料をもらっているようだし、充実している感じを受けたが、本人の中では何かが渦巻いていたようだった。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


2000年代から自己啓発本のブームが起こったらしい。近年でもランキングの3割が自己啓発本で占められるという。

当時は新自由主義がもてはやされた。2001年には、今では悪名高い小泉内閣が誕生し、痛みを伴う改革などと言いながら、国民に痛みを押し付ける構造改革を行い、自己責任社会を作り上げていった。

私達の中に、バブル崩壊から続く不景気によって将来に不安を感じ、己を鍛えることで乗り切ろうとする考えが広まったのかもしれない。

当時小学生だった私自身も、新自由主義、競争社会の到来に諸手を上げて喜んだ人間の一人である。機会はますます均等になり、努力して能力を身につければ正当に評価されて「勝てる」「選ばれる」と思い込んだ。

一体何に勝ちたいのか、誰に選ばれたいのか。そこまでは考えが及ばなかった。

とにかく私自身の市場価値を高めるため、ライバルと差をつけるため、頑張らなくてはならない。そのように自分を追い詰めていき、なにか自己研鑽をしていないと、なにかを生産していないと落ち着かなくなってくる。

毎日、謎の焦りに駆り立てられ、なにもしないでいるだけで罪悪感が募った。「私」というものは常に成長し続けていなければならないという思い込みがあった。

それがいかにイデオロギーを内面化していた考え方だったか、まったく気がついてはいなかった。

生まれたときにはすでにソ連が崩壊し、地下鉄サリン事件が起こったのは幼少期で、物心ついたときには資本主義に対立する思想も、なにか生きるための指針になるような宗教も、触れてはいけないものになっていた。私は政治的に中立の立場であると思っていた。

だからなんとなく彼の気持ちがわかるような気でいるし、どこか自分を重ねてしまう。

自己啓発はこの資本主義社会に適応したひとつの信仰のように私は思う。全ての問題をパーソナルなものに還元している限り、全ての問題は自身で解決可能であるように錯覚させることができる。

2013年の内閣府の調査では、13~29歳の若者で「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」という設問に「そう思う」と答えたのは30.2%だった。

同じ質問を欧米5カ国と韓国でもしたところ、日本が最も低いという結果となった。

「社会なんてものはない。あるのは個々の男たちと女たち、家族である」と言ったのは新自由主義・個人主義を支持したマーガレット・サッチャーだったが、私達若い世代にとって社会とは、変えられないもの、そもそも存在しないものという認識なのではないか。

また、「親ガチャ」という言葉が流行るのも、社会が機能せず、親の経済力に依存する形でしか自身の市場価値を高めきれない身も蓋もない状況があるからではないだろうか。

もちろん、自己啓発によって生きやすくなる可能性は大いにある。実際、目の前にある問題を解決していかなければならないのは他ならぬ自分自身だし、他人や環境を変えていくのはなかなか難しい。

私も、以前このコラム内でいわゆるライフハックと呼ばれるような仕事術を紹介してきた。それ自体を否定するつもりはないと言うか、私はどちらかと言えば「努力によって障壁を乗り越えたい」タイプだ。

けれども、どうしてこれほど豊かな時代において、生き残りを賭けなければならないのだろう。成長し続けなければならないのだろう。

今の日本は、健常者にとっても生きづらい。だからこそ、発達障害という概念がこれほどまでに浸透し、理解を求める動きが出ているのではないか。自己啓発は、しょせん対処療法に過ぎない。

私は、世の中を覆う資本主義の「経済性」「合理性」「効率性」の外側の世界へと行きたい。そんなオルタナティブな生き方の可能性を秘めているのが、障害者ではないかと思っている。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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