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都会の人は冷たい?地方在住車いす女子が東京一人旅で感じたこと

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2021.12.21

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。仕事で大分県別府市から東京まで1泊2日で出てきた。いつもなら介助者を連れて行くのだが、今回は都合が合わず、一人旅。長距離移動、ホテル宿泊、都内の移動と不安が多い中だったものの…。実は東京はマイノリティの街で、多様であるからこそ無差別的であり、必要な時に必要なだけの配慮がなされるのかもしれない。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

先日、インタビュー動画撮影の仕事で東京に出張してきた。

地方在住の私を気遣って、先方はリモートでも構わないと言ってくれたのだが、撮影場所が東京大学だと聞き、社会見学を兼ねてぜひ行ってみることに。

ところが、いつもなら介助者を連れて行くのだが、都合が合わずに一人で行くことになってしまう。一人で遠く離れたよく知らない場所に行くことは滅多にない。

日常生活は、改装を施して環境を整えた自宅で朝昼晩ほとんど介助者に依存した日々を送っている。ましてや今回は一泊二日の旅になりそうで、一人でホテルに宿泊したことがほぼない私には大冒険だった。

東大のキャンパスの場所をGoogleマップで確認すると、最寄駅は東京メトロの本郷三丁目駅。距離にして約500メートル。時間に余裕があれば車いすを漕いで行けないことはない(地方では公共交通機関が整っておらず、長距離は自家用車に車いすを積載して移動することが多いため、電動ではなく手動車いすを利用している)。

ということで新幹線を予約し、東京駅から地下鉄に乗り換えて向かうことにする。

ホテルは駅に近いところを探すが、探すのにも一苦労だ。

ビジネスホテルは扉を開けてすぐベッドがあるような狭い部屋だったり、トイレやお風呂に入るためには段差があったり、扉が狭くて車いすは通らなかったりと、車いすでは利用できない場合がある。

ホテルの予約サイトは安くて便利なのだが、部屋がバリアフリーであるかどうかで検索するのが難しい。ホテルによってはバリアフリールームを別に用意しているところもあるが、予約サイトには出てこない場合が多い。

部屋の広さや、部屋の写真を見つつ、車いすでも利用できそうな雰囲気の部屋を見繕う。当たり前だが、大人一人で探すとほとんどが10平米前後の狭い部屋ばかりだ(健常者にとっては狭くはない)。

その中で一件だけ広い部屋のあるホテルが見つかる。

24平米スーペリアツイン…出張で一人ただ寝るだけにはもったいないけど間違いなさそう。東大からは1.5キロ。ちょっとしんどいけど、仕事が終わった後に向かう訳だし、頑張ればなんとかなるだろう。最寄りは水道橋駅で300m。悪くない。ホテル内にレストランもある。ご飯を食べる場所を探す必要もない。

説明文に「高級ホテル」とあるのにちょっと引け目を感じてしまう。多分自分が健常者なら、絶対に使うことはないだろう。ホテルに電話して車いす対応かどうかを聞く。すると同じ広さのバリアフリールームがあるという。ビンゴだった。料金変わらず利用できるとのことで、そのようにしてもらう。もうこの際だからと朝食付きを選ぶ。せっかくだからプチ旅行と思おう。


▲ホテルの朝食。ビュッフェ形式だったがイケメンのウェイターが席まで持って来てくれた。合理的配慮イイネ!


会う予定でいた東京の友人と連絡を取り、夜にホテルのレストランで一緒に食事をする約束をする。ついでに部屋で横になるまで手を貸してほしいと恐る恐るお願いしてみると快諾してくれた。

重度障害者として生きていると、どうしても他人に手を借りることが多くなってしまう。介助者になら遠慮なく頼み事ができるが、それは仕事だからだ。

友人には?仕事仲間には?となると、どのくらい頼っていいのか難しい。頼ってばかりだと対等な関係でいられなくなってしまうような気がする。本当なら頼らずに自分で全部できればいいのだが、そうもいかないのが日頃から悩ましいところだ。

タイミングよく宿泊する次の日にも仕事が入る。お世話になっている仕事仲間に事情を話してホテルから東京駅まで同行してもらえないかとお願いしてみると、こちらも快諾してもらえた。

助っ人が二人もいることで心強くなり、調子に乗って仕事の後に別の仕事仲間と駅で打ち合わせを兼ねてお茶をする約束をする。今までリモートでしかやりとりをしたことがなく、直接会うのは初めてだ。

彼に新幹線乗り場までついて来てもらえないかと頼むと、同じ方向なのでと引き受けてもらえた。これでもう心配事はなくなった。それにしてもみんな親切だなぁとなんだかありがたい気持ちでいっぱいになった。


▲小倉駅の段差解消機からの眺め。


出張当日の早朝、ヘルパーさんに連れられて別府駅へ。ホームまでついて来てくれる。駅員さんが電車とホームとの段差解消のためのスロープを設置してくれ、無事特急に乗車。車いす用に席が一つ外された指定席があり、そこにブレーキをかけて車いすを固定する。席には自力で移れないので、ゆったり背もたれに身を預けることはできない。

小倉駅で新幹線へ乗り換え。乗り場までにエレベーターのない階段があり、段差解消機で階段を上がらなくてはならないが、駅員さんが全て案内してくれるので安心だ。スムーズに新幹線へと乗り継ぎ、予約していた多目的室へ。

多目的室は障害者手帳を持っていると事前予約ができる(空いている場合は手帳がなくても体調不良や子連れで授乳やおむつ替えなどを理由に利用できる)。デッキにあり、2名座れる座席がついている。座席はベッドにもなる。

小倉から東京までは4時間以上かかる。私は一人では移乗ができないため荷物置き、車いすの転倒防止に利用したが、長時間の移動で座っていることが辛い人などには便利だろう。

うとうとしながら昼過ぎに東京駅に着く。JRと地下鉄の乗り継ぎがうまく行くか心配だったが、駅同士の連携がしっかりできていて、何も問題なく本郷三丁目駅までたどり着いた。

あとはGoogleマップを開いて現在地を確認しながら東大を目指すだけだが…早速、駅の改札を抜けてすぐにそこそこ勾配のある坂。こういうこともあるよねと、じわりじわりと漕いでなんとか突破し、一本道に出ると、なんと東大までずっと上り坂ではないか。関東って平野じゃなかったの??想定外のことに少し焦る。さすがのGoogleマップにも坂の情報なんて記載されていない。

一泊二日の旅なので、荷物も結構あるし、ちょうど寒くなった頃でモコモコした格好をしているしで、なかなかに苦戦する。道もあまり舗装が良くなく、小さな段差やデコボコ、グリーチングがあり、うっかりすると車輪を取られて転倒しそうだ。ちょっとした揺れで膝に置いた携帯が滑り落ち、地面に転がるが、道ゆく人は拾ってくれない。

やっぱり東京って冷たい街なんだ…。

なんとか自力で拾い、坂との格闘を続ける。途中勾配がきつくなり、力を込めてもタイヤが回らない。これはダメかもしれないな、困ったなどうしよう、と思っている時、「大丈夫ですか?」と中年の男性に声をかけられた。

助かった!と思い、「あそこまで押してもらえませんか?」とちょうど勾配が緩くなる十メートルほど先を指差す。「いいですよ」と快く押してくれ「お気をつけて!」と気遣いの言葉をかけてスマートに去って行く。

優しい人!ありがとう!ちょっと励まされて再び坂を登る。その後も数名の人が声をかけてくれて少しずつ手伝ってくれ、なんとか無事に東大にまで辿り着いた。

あまりに広大な敷地で早速迷ったが、学生や研究員の方に頼んで案内してもらって無事目的の建物へ。どうにか時間までに約束の場所に着くことができた。安堵とたくさんの厚意を受け取って辿り着くことのできた高揚感とが相まったのかインタビューはうまくいき、なかなかの好感触で仕事を終えることができた。


▲東京大学の赤門。工事中のため通り抜けることはできなかった。


意気揚々と東大を出、今度はホテルへと向かう。東京は九州と比べて日が暮れるのが早く、更に急に冷え込んで風も出てきて心細かったが、道中多くの心優しい人が手を貸してくれ、心折れることなくホテルに到着した。

館内はバリアフリーでも着くまでがバリアフルだったよ!と嫌味な気持ちもないことはなかったが、暖房の効いた明るいエントランスでのフロントスタッフの丁寧な応対にあっという間に心は和んだ。

部屋まで案内してくれ、扉を開けてくれ、何か困り事があればいつでもフロントに連絡してほしいとまで言ってくれる。もうすでにこのホテルにしてよかったな、と思っていた。

荷解きをして少し休んでいると仕事終わりの友人から連絡がある。引きこもりの生活に慣れた私の身体は朝早くから慣れない土地で普段の何十倍の距離を自走したことでクタクタだったが、聞き覚えのある声を聞いてようやく気持ちがくつろいで、元気が出た。

レストランで大冒険だったんだよ、と話すと友人は労いの言葉をかけてくれた。

部屋に戻った後も寝る準備をして、ベッドに入るまでを見届けてくれ、積もる話をした。結局頼ってばかりだったが、また東京来る時も連絡してねと気軽に言ってくれて、感無量(ぴえん)というかんじだった。

次の日も仕事仲間の方があいにくの雨の中、駅まで車いすを押してくれ(雨の中で車いすを漕ぐのは本当に骨が折れるので助かった)、急遽時間の空いた友人とも会え、駅で待ち合わせていた仲間もお洒落なカフェに連れて行ってくれて、帰りのJRまでついて来てくれて、この日も厚意を受け取るばかりの一日となった。

zoomの中でしか会ったことのなかった初対面の仕事仲間に「東京の人って思ってたより優しいですね」と話すと「何より数が多いから、優しい人もそれなりにいるはずだし、多様な人がいる街だから、一見冷たくても『これこれこういうので困ってるので手伝ってください』と伝えたら大抵親切にやってくれますよ。みんな慣れてるので。合理的なんです」とのこと。

なるほど、合理的配慮の「合理的」とはそういう意味なのかも、などと勝手に合点する。



都会には圧倒的な数の人たちがおり、地方に比べて多様な人々が存在していると言えるだろう。一見冷たく見える態度も、多様な人たちが多様なままに存在するため、お互いのために必要な防衛手段なのかもしれない。

一人ひとりの個性にいちいち向き合っていたら、むしろ多様な価値観がぶつかり合ってしまい多様なままでいられない。

程よく無視をするというか、あえて距離を取ったり無関心でいたりすることによって、それぞれの価値観がぶつかり合わず、排他的にならずに済んでいるのかもしれない。

そういう意味で東京はマイノリティの街なのではないか。多様であるからこそ無差別的であり、必要な時に必要なだけの配慮がなされる。そんなふうにも考えられるかもしれない。

「豆塚さんも東京出て来たらいいんじゃないですか?」

なんて言われて、帰りの新幹線の中でちょっと本気で考えているところに、地元のお世話になっている人たちから次々に「大丈夫?」「無事に帰って来てね」「駅に着いたら家まで送ろうか?」などと連絡が届く。友人に預けた猫の写真も送られてきて、一気に帰りたい気持ちが湧いてきた。

公的支援がないと生活できないはずの重度障害の私が、支援や家族以外の他者の手を少しずつ借りて一人で知らない土地で過ごせたこと。これはもしかしてすごいことではないのか、と思う。

考えてみたらこれほど自由だったことはなかった。普段は外出する時、サポートしてくれる介助者のことを常に考えて行動しているからだ。安心安全の引き換えになるのが自由であるのだから当然なのだが。

支援の外側にある自由な暮らしというものにも、やはり憧れてしまう。守られるべき障害者としてではなく、しがらみのない私として、無色透明な一個人としての可能性を試してみたい、という気持ちは、地方から上京を夢見る人とそんなに変わりがないのかもしれない。

東京パラリンピックを終えたばかりの街がそんな多様な街であったらいいな、などとついつい夢見てしまうような旅行となった。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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