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障害児が普通の小学校に行く!

~自己紹介編2~両親の奮闘

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2022.2.9

こんにちは。車いすの元気配達人、柳岡克子です。

前回のコラムでは、重度の障害をもって生まれた私の生い立ち、幼稚園までを書きました。

今回はその続き、小学校入学のお話です。
なんと養護学校(支援学校)ではなく、普通の小学校へ通うことになったのです。

執筆:柳岡 克子 yoshiko_yanaoka

幼稚園の年長になった秋でした。
私は知らなくて大人になって聞いた話です。
父と母が、御坊市の教育委員会主催の会議に呼び出されました。
障害のある児童の今後についての話し合いでした。
当時養護学校(支援学校)は、和歌山市内に1つあるだけでした。
肢体に障害のある生徒が入っているとのことで
薦められました。

数日後、父母は私を連れて
その施設を見学に行きました。
うっすら覚えています。
幼稚園(1クラス25人ぐらい)より少ない人数で
楽しそうに勉強していました。

「御坊からは通えませんね。」
という言葉が聞こえたとき
どうなるのだろうと不安になりました。
「こちらの寮にはいって生活してもらいます」
私は、口には出さなかったけど
家族と離れ離れに
なるのではないかとますます
不安になりました。
「嫌だ」
決して言わなかったけど
3人とも一緒だったと思いました。

再度、教育委員会との話し合いがありました。
幼稚園の先生や
地元の小学校の先生
特別支援学級の担当の先生
など集まって最終調整をするために
私だけでなく、
この町の障害のある児童の関係者が
一人一人について
両親の意見を聞きながらの
会議でした。

私の両親は、見学させてもらった
肢体不自由児の施設について
自宅から1時間以上かかり
遠いので送り迎えができないので
寮生活になる。
または家族が引っ越しするしかない
とのことで
出来れば地元の小学校に入れたいと意見を言ったそうだ。

しばらくして、本人の知能テスト
みたいな能力の判定がありました。
これには、私も行って
聞かれることに答えました。
この日のことは、はっきり覚えています。
「赤はどっちですか?」
「これ」と大きな声で答えました。
何のテストかもわからなかったけど
わかることは、嬉しくてハキハキ答えました。
「お箸を持つ手はどちらですか?」
「右」と言って手を上げました。
絵を見せられ
「これはなんですか?」
「犬」
動物も乗り物もすべて答えられました。
視力も聴力も問題はありませんでした。

御坊小学校のⅠ先生が
「この子を私が見たい」と申し出てくれました。
私の父母の要望を受け入れて
御坊小学校に入学させてあげたい。
との思いを持ってくれた先生がいたのです。
特別支援教室の先生でした。

幼稚園での様子を聞き取りしてくれました。
お遊戯会では、人魚姫の魚の役をしたこと。
音楽会では、ピアニカやハーモニカを
不自由な指にもかかわらず
練習して弾いたり吹いたりできるようになったこと。
運動会も遅くてもかけっこをしたこと。
放課後、英語教室に通っていて
アルファベットがかけて
簡単な会話が出来たこと。

問題なく幼稚園での生活ができました。

たったひとつ
おしっこを先生に助けてもらっていたこと。
これが御坊小学校へ入学するネックになりました。

小学校の先生は幼稚園の先生と違い
240人の生徒が1学年にいるので
常に近い所にいて見守ることができないので
助けられないということでした。

そこで父は、当時(昭和45年)
インターネットなんかない頃に
出始めのポータブルトイレを
どこかで購入してきました。
これを小学校の女子トイレの
一角に置かせてもらうことで
入学が許可されました。

私は、知り合いもいない和歌山市の寮に
一人で入って、家族と離れるのが
「嫌だなあ」と思っていましたから
嬉しくてたまりませんでした。

何よりも
幼稚園で仲良くなった友達と
一緒の学校に行けるのが一番うれしかったです。

小学校の入学式の日、
式を終えて、体育館から教室に戻ってきました。
Hという担任の先生は
「このクラスには、
体の不自由なお友達がいますが
決していじめてはいけません。
仲良くしましょう」
と初めに言ってくれました。

おかげでクラスの皆とは
仲良くできました。

母は、入学式の前に
ポータブルトイレを学校に持って行って
教室に一番近い女子トイレの
1つの部屋の中に置きました。

父は、私と一緒に手の高さを
合わせて、手すりをコンコンと
取り付けてくれました。

これで
小学校に入学できたのです。

Ⅰ先生が、
特別支援教室で面倒を見てくれると言ってましたが
授業についていけるか
普通教室で
しばらく様子を見ましょう
ということになりました。
ですから
5組のH先生の教室に入ってもらいました。

授業についていけなくなったら
いつでも受け入れる準備はしていますから
ということでした。
私はそんなこと何も知らずその話を聞いたのは、
大人になってからでした。

母の送り迎えでしたが
毎日楽しくて
授業も問題なく
優秀な成績でついていけました。

学年主任だった先生と大人になって
入院した時、同じ病室になって
「あなたの担任は学年主任の私が
見ることになっていたのですよ。
でも学年主任と担任を兼務するのは
大変なので、H先生に担任になってほしいと
お願いして受けてもらったのです」と。
まあ、そんな裏話を聞ける日が来るなんてビックリでした。

それほど
普通の小学校に
体の不自由な生徒が
入学して
しかも普通クラスに
入ることが職員室でも
大きな課題となるほど
大変なことだったのが想像できました。

先生方の心配をよそに
私は、誰よりも早く手を上げて
答えたり
テストの成績も100点ばかりでした。

ところが
困ったことがありました。
なんだと思いますか?
それは次回にしますね。

1964年生まれ。和歌山県御坊市出身。先天性四肢関節拘縮症。2歳半まで手術のため入院生活、歩けるようになる。地元の幼稚園に通い、母の送り迎えで養護学校ではなく健常児と同じ学校に通う。神戸学院大学卒業後、学習塾を経営する。御坊市身体障害者福祉協会の会長を10年し、現在公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長をしている。

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