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インターセクショナリティとは?女性×障害者の生きづらさを考える④

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2022.4.19

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。ここ最近、フラットに訳せば「交差性」という意味を持つインターセクショナリティの記事を書いてきた。インターセクショナリティや当事者同士の語り合いの重要性を改めて実感した上で、社会からなんらかの抑圧を受けている者同士、もっと広く深く繋がり合って社会を構成していくことはできないだろうか。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

今まで、インターセクショナリティについて①〜③の記事を書いてきた。



インターセクショナリティとは、フラットに訳せば「交差性」、ネガティブなニュアンスを含むと「狭間」という言葉に訳される「個人のアイデンティティが複数組み合わさることによって起こる特有の差別や抑圧を理解するためのツール」である。

人種やジェンダー、階級、障害の有無など、複数の交差性を持つことによって、その人の抱える問題は複雑化し、「個人の問題」とされてしまいがちだが、それを「社会問題」化することで、社会のみんなで解決していく問題として当事者同士が連帯し、抑圧を解放して本来持っていた力を取り戻すというのが、インターセクショナリティの役目だ。

②、③の記事では、女性身体障害者で恋と性の悩みについて語り合う座談会に参加し、実際に問題が炙り出され、問題解決の糸口は見つからなかったものの、互いの経験や困りごとに共感し合う中で「私一人だけの悩みではなかったのだ」と連帯感が生まれて抱えていたモヤモヤがスッキリした話を書いた。語り合い、共感し合うことだけでも、ひとつの「解放運動」なのだと実感を持って知ることとなった。




実は私は、障害者の自立生活運動の中で長年取り組まれてきた「ピアカウンセリング(ピアカン)」に懐疑的な立場をとってきた。ピアカンとは、同じバックグラウンドを持った当事者同士が平等な立場で話を聞き合うというもので「当事者のことは当事者自身が1番よく知っている」という立場に則って行われるカウンセリングだ。

というのも、同じ障害者同士だからといって分かり合えないことも多々あるだろうし、障害者として傷ついた経験を話すことで被害者意識を強めていくのではないかと思ったからだ。
(当事者はあくまで当事者であってカウンセリングのプロではない、というのもあえて書いておきたい)


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


「差異のジレンマ」という言葉がある。

障害があって困りごとがあり、差別されることがあるからこそ、障害者運動があるわけだが、その困りごとや差別を解決しようと、「差異」(この場合は障害)に着目すると、それは逆に差異を強調、固定化することにもつながる。

私は良くない意味合いで2度ほど「あなたは障害者じゃない」と言われたことがある。

一人は生まれつき重度の身体障害を持つ男性に、もう一人は重度の知的障害のお子さんを持つお母さんに。分かり合えないのは前提の上で、共闘できる部分を探したいのだが、苦しみの深さゆえわかってもらえないことに対する怒りや悲しみがコントロールできないこともある。

一言で「障害者」といっても、障害も困りごとも人それぞれだ。実存の問題もある。不条理に対する絶望感の深さもそれぞれ違う。自身を強く「障害者」と定義づけてしまうと、「より被害者性の強い当事者」として、分かってもらえない辛さや断絶が強まってしまうこともある。

人々をさらに細かな属性で括ってしまうインターセクショナリティという概念も、ともすると被害者性や断絶を強めてしまう、諸刃の剣でもあるのではないかと懸念している。

一方で、差異に着目しなければ、問題自体認識されることはなく「個人の問題」とされてしまう。それもそれで違う。

今回の座談会の参加で、インターセクショナリティや当事者同士の語り合いの重要性を改めて実感した上で、社会からなんらかの抑圧を受けている者同士、もっと広く深く繋がり合って社会を構成していくことはできないものかと考えている。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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